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コーンフレークとシスコーン


いつぶりだろうか。


コーンフレークを食べた。
美味しい。
牛乳に浸ったコーンフレークはザクザクから段々としなしなになり、甘さが溶けた牛乳は美味しかった。


 夫が朝食をコーンフレークにしてみると言うので、わたしも食べてみたわけである。会話の中で、わたしは何度もシスコーン、シスコーンと言っていて、途中でなんか違くない?と自分で気づいた。


調べると、「シスコーン」はコーンフレークの商品名だった。

残念ながら、今回食べたのはシスコーンではない。


 実家では、わたしが食べてみたい!と言ったときにコーンフレークを朝食にしたことがあるだけで、しょっちゅう家にあったわけじゃない。
それに、お願いしたのは「チョコワ」とかだったと思う。
どうして「シスコーン」が強く残っていたんだろう。不思議である。


 シスコーンって言葉を考えたとき、
単純に「シスコン」って言葉が思い浮かんだ。
伸ばし棒があるかないかだけだ。



 わたしには姉がひとりいる。
背丈が同じくらいで、一緒に出掛けるとよく友達に間違えられる。
姉のことはもちろん好きだけど、漫画で見るようなシスコンっぷりというか、溺愛っぷりじゃないよなぁ、とは思う。デレデレはしない。


わたしと姉の性格は正反対で、子どもの頃はわたしの憧れの人といえば姉のことだった。


 姉は明るくて、人とすぐ仲良くなる。勉強ができる。男子にモテる女の子で(わたしにはそう見えた)中学の頃は先生から生徒会に入らないかと言われていた。(実際入っていた)
わたしからすると、生徒会は影響力のあるような、目立つタイプの人が入るもので、わたしとは別世界の人が活躍する場だった。
わたしのことを「姉の妹」として知っていた先生はいたけれど、わたしは大人しくて目立たないタイプだ。生徒会のせの字も声を掛けられたことはない。



高校の頃は、姉がイケメン彼氏と電話しているのを見て、ひとりキィ〜〜〜〜っとイライラしていた。姉とわたしは同じ部屋を使っていたので、電話を早くやめろ、わたしを部屋に入らせろ、とそんなに用事もないのに鬼の形相で訴えていた。とにかく妬んでいた。
(そのおかげか、わたしは彼氏ゼロ…)


姉とわたしは中学までよく喧嘩をしていたと思うけれど、成長するにつれて悩み相談をしたり助け合ったり、喧嘩するだけの関係ではなくなった。
服や雑貨の買い物から受験やテストのこと、親と喧嘩をしたときのこと、将来のことなど、姉妹だからこそ話せるし、分かり合えることが増えていった。
姉妹でよかったな〜と思うことも多かった。



そんなわたしたちも、大きくなるにつれて生活パターンが変わっていき、わたしの進学をきっかけに離れて暮らすようになった。




 長期の休み期間中、姉と久しぶりに会えたときはとても楽しくて、ガハガハ笑い合った。
会えない間の出来事を報告し合い、何度も話した昔話でくすくす、にやにやした。



楽しいだけじゃなくて、わたし自身大人になったな〜と気づいた部分もあった。
わたしが子どもだったからこそ見えていなかったものや、姉と一緒に暮らしていても気づけなかった物事を知り、理解し、受け入れることができていたからだ。


姉には姉の辛さや葛藤があり、わたしにはわたしの悩みがある。


仕事に行きたくない〜、面倒くさい〜という気持ちや、お局がムカつくという気持ちは、わかる〜!!と共感し合った。




 わたしの憧れであった姉は、今は同志であり、友達みたいなものであり、どうかどうか健やかに、楽しく生活していってほしいと祈らずにはいられない存在となっている。




悲しく、辛い出来事には遭ってほしくないし、もしそれが向かってきてしまっても、なんとか最小限の傷で終わってほしいと思っている。
あと、車の運転にも気を付けてほしい。



頑張りすぎないように、頑張ってほしい。



わたしは今、心の底から姉の幸せを願っている、ひとりの妹なのだ。



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えりぱんなつこ
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