夢は覚めない―そらる『ワンダー』
7月17日、そらるさんの活動10周年イヤーラストを飾るアルバム『ワンダー』が発売された。
4月のワンマンライブファイナルで発売が発表されたとき、会場で弾けるような歓声があがったのを覚えている。それから3カ月、前作『夢見るたまごの育て方』発売からは約2年、待ちに待ったアルバムだった。
『ワンダー』の正式表記はカタカナ。さまよう「wander」と、驚き、奇跡の「wonder」、両方の意味を込めたという。
このタイトルを知った時点でもう天才、名盤、と勝手に認定していたのだけれど、いざ手もとに届いたCDを聴いてみて、本当に一曲もあますことなく名曲ぞろいだったから驚いてしまった。
「今のそらるのすべてを込めたいと思っています」(本人のツイッターより)と言って作られたこのアルバムには、まさしく「すべて」が詰まっていた。
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『銀の祈誓』/『アイフェイクミー』
アルバムのオープニングを飾るのは、どちらもタイアップ曲である『銀の祈誓』、そして『アイフェイクミー』。
10th ANNIVERSARY YEAR第1弾シングルとして発売された『銀の祈誓』は、自身が作詞作曲まで手掛がけている。
それを知ったとき、あくまでも「歌い手」として認識していたから驚いた。アニメに合わせて物悲しく残酷な世界を感じさせる歌詞とメロディ、一度耳にすると離れない、サビで繰り返される「どうして」というフレーズ。誰が歌ってるかということを差し引いても、心を掴まれる曲だった。
この人、どんだけポテンシャルあるんだ。驚きっていうか、もはや戦慄に近いものを感じてしまった。すごくないか、この人。
続く『アイフェイクミー』は映画『賭ケグルイ』の主題歌だ。
作品の舞台は、欺瞞と裏切りに満ちたギャンブルの世界。トリッキーでキャッチーな楽曲を得意とする相方・まふまふと組み、一瞬にして天国にも地獄にも落ちるスリル溢れる感覚を見事に作り出している。
かたやTVアニメ、かたや映画と、主戦場であるインターネットを飛び出した2作品は、世間での認知度も飛躍的に高めたと思う。
実際、「歌い手」なんてものにまったく興味ない友人に「『賭ケグルイ』の主題歌歌ってるんだよ」と教えると、一瞬にして認識が変わるのがわかった。もはや「有名歌い手」などというものをとうに飛び越えた、一人のアーティストなのだ。
『幻日』/『アイソレイト』
タイアップ2曲の後は、疾走感のあるロックナンバー。
1曲目は『幻日』。
作曲がじんと堀江晶太の共作であることが事前に発表され、注目を集めていた楽曲でもある。二人ともニコニコ動画でボカロPとして名をはせた人物だ。
「そらる×じん×堀江晶太」。この文字だけで、歌ってみた界隈に詳しい人からしたら目が幸せな、まさに夢のコラボ。そして、その期待にばっちり応えてくれる、力強いバンドサウンドで気持ちよく駆け抜けてくれる名曲。
詞もめちゃめちゃにいい。ブックレットを見て、サビの“淡い炎 揺らいでいる”という字面の美しさに気づいてめまいがしそうになってしまった。
全体を通して見ると、自らに発破をかけるような、挑戦的な言葉がちりばめられている。
“もっと前へ 手を伸ばして 後ろは振り向かないで”
“足踏みなんてしちゃいられない”
“身を焦がす渇望の呼ぶ方へ”
「幻日」というのは、一定の条件下で、太陽とは離れた場所で太陽のような光が見える現象だそうだ。
触れない、存在しない、幻の陽の光。それでも手を伸ばさずにいられない、走りださずにいられない。『幻日』には、さらに高みを目指す貪欲さがにじむ。
一方、同じロックナンバーでも『アイソレイト』では趣が変わる。
“コピーされたような人の顔”
“用意された結末へ向かいレールの上を彷徨ってる”
どこか皮肉った、斜に構えたようなフレーズが目につく。
「ひたすら前へ」という威勢のよさが目立つ『幻日』とは逆に、『アイソレイト』では何かを目指し続けることの難しさや苦しみのほうにスポットが当たる。
想像することしかできないけれど、今の場所に至るまでにたどってきた道のりは綺麗で華やかなばかりのはずがない。失望だって諦めだってあっただろう。
音楽という世界を志してしまったゆえに抱えた業。
それを、かきむしるように歌う。
それでもこの曲は、もがいて汚れながらも前に進む姿を肯定する。
“泥水の中もがいているあなたを美しいと思うことを”
永い暗闇の中、たった一瞬のきらめきを信じるみたいに。
6月に開催された「ひきフェス」のMCでまふまふが「自分たちの音楽は邦楽ロックとの間に高い壁がある」と語っていた。この壁は確かに歴然としてあって、「ボカロ」「歌ってみた」と言った途端、色モノとして、音楽性が低いと決めつけられがちだ。
けれど、この2曲はそんな評価を覆してあまりある。私自身、もともと邦楽ロックばかり聴いていた人間なのだけど、『幻日』と『アイソレイト』は力強いバンドサウンドや疾走感のあるメロディ、反骨心の滲む歌詞など、純粋にロックとして聴きごたえがある。
名前も知らなかったとしても、この曲を聴けばたぶんそれだけで好きになっていた。
そのくらい、この2曲には強い引力がある。
『海中の月を掬う』
アルバム発売前にMVとともに公開されたのが『海中の月を掬う』。
届かない思いを深海の月になぞらえたというこの曲は、静かなミディアムロックバラード。
決して派手ではなく、初めて聴いた時はそこまで印象に残らなかったのに、繰り返し聴いているうちに絡めとられるようにどんどん好きになってしまった。まさしく水が染みこむように、ひたひたと深く染み入る魅力がある。
届かないことは切ない。でも、届かないとわかっていることは安らぎでもあるかもしれない、と思ったりした。
すでに失ったものは、もう失うことはない。
そんな、遠いものを愛でるような、諦めに似た静かな美しさが詰まっている気がした。
『ユーリカ』
『海中の月を掬う』から一転して、明るく幸福感の強い『ユーリカ』がこぼれるみたいに流れだす。
ドラマ『ゆうべはお楽しみでしたね』の主題歌のこの曲は、こんぺいとうみたいな甘くやわらかな光が絶えず降り注ぐイメージだ。
ドラマが『ドラゴンクエスト』を扱っていることを受け、この曲もRPGをモチーフにしていて、聴いているだけで、おとぎ話のようなピュアな幸福で満たされる気がする。
この曲のMVは夜の遊園地で撮影されているのだけど、闇夜にメリーゴーランドが光を放ちながら回るさまは、それ自体が一夜のきらめく魔法みたいだった。
お姫様と王子様、ドラゴンに剣と魔法。そんな子どもじみた空想に、もう一度思いを馳せたくなるような。
『ありふれた魔法』/『アンサー』
「ファンに向けた曲を作った」というようなことは配信かどこかで言っていたと思うのだけど、ふたを開けてびびった。ここまで直球ど真ん中でくるとは。
だって、だってさ、お世辞は決して言わない、特別なファンサは絶対しない人がだよ。
“望むならば星も降らすよ 明日もその先も夢中にさせるよ”(『ありふれた魔法』)
ってくるとは思わないじゃん。
なんていうかもう……突然のデレのパワーが強すぎて言葉が出てこない。
“目を閉じれば思い出せるよ 君がくれた宝物達”(『アンサー』)
……って、そんな。そんな、バカな。
『ありふれた魔法』が手を取って明るい場所へアテンドしてくれるような曲だとしたら、『アンサー』は今までの応援に対するまさしく「アンサーソング」という感じだろうか。
どちらも、リスナーに向けての明確なメッセージだ。だけど、それをここまで素直に書いてくるとは。チラ見するつもりが思いっきり真正面から見つめられてたみたいな感じだ。うろたえてしまう。
いつも思うのだけど、そらるさんって本当に不思議な人だ。
リアリストだけど、ロマンチスト。ツイッターのフォロワーが130万人を超えようが、横浜アリーナや幕張メッセを満員にしようが、まったく変わらぬ自然体。
本人も常々言っているけれど、彼がいつか満たされてしまったら、それこそ未練ひとつなく綺麗にこの世界から去ってしまうだろう。それは30年後かもしれないし、明日かもしれない。そんな掴みどころのなさがある。
でも、この2曲は、まだまだこの場所で歌っていくという明確な決意表明だった。両方の曲で共通して使われている「鳴りやまない」というフレーズがそれを象徴している。
これは、未来への約束の曲だ。
『教えて神様』
この曲を聴いて最初に、「『どうか神様』じゃないんだな」と思った。
はるまきごはんが作曲を手掛けるこの曲は、軽妙で心地よいサウンドに「彗星」「銀河」「星雲」など、宇宙を感じさせる言葉たちがちりばめられた楽曲だ。
大サビはこう歌う。
“教えて神様”
“いつしか会えたら話を聞いて それで充分”
ああそうか。そらるさんにとって、神様は縋るものじゃないんだな。
自分で選んで、自分で行動して、自分で掴み取って、今の場所に立っている人だ。願いは自分で叶えるもの。だから、話をきいてもらえたらそれで充分、なのか。
『それは永遠のような』
これは「告白してから返事をもらうまで」というものすごく限定された時間を描いた曲だ。
こういう描写の切り取り方が、やっぱり突出したセンスだなあと感じる。
この曲だけでなく、そらるさんの作詞を見るたびに、この人の言葉への感性はどうやってはぐくまれたのだろうと不思議に思う。ボカロPやまふまふのようにずっと曲を作ってきた人、というわけでもないのに、いつも言葉選びがはっとするほど繊細で美しい。
この曲も、夕日に満たされた二人きりの教室が、その空気ごと感じ取れる気がする。
『オレンジの約束』
何を隠そう、私は『夕溜まりのしおり』が一番好きなのです。
名曲ぞろいの『ワンダー』がこうして世に出た今でさえ、「どの曲が一番好き?」とか聞かれたらまず最初に候補に上げたくなるくらい。
だから、そのアンサーソングを作ると聞いて、アルバムで一番楽しみにしていたのがこの曲だった。
メロディにも『夕溜まりのしおり』と同じフレーズが使われていて、それだけでもう、もう、ずるい。
『夕溜まりのしおり』は、一歩一歩確かめながら歩くような重みがあったのに対して、『オレンジの約束』は、口笛でも吹きながら歩くように軽やかだ。曲のアレンジも、シティポップっぽく心地よくこなれている。
アルバム『夕溜まりのしおり』が発売されてから4年。
そこから積み上げてきたものがあるから、気負いや気を張っていたものが抜けて、気持ちよく肩の力が抜けたこの曲にたどりついたのかな。
4年の軌跡を一緒にたどるような、この曲にはそんな特別な楽しみとなつかしさがある。
『10』
思いつくままに書いた詞だという。
録音も一発録りだったらしい。
楽器はピアノのみで、時間にして2分と少し。アルバム内で最もシンプルな構成だ。
演奏とアレンジを担当するのは、そらるさんの10年を初期から見守ってきた事務員Gさん。
アレンジについてもほとんど相談せず、事務員Gさんにゆだねたそうだ。
そしてタイトルは「10」。
この曲に関しては、下手な考察はきっと野暮だ。
そらるさんと、それを見守ってきた人の10年がここにある。
私たちにはわかる由もないけれど、たぶんそれだけ知っていればいい。
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ここまで一つ一つ聴いていくと、なんて多彩な色調のアルバムだろう。
エッジの効いたアニメソングから、ロック、バラード、ハードなものからやわらかなものまで、一つのアルバムのなかでここまでバリエーションが豊かなのはあまり見たことがない。
一人ですべて作っているのではなく、作曲やアレンジを多くの人に頼んでいるからこそここまで色彩豊かになるのだろう。そして、そうやって楽曲を提供する人たちもまた、そらるさんが自ら手繰り寄せた縁でつながった相手なのだ。
そう思うと、改めて、10年で育んだすべてで織り上げられたアルバムなんだ。
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『ワンダー』
この曲だけ、聴くより先にブックレットで歌詞を見た。
そして、目に飛び込んできたこのフレーズでもうやられてしまった。
“見せてよワンダー”
まだ聴いていないのに、それだけでこの楽曲の希望に満ちた明るさが伝わってきたような気がした。
このフレーズが、ブックレットの上のただの文字列でさえ誇らしく並んでいるように見えた。
そうして、アルバムを1曲目から聴いて、最後にたどりついたこの曲。
サビに入ったときの、一気に視界が開けるような感覚。
どこまでも行けるような、どこまでも行きたくなるような、追い風のようなこのメロディ。
なんて広くて、明るい。
晴れ渡った青空みたいだ。
アルバムのラストを、そしてアルバムタイトルを背負うにふさわしい曲だ。
10年でたどり着いたこの曲が、こんなにも明るい曲でよかった。
“世界中が恋するような夢を見せよう
永遠に覚めない 鳴り止まない
響かせ続けていこう この歌を“
まだまだ歌いたい。
そう歌うこの曲でよかった。本当によかった。
希望と驚きに満ちた未来を示してくれたこのアルバムに、こう答えたい。
大丈夫、夢は覚めない。
あなたがぜんぶ現実に変えてきてくれたから。
私たちはそれを追いかけていくだけだ。
*8/1「音楽文」にて掲載済み