私の転職記(1)専業主婦
最近のニュースからこの記事を書こうと思った
先日のニュースで、すき家のアルバイトの女性が早朝のワンオペ中にお亡くなりになったニュースが出ていました。私も同じようにワンオペで早朝バイトをしていた人間なので、とても他人事とは思えない。
また、その女性は何店舗もヘルプに行っていたようです。私ももちろんヘルプで他店舗(隣の県まで!)へ行ってました。
私にもそういうことが起きる可能性は何度もあった。
そう。
過去、私はすき家に5年ほど勤め、バイトリーダー(店長代理)をしていました。
2014年、すき家でワンオペ問題がマスコミで取り上げられ、人員不足で各店舗が社員の言うことを聞かずに勝手に貼り紙をして店を閉め始めました。24時間営業のはずが、バイト達の反乱によって勝手に店が閉まり始めた事件は、知っている人は知っていると思います。
その頃、思いっきり当事者でもあったので、その頃の話を書きたいなぁと思います。
2013年から人員不足が顕著になってきて、シフトが穴だらけでした。本当に苦しくて、自分達で店のあちこちに『アルバイト募集』の貼り紙を貼ったりしてましたね。それを思い出して、チラシのテンプレを作ってみました。フリー素材ですのでご自由にお使いください。
アイコンは徐々にこれから増やす予定。
ダウンロードが好調そうだったら、色違いも作ろうかなと思っています。
↓↓こんな感じでエクセルやワード、パワポで自由に使ってくださいね。
待機児童の壁が厚かった
某ファッションデザイン専門学校を卒業して、一番最初の就職先はアパレル企業。
アパレルデザイナーとして5年勤めました。
こちらの記事が私の転職記のプロローグとなります。
結婚、出産を機にアパレルの会社を辞めたと書きましたが、正確には逆です。
WEB関係やグラフィックの会社に転職をしたくてアパレルの会社を辞め、そのタイミングで結婚をし妊娠をしたため、転職活動ができなくなったので、DTPやWEBデザインの通信の学校を受けて勉強していました。
母親になって。
0歳児の育児は、正直ノイローゼになりそうだった。
飲みに行けない、友達の中で比較的早めに出産したので周りに育児中の友人はおらず。みんなバリバリキャリアを積み上げていたので、なんか社会に取り残されているような感覚だった。
話をする相手がいない。両親は飛行機で帰省をしないと会えない遠方なので、頼りにできるのは育児本と、近所の子育て支援センターの先生だけ。
公園や、その頃流行ってたmixiのオフ会に行ったりして、表向きはリア充に見えたかもしれないけど、主人のお給料で生活することに罪悪感と、ハイヒール履きたい、おしゃれしたい、遊びに行きたい、一人で出かけたい、仕事したい。。。
早く転職したかったので、転職活動を再開すべく赤ちゃんを抱っこしながら市役所へ出向き、保育園の申請をはじめたのですが、あんなに待機児童の壁がぶ厚いとは思いもしませんでした。
最初に言われたんです。
『申請は受けつけますが、育児休暇中の方が最優先になるので、もう退職している私は1歳児のうちの入園は難しいと思います』と。
『就職先が決まった時点でスタートになるかと思いますので、そのおつもりでお願いします』と。
(※もう、10年以上前の話です。今は待機児童問題が改善されている事を願います)
そして、幸せなことに主人の給料も決して低くはなかったので、待機児童の優先順位がかなり低いこともわかりました。
この悩みを身近にいる大人の人(支援センターの先生とか)に相談しても『赤ちゃんのうちだけよ〜可愛いのは。ゆっくりしてからお仕事再開でも大丈夫よ』と、たいていこういう返事がきました。
最終的には、下の子が幼稚園に上がるまでの間、無職で育児に専念した私。
今なら、その『小さいうちだけでも仕事せずに子供とガッツリ楽しんで休みなさい。もっと一緒にいてあげればよかったと思っても、時はもう戻らないから』っていう意味がよくわかるのですが、あの頃は仕事がしたかったですね〜涙涙
6年は育児に専念した
転職先が決まらないと子供を預けられないってどういうことやねん。
転職活動って、子供はいつどこで預けんねんって話。
(あの頃は、一時預かり所みたいなところもありませんでした)
私も主人も飛行機に乗らないと帰省できない遠方組です。お金に困ってるからというより、私が仕事をしたかった。キャリアを捨てるのが本当に嫌だった。イライラだけが溜まっていく。
27歳。
同期のデザイナーはどんどん昇格して仕事が本当に楽しそうでした。
たまに息抜きで主人に子供を預けて会いに行けても、残念なことに話が全く合わない。身なりを綺麗にして、ネイルやマツエク、髪にも手入れが行き届いていて、クラブや飲み会、最近の流行や東京コレクションの話題、海外出張の話。うらやましかったです。本当に。同窓会もあったけど、授乳中だったので(胸が痛くなるから)行けず。
仕方のないことだけど、どんどん疎遠になりました。仕方がないよね。
この気持ちは、当時、仕事がすごく忙しく毎日帰宅が午前様だった主人には、全く理解してもらえませんでした。『毎日家で朝も起きずに寝れていいね』って言えちゃうくらいだったので、日中、家にいても自分の自由時間なんて皆無で、話し相手もいない、孤独な気持ちなんて理解できなかったと思います。ほとんど寝れてねーよ。
友人が欲しくて、色んなサークルに顔出したり、そこで知り合った人と遊びに行ったり公園行ったり。仕事が出来ないのであれば、今できる範囲で楽しめることを探そうと、たくさん出歩いていたのですが、それも『うちの嫁は遊び歩いている』って会社の同僚に言っているのを同僚から聞いて知ってしまい(社内結婚だったので)悲しくなりました。
赤ちゃんを連れて、毎日慌ただしく過ごしているうちに2人目を妊娠しました。その時点で覚悟を決めた。
保育園はもう無理だ。下の子が幼稚園に入るまでは思いっきり育児を楽しもう。
自分のお金じゃないのはまだ罪悪感があるけど、いろんなサークルに顔出して思いっきり楽しもう。自由万歳!!
下の子が幼稚園に入園する年まで、私は働かずに育児ブログ書いたり、子供服を作ってハンドメイドブログをしたり、プリキュアにはまったり、仮面ライダーにはまったり。
活動的になるほど、今までとはタイプの違う友達ができたり、育児の悩みを共有できる友達ができました。覚悟を決めてからは、育児期を思いっきりエンジョイしてたかな。毎日リア充!!
楽しい時間ではあったけど、長くなればなるほど心の底に焦りはあった気がします。
でも、その6年で得られた事もたくさんありました。
まず、友達、仲間。
仕事していたら忘れてしまっていた季節感。
夜の宴会じゃない桜の花見。大人になってからの土遊び。虫取り。毎日クーラーの中にいたから気づかなかった、日中の夏は暑い事。子供プール。落ち葉拾い。空の青さ。本気で遊ぶ雪遊び。
アパレルのデザイナーってかっこいい肩書きを下ろしてから6年経過。
あんなに転職するぞ!って息巻いていたのに再就職するのが怖くなっちゃってました。あと、思った以上に子供達が熱を出したりノロにかかったり、水疱瘡になったり、幼稚園に行けないってことも月に何度もあるので、頼れる身内が近所にいない私は、たぶんフルタイムの正社員はもう無理だろうと思った。デザイナーとしての再就職なんて、とてもじゃないけどもう自信がなくなってしまっていた。
だって、母親なんだもん。
でもお金、自分の服くらいは自分で買いたい。
自分だけのお金が欲しい。
そんな時、近所にすき家ができて、オープニングスタッフを募集していました。
オープニングだったら同じくらいの人が集まるはず。
母親になって、初めての就職先はパートですき家でした。これが最初の転職。
人生、思ったようにはいかないよね。
(2)へ続く