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night jasmine
「どんな世界なの。すべて見えてしまうなんて少し恥ずかしくない?」
「恥ずかしいけれど、美しいよ。 」
ぼくは現像したてでまだほんのり温かい写真を、テーブル代わりの段ボールの上いっぱいに広げていた。
見せてあげたかった。
色や形やあらゆるものの境界がはっきりして、いきものが胸を張って歩く美しい世界を。
さっきそこのおでん屋で会ったばかりの彼女は、昼間の世界を見たことがない、とビールジョッキを片手に笑った。
初めは何かの冗談だろうと思ったけれど、そういう訳でもないらしい。
「日の出と一緒に眠って、日の入りと一緒に目覚めるの。小さい頃からずっとそうだよ。」
「学校とかはどうしていたの?」
「そんなつまらないところ、こっちからごめんだよ。」
「いまは何をしているの?夜間に働けるところとか?」
「いいじゃない 、そんなつまらない話。わたしはあなたに逢いたくてここに来たのよ。あなたの話をたくさん聞かせて。」
話すほどのことなんてなかった。
日常にあふれるのはありふれた学生生活(それも残りあと少しだけれど)と、つまらないアルバイト。
すこしは格好つけたくて、
「カメラが好きだよ。」となけなしの趣味の話を始めた。
嘘ではなかったけれど、
特別秀でてうまいわけでもなかった。
人に見せるほどのものではないから、(とはいいつつやっぱり少し格好つけたくて)携帯にすこしだけ入っている写真を彼女に見せた。
目を細めて笑いながら彼女は、
「いつかわたしを撮ってほしいな。ねえ、ほかには写真はないの?もっと見たいな、その美しい世界ってやつ。 」と言って、僕をまっすぐに見つめた。
笑う彼女からは優しく甘い、良い香りがした。
それから僕たちは近くのコンビニに寄って、たまたまカバンに入っていたSDカードに入っている写真をありったけ印刷して、僕の部屋まで歩いた。
秋と冬のはざまの夜風は、アルコールが回っているとはいっても、少し冷たかった。
「部屋、狭いよ?」
「狭いところ、本当は結構好きなの。」
「古い建物だから、結構寒いけど。」
「寒いところは得意だから平気。」
女の子が来るって分かっていたらあんなところに靴下干したりしなかったのにな、と思いつつ足取りは不思議と軽かった。
食い入るように写真を見る彼女は、本当に心から感動しているようだった。写真の中に写るあらゆるものを愛おしそうに撫でる。
「君が見ている世界は、とっても美しいね。」
「光のおかげでみんな美しく見えるんだ。 」
「それなら私も月のおかげで美しく見えるのかな。」
「君は光なんか浴びなくたって。」
普段なら絶対に気恥ずかしくて言えないセリフも
なぜか自然とこぼれてくる。
狭い部屋いっぱいに広がるこの甘い香りのおかげかもしれない。
「夜はね、光が届かない代わりに声が浸透するの。空気もリズムも温度ですら暗闇に溶け込んで、夜のかけらになるんだよ。」
「夜のかけら。」
「そう。わたしたちも今、夜のかけらだね。」
「朝になったってここにいたらいいよ。一緒に写真を撮りに行こう。」
「いつだって君の近くにいるよ、またいつかの夜に。 」
気が付くとカーテンの隙間から零れる朝陽が眩しかった。
あの子は、帰ったのか。
部屋にはまだ甘い香りが少し残っていて、不思議と寂しさが紛れた。
せっかくの早起きだ、散歩にでも行こう。
久しぶりにカメラを首から下げて外に出た。
玄関を出るとすぐに、小さく静かな白が目に入った。
シャッターを切ると朝露が ぽたりと落ちた。
不思議と惹かれて嗅いでみたが何も香らなかった。
空気が澄んで小さな声で話したくなるような朝だ。
生きものがみなどこか誇らしげに見える朝。
はじまりのうたを君に聞かせたい朝だった。
でも、眠たいなら仕方ない。君の寝顔をもう一枚、カメラに収めた。