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なんでもないということ
いつもは乗らないバスに、
今日はなぜだか朝晩と乗ることになったので
久しぶりにnoteを書きます。
私たちは生きていると、
日常に急かされることがよくあります。
早く、高く、もっと遠くへ。
そんな声がどこからか聴こえてくるのです。
もう少し若く幼い頃、
私はこの声を私への励ましだと思っていました。
実際にその誰とも分からぬ声がパワーとなって、私の歩みに変わる時もありました。
私の背中を押すその「声」のおかげで、
走るスピードが何倍にもなることもありました。
時間が経って、大人になって、空が狭くなって、車の運転もできるようになった頃。
その声を疎ましく思う日がありました。
「これ以上速くなんて走れない」
「聞こえているさ、無視なんかしてない。これが精一杯なんだ」
気がつくと、あの時私の背中を押してくれた「声」は、いつのまにか枷(かせ)となってガッチリと私の足を掴んでいるのでした。
だめだ、もう歩けない。
ごめんなさい、「声」。
ずっと応援してくれていたのに、期待に応えられなくて。
そんな風に呟いて、
泣くことにも疲れた私は文字通りの「空っぽ」でした。
何にもない、何にも出来ない。
速くも遠くへも歩けない。
なんでもないわたし。
なんでもないわたしは、
笑うことも歌うことも下手っぴ。
なんでもないわたしは、
なんでもなく始まって
なんでもなく転がって
なんでもなく終わるんだと思う。
空っぽになったことで、
心にからっ風を吹かせることのできた私は
最近こんな風にも思います。
なんでもないって最高。
頑張らないって意外と結構良い。
なんでもない私で、明日も生きてく。