かけら、というよりはかたまり
思い切り吸い込むと、ポップコーンの香りがします。
割と寡黙で、穏やかです。
匂いの強いものや音の大きなものが苦手なところ、「おいで」と誰かに偉そうに呼ばれると、途端に行きたくなくなる所がわたしによく似ています。
肉球は柔らかいというよりは、弾力のある感じ。
今日は、うちの猫「えりんぎ」さんの話です。
えりんぎというのは、彼女の名前で、わたしが名付けました。
キノコと混同してしまうので、ひらがな表記で「えりんぎ」。
実家の庭に迷い込んできたまだ手のひらサイズの赤ちゃん猫だった頃、体が真っ白で、頭と尻尾だけに茶色く柄がついていた事が由来です。
彼女のおもしろエピソードはたくさんあります。
例えば、水は手につけて飲むこととか、野良猫出身のはずなのにどこか動きが鈍臭いこととか(屋根に登って降りられなくなったこともあった)、なぜか妹の荷物が大好きでカバンには必ず寄っかかり、手帳や書類にはすかさず乗ってしまうこと。
大河ドラマが好きで、食い入るように見ること、乳歯が抜けた時、気まずそうに抜けた歯を手で隠していたこと、猫はイケメン好きと何かで見た事があるけれど、えりんぎさんはうちに来たばかりの頃、佐藤健さんがテレビに映ると凝視していて確かに猫顔イケメンだもんね、と思ったこと。
そんなえりんぎさんに限らず、多くの動物の家族もそうだと思うのですが、私たち人間と感情の動きが似ているなと感じる事が多くあります。
不安、心配、嫉妬、イライラ。
そういうものをえりんぎさんから感じる時もあります。
私たちのように顔や言葉で表現することはあまりないので、あらかた空気感というか、目の動きというか、そういうもので感じ取っているのだと思います。
おそらくそれはえりんぎさん側も同じで、わたしが不安に包まれきっていた時期、とても心配してくれていました。
突然泣き出せば、近くで様子を伺ってくれるし、寄り添ってくれます。
究極は、朝起きるとわたしの枕元に狩猟の戦利品たち(ぺちゃんこになった大きめの虫かお気に入りのおもちゃ)が並べられていた時です。
弱り切っていたわたしを見て、ご飯をとってきてくれたのか、なぐさめのプレゼントなのか、考えるとびっくりしながらも可愛くて可愛くて笑いが止まりませんでした。
(えりんぎさんは、その様子を満足げにソファから眺めていました笑)
ちょっとここまで書いて思ったのですが、この話にはオチがありません。
詰まるところ、優しくてかわいいよね、という話がしたかっただけなのです。
陽だまりの「かけら」というよりは、陽だまりの「かたまり」みたいにふかふかで、いつもぬくぬくの我が家の猫えりんぎさんのお話でした。
またえりんぎさんの話はエッセイで書く気がしますが、今日はひとまずこの辺で。
また来週も、ここ陽だまりのかけらで会いましょう。