何色の変身スーツを着ようか
好きなものを好きなままでいること。
それから、嫌いなものの事も嫌いなままでいること。
それがいかに難しいことか、子どもの頃からずっと感じていて、大人になった今もその難易度の高さに肌をひりつかせながら生きています。
幼い頃は純粋に自分の好きな物を追いかけていたのかというと、多分そんな事もなく、私たちの生活には潜在的に「あなたはこれを好きになるべき」「あなたはこれを嫌ってはいけない」が存在していて、私はいつだってそういうものに目を光らせ、素早く察知して過ごしてきてしまいました。
みんなと同じ物ばかりを好きでいては、平々凡々と思われる。
かといって、自分の大好きな詩を書いたり文章で表現したりすれば、「ポエマー」などと馬鹿にされてしまう。
スポーツに打ち込んでいたためか、教室で読書をしているだけで「文武両道を気取ってる」などと通りすがりに吐き捨てられたりもして、読書好きも隠すようになりました。
いつしか、人には用意された変身スーツがあり、それ以外のものを着ようとすると矢が飛んでくるのだと思うようになりました。
「確かに、セーラームーンが突然セーラーマーズの服を着て戦い出したら、みんなびっくりするもんね〜」。
狭い狭い世界で生きていくしかなかった自分に、そんな風に言い聞かせ、私に用意された「普通」からはみ出さないように日常を淡々とこなしてきました。
大学生になったある日、音楽を聴きながらの長い通学中。
何気なくミックス再生していたアルバムのうちのワンフレーズに、思わず足を止めました。
みんなが嫌うものが好きでも それでもいいのよ
みんなが好きなものが好きでも それでもいいのよ
心臓がバクバクいうのを感じながら、その曲を頭から再生し直したのを覚えています。
それは、私の最も尊敬するアーティスト、星野源さんの『日常』という曲でした。
日常 作詞/作曲:星野源
無駄なことだと思いながらも それでもやるのよ
意味がないさと言われながらも それでも歌うの
理由などいらない
少しだけ大事な物があれば それだけで
日々は動き 今が生まれる
暗い部屋でも 進む進む
僕はそこでずっと歌っているさ
へたな声を上げて
みんなが嫌うものが好きでも それでもいいのよ
みんなが好きなものが好きでも それでもいいのよ
共感はいらない
一つだけ大好きなものがあれば それだけで
日々は動き 君が生まれる
暗い道でも 進む進む
誰かそこで必ず聴いているさ
君の笑い声を
神様は知らない 僕たちの中の
痛みや笑みが あるから
そこから
日々は動き 今が生まれる
未知の日常 進む進む
誰かそこで必ず聴いているさ
君の笑い声
夜を越えて 朝が生まれる
暗い部屋にも 光る何か
僕はそこでずっと歌っているさ
でかい声を上げて
へたな声を上げて
人と違うものが好きでも良いというある種の個性を称賛する曲はあっても、人と同じものが好きでも良いというある種の無個性まで包み込む曲はあったろうか。
大昔から止まってしまっていた私の日常が、突然動き出す音がしました。
サビだらけで、まだぎこちない動きだったけれど、それでも「好きなものを好きでいよう。私のスキについてこられないのなら、私ひとりで進んだって構わない」。
そんな風に思えるようになったのです。
そして、今。
私は毎週こんな風に、会った事もない誰かに向けて、愛の歌を歌っています。
私はここでずっと、自由に歌っています。
でかい声を上げて。
へたな声を上げて。