ゆるく泡立てたホイップクリームのような君へ
小難しいことから目を背けたい日があります。
それでも私が生きてゆく世界のことだ、と受け入れて立ち向かわなければいけない時もある。
私や私の大切な人の生活を守るため。
でも、こんな日くらいは。
ベッドに体の側面が半分くらい埋もれ、浴び続けたブルーライトのせいで目がしょぼしょぼする、こんな日くらいは。
納得のいかない、もがいても改善されない諸々を、なんとなくぼんやり「社会」とか「時代」のせいにでもしてしまおう。
いつもはそんなこと、悔しくって絶対にしないから。
たまには誰かと肩を組んで休み、私の大好きな動物たちの話でも聞いていってください。
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何度かエッセイやツイートにも登場していますが、我が家(実家)には大学生の頃から一緒に生活している、保護猫出身の「えりんぎ」がいます。
彼女と生活をしていると、呼び捨てをする気にはどうもなれず、「えりちゃん」「えりんぎさん」と呼んでいます。
「どうしてえりんぎ??」と思ってくださった方は、もし良ければ春頃に彼女について初めて書いたエッセイを覗いてみてください。
今でこそすっかり猫の話ばかりですが、子どもの頃は大きな黒いラブラドールと暮らしていました。
とても聡明で、穏やかで、楽しいことが大好きなワンちゃんでした。
私が生まれるより前から我が家にいたこともあり、「ペット」なんて感覚は皆無で、「お兄ちゃん」の方が近かった気がします。
庭で遊ぶにも、散歩するにも、学校の愚痴(泣きながらのなが〜いグズリにさえ)も付き合ってくれました。
彼が長い眠りについてから10年以上も経つのに、今でもたまに彼の気配を感じることがあるから不思議です。
子どもの頃、私がすぐに転んだり尻もちをつき大泣きをするので、遊んでいる時、彼はいつも私の背中側にピッタリとつき心配してくれていました。
今も見守ってくれているのだろうと、とても温かい気持ちになります。
先住犬の彼がお兄ちゃんだったのだから、えりんぎさんは感覚的に「妹」なのかというとそんなこともなく、彼女は「いくらでも話していられる友人」のように思っています。
いつだって彼女には見透かされているような気すらして、「実はさ〜」と日向ぼっこをしながらおしゃべりをすることもしばしば。
私が黙々と勉強している時には、居眠りをしないか監視してくることもあります。(監視員が眠気に負けていたけれど)
彼女の賢さや優しさ、チャーミングな姿に幾度となく救われ、生かされています。
同じ言語を操れたらどんなに楽しいだろうと思うこともありますが、じっと見つめゆっくりとまばたきをしてくれ、私もまばたきを返す。
その時間があれば十分に愛は伝わっている気がして、「一緒に生きてくれてありがとう」と抱きしめてしまいます。
「犬派?猫派?」と聞かれることがありますが、
「派閥争いで盛り上がるのは、サクサククッキーにチョコのかかったあの美味しいおやつの二大巨頭で十分だ〜」と思っています。
今日もこの星に暮らす全ての生き物(私たち人間も含めて)が、お腹いっぱいになり、ぐっすりと眠れることを祈って。
とびっきりの愛を、ここに。