未来へ
秋の空気をたっぷりと吸い込んだススキから生まれた、小さな綿毛がふわふわと飛んでゆく。
日の光がそれらを等しく照らし、照らされた綿毛は喜び踊る星のかけらのように見えました。
私はあの日に見た美しい景色のことを、一生、絶対に忘れないと思います。
私がどんな星にどんな姿で生きているのか、その証を残そうと決めたきっかけは、ある夢を見たことでした。
まだ寝苦しく、タオルケット一枚をかけて眠っていた夏の夜に見た、とても短い夢です。
どこか知らない土地にひとり、心細く周りをキョロキョロと見渡している。
少しして、見覚えのある姿を見つけた私は、走って追いかけます。
人をかき分けその人の腕を掴み、ただ一言「写真を撮ってください」。
そうお願いするのです。
数日後、私はその夢で久しぶりに会ったトナカイさん(@tonakaii)に、実際に写真を撮って欲しいとお願いの連絡をしました。
どなたかに自分ひとりを写してもらう時間というのは、初体験でした。
レンズ越しに私を見るトナカイさんを見た時、私は「恥ずかしい」と思いました。
ただそれは、「照れ」とは少し違う感情で、これは、私が文章を書き誰かに見てもらう時に感じる恥ずかしさに似ているのだと気が付きました。
生きることを、そのこと自体が愛なのだと言い切って生きる私が、包み隠さず表現すること。
その姿を、大切に思う人に丁寧に残してもらうこと。
その二つは、私にとってはとても似ているもので、恥ずかしいもので、けれどすごく楽しいことなのだと知ったのでした。
後日、送っていただいた写真のデータを見て、実は家でひとり、少し泣いてしまいました。
「あぁ、よかった」と思ったのです。
生きてて、よかったね。
ただひたすらに歩いてきたこの星で、こんな風に笑える誰かに出逢えて、本当によかったね。
トナカイさんが切り取ってくれた私は、紛れもなく等身大でした。
笑ってばかりで、たまにふざけて、ぼーっとすることも知った私。
それから、とても驚いたのは、ここまで読んでいただき伝わっているかと思いますが、この日の写真をみんなに見てほしいと思ったことです。
今まで自分の写るものを見て感じた、表現しがたい嫌悪感のようなものの無い不思議な感覚。
長い時間をかけて絡みついた見えない蔓を、一生解けないと思っていた拘束を、トナカイさんが丁寧に解いてくれたのかもしれません。本当にすごい。
光でその人の真の姿を描き写すこと。
その技術で、辿ってきた足跡や抱きかかえる日常までも照らしてしまう。
あの日の記憶が、受け取った愛の記憶が、きっとこれからの私をまた守ってくれるのだろうと思います。
そして私は度々この日の写真を見返して、
「よかった、大丈夫。私の望みは嘘なんかじゃない」
と、記してもらった自分の姿に勇気をもらうのだろうと思います。
未来へ。