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ひとりだってちゃんと生きられるあなたと

どうしてもやらなければならない事があり、しばらく家を空けていました。
あれやこれやとバタバタ過ごし、自宅に帰ってきた数日前のこと。

高速バスを降り、電車に乗り、家に向かって歩く。
ゆっくり、良いことも悪いことも自分のことだけに思考を巡らせる贅沢を感じ、重い荷物を何度か背負い直しながら、帰ってきました。

これは本当に不思議なことなのですが、その道すがら、「そうだ、夕飯にあれを作ってみたいのだった」とか、「今年はこんなこともしてみたい」とか、「あの人は元気だろうか、久しぶりに連絡をしてみよう」とか、そういういつだって考えられそうなことを、しばらくぶりにまじまじと考えていました。

私の自宅のあるこの街には、知り合いが全くいません。
おそらく私にとってそれは、いつの間にか生まれ育った安心できるはずの場所よりも余程、自由な思考に直結する場所になっていたのだと思います。


午後の3時ごろには家に着きましたので、久しぶりに迎えてくれたのは、パートナーのまだ帰ってきていないシンと静まったこの部屋でした。
まずはぬか床を混ぜなくては、などと考えながら、部屋を見渡すと、ふと目に入ってきたものがいくつかありました。

四角く折り畳まれた布団、ピンと干された洗濯物、水切りラックに並ぶ朝食に使ったであろう食器たち、冷蔵庫には彼が丁寧に作ったらしいきんぴらごぼうの残り。

ちゃんとに、生活をしている。
この人は、一人でも生活を大切にできるのだと、静かな部屋は教えてくれました。

それはとても難しいことだと、私は知っています。
自分だけのために、にんじんやごぼうを細く切ることの面倒くささや、ましてや自分の身の回りのことをできるようにならないまま大人になった、大きな赤ちゃんも嫌というほど見てきました。
ちゃんと生きられるというのは、本当にすごい。


日が暮れて、彼が良い匂いをさせながら帰ってきました。
片手には駅前のラーメン屋さんでテイクアウトした二人前の餃子。
「一緒に食べようと思って。あとは、あの番組の続きも早く一緒に見よう」
そう言いながら、彼はにこりと笑っていました。

ひとりだって、ちゃんと生きられるあなたと、ふたりで、生きてゆくのだ。

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