全てはカラダが知っている
私の人生、このカラダに左右されてきた。
まあ、
みんなそうなのかもしれないけど、
私の場合それが顕著だったのかな、
と思う。
何かが嫌な時、
言葉にはできなかったけど、
体が動かなくなった。
とにかく疲れやすい子供だった。
初めは学校が嫌だった時、
体が動かなくなった。
お腹が痛くなった。
あれだけ憧れて
新卒で入った会社だったけど
仕事が嫌になった時、
朝起きられなくなった。
涙が止まらなくなった。
別の仕事が嫌だった時、
辞めさせられるような事件を起こして
辞めさせられた。
そして、安堵した。
条件と「自分の身近にやってきた」
というだけの理由で婚約した時、
またもや涙が止まらなくなった。
彼が借りてくれたアパートを飛び出して、
二度と戻らなかった。
自分の人生で一番辛い出来事(後々発覚)
をもたらした男子に引っかかった時も、
ある事が判明する前に、
急に彼の全てが
吐き気をもたらすようになった。
自分で立てた計画を遂行するのに
自分にとって最適な時ではない
(その時の自分には分からないけど、
後々判明するようなもの)時、
急にその計画を遂行できなくなるような
何かが起きて、
計画が白紙になったり、
延期になったりした。
1ミリも辛い事を我慢できない大人になった。
全部、自分の頭で考えて辞めた
とかではなくて、
身体的反応として現われた。
もちろんこれは、
ネガティブな事ばかりじゃない。
何かを辞めたり、
飛び出したり、
ほうほうのていで逃げ出したりした先で、
素晴らしい人や物事と出会ってきた。
今、私が働いている職場は、
私にとっては天国のような場所だ。
それも、仕事を辞めさせられて
婚約破棄してボロボロになっていた時に、
たまたま行ったボランティア先で
出会わせてもらった。
今の彼は私の運命の人だと感じているけど、
彼との出会いから同棲への流れも、
理屈じゃ説明できない、
本能的なものだった。
カラダは全て知っている。
次の一歩はどちらの方角に踏み出せばいいか。
どこに自分の幸せは眠っているか。
でも、それは決して
理屈で説明できるものじゃない。
親になんでと聞かれるけど、
全く説明できない。
私にできる事は、
ただひたすら、
その「なんでも知っているカラダ」
のご機嫌を取ることだけ。
あれが食べたいと言ったら
それを食べ
出したいと言ったらそれを出し
眠りたいと言ったら眠り
動ける時だけ動く。
必死に自分のご機嫌をとりながら
生きていると、
人生の岐路に立った時
自分の頭よりも正確に
カラダが道を、示してくれる。