フラメンコの先生
昔、車の会社で働いていた。ものすごく希望して入った会社だった。当時その会社は正社員募集をしていなかったのに、足繁く展示会に通ったり代理店に伺ったりなんだりして顔を憶えてもらい、なんとか入れてもらったのだ。
その会社の下の階には、フラメンコ教室があった。ショールームの窓ガラス越しに外を眺めていると、よくフラメンコの衣装を着た日本人のダンサーさんや、そのお師匠さんであるスペイン人の先生が通りすぎていった。衣装が派手で美しくて、その踊り手である彼女たちも美しくて情熱的(に見えて)で、心震わされた。
入りたくて入りたくて仕方なかったのに、実際に入ってみると、自分はダメ社員の極みだった。どうダメだったかというと、車の事が全く分からず、学ぼうとしても頭が真っ白になって何も入ってこず、結果何も学べず、もちろん、新卒で入ったので一般常識や会社で基本的になすべき事も全く知らなかった。極めつけは「2年間車の会社で営業をしていて、1台も車を売れなかった」とまで書けば、私のダメ社員ぶりが分かるだろう。
憧れの会社に入ってみて分かったことは、自分は別に車が好きなわけではなく、その会社の車のデザインや、会社設立から今までの魅力的なストーリーに「憧れていた」だけで、実際は仕事の内容自体がやりたい事でもなければ、得意な事でもなかったのだ。
そんな私が多少できる事と言えば、SNSの運用くらいだった。といっても「私の中で」なので、一般的な基準から見ればそれすらもできていなかったが。そしてSNSの運用ができていないという事はすなわちネットリテラシーというか、ネットの世界の常識も知らない、という事だった。
ある日SNSの運用を頑張ろうとした気持ちが空回りして、自分の会社をエゴサして、その会社について言及しているツイートがあれば、数年前のものであってもコメント返しをする、という暴挙に出た。今思い出すだに恥ずかしい。その事によりネット上で「株式会社〇〇のTwitterが気持ち悪い。数年前のツイートにまで返信された」と言ったツイートが噴出し、たしかYahooトピックスにまで載った(ここら辺は記憶が定かではない)。
それで会社の上司に怒られないはずがない。たかがSNS、されどSNS。SNSでの対応や発信の仕方によって、会社のイメージが良くなることもあれば、逆に少しの過ちで大打撃になったりもする。そして今回の過ちは、すぐに本社の広報部の方が気づいて鎮火してくださったから良かったものの、そうでなかったら私の暴走は止まず、大打撃になっていたはずだ。
その日はもう申し訳なさと恥ずかしさと消えてしまいたさで、人目も憚らずシクシク泣きながら帰っていた。
ショールームの外の坂道を下っていると、前からフラメンコの先生🇪🇸が歩いてこられた。彼女と私は、会社の前で目が合えば会釈するくらいはあったが、面識といえる面識はなかった。
しかし泣いてる私を見て、彼女は私を抱きしめたのだ。ほぼ他人と言っていいくらいの、ただ上の階で働いてるだけの私を。私が道端で泣いていたからといって、彼女が私を慰めなければいけない義理はないのに、ただただ抱きしめてくれた。
彼女は日本語も英語もあまり話せない。私もスペイン語は分からない。彼女はひとしきり私を抱きしめた後、彼女の知ってる英語ととびきりのスマイルで「大丈夫になるから。元気出して」的な事を言ってくれた。
ほんの数十秒、長くて1分くらいの時間だったけれど、私はこの異国の女性の
やさしさに救われた。