専門の話 ver.1
ある人との予定がキャンセルになって午前が開く。
どうしようかな〜、せっかく飛騨に来ているし、木材に関するところを回るかな〜と思いつつ、ダラダラと時間を過ごす。
たまたま神岡の道の駅に泊まっていたから、道の駅を軽く散策しようと思う。
神岡はかの有名なスーパーカミオカンデがある。
私も名前は知っていたが、なんなのかは知らなかった。
が、スーパーカミオカンデ、ニュートリノ、素粒子の解説を読んだらまあ面白いこと、面白いこと。あっという間に時間が過ぎた。
今すぐこの旅を終えて、高校から勉強をやり直して大学に行きなおし、素粒子の研究者になりたい、とさえ思うほどだった。
今自分は、林業や木材業を専門にしている。森林、木材や林業も長い長い時間スパンで見たら研究という直線上でもいつかはニュートリノに辿り着くのかもしれない。そう考えたら、自分の専門はあくまで出発点に過ぎないなあ、と思う。
一方で、最近、あらゆるモノ、コトの「総量」についてぼんやり考えることが多い。
もうすでに、ある程度数値化されている日本の森林蓄積量や林業従事者数のことから、この世にある情報の総量ってどれくらいなんだろう、とか労働力の総量ってどれくらいなんだろう、みたいな定義の仕方でいくらでも変わるし考え方でもいくらでも変わってしまうぼんやりとしたものまで。正確な値が知りたいわけでも知れるわけでもなくて、その総量に対しての自分の持ち分、取り分ってどれくらいなのか、を考えるのが個人的には楽しい。それでもってこの世に無限にあって、かつ生まれ続ける情報の総量から見たら自分1人が自分の人生の時間の中で得られるものなんて本当にちっぽけなものだろう、と私は思っている。そう考えると、専門は途端に終着点にもなり得てしまう。
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