それでも「ダメなあなたでいて欲しい」
ノートを片手に青い空を見上げる。
雲一つない空がどこまででも続いている。
そんなことを思って上を向いているんじゃない。目に溜まった涙が溢れないように、私は空を見上げた。日差しが強い外の世界とは裏腹に、私の心は沈んでいた。
「私にはできない。」
そうに声にした瞬間、こらえていた涙が一気に芝生の上に滴った。そして、何も落ちなかったように水滴すらも残らない。やっぱり私は変われないんだと思い、そんな自分に不甲斐なさを感じていた。
大学のディスカッションのクラスが終わった時のことだった。
私は、人前で話すことができない。そして、自分のの思ったこと感じたとこと人に伝えることがとても苦手だ。これは今から始まったことではない。
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この記事と長々と書く前に伝えたいことがある。
自分のダメなところを受け入れるってすごく勇気がいる。それを、人前で認めるって、もっと勇気が必要なことだ。
私は自分のダメなところを隠そうとしたり、見て見ぬふりをしたり、変えようとしたりしてもがいてきた。でも、そうしているうちに自分を否定して、そして自分に失望して、悲しくなった。
だから、私みたいにもがき苦しんでいた人に「ダメなあなたでいてほしい」って伝えたい。ダメなあなたを受けいれて、それでもあなたでいてくれることを願っている。
学生の時、日直という避けては通れない司会当番がある。朝会から始まり、自分の興味のある新聞記事を発表する。授業の前後には、号令をかけ、帰りの会の司会で幕が閉じる。
私にとって日直は悪夢でしかなかった。今でも、覚えている、「声が小さい。もう一回。」先生が私のワタシを睨みつけて、声を荒らげる。同じ学級の友達が見ている前で、震える声で私はもう一度繰り返す。シャイだった私にとってそれは公開処刑でしかなかった。
もう一つの悪夢は音楽の授業。特に中学の音楽の先生は声が小さい生徒を排除するようなやり方をしていた。その先生は授業の終わりに、大きな声で歌えている生徒から教室に返す。そして、必然的に声の小さい生徒が教室に残される。私はいつもその一人だった。そして、教室に入っていくとき、皆の目線が痛かった。
大きな声で話すこと。人前で話すことは、小さい時から苦手だったし大キライだったから、今までそれをずっと避けてきた。でも、キライなことだからと言って、思い通り避けて通れないこともよくある。
そして、そのような機会になるたびに私の体は硬直する。そして、ポジティブなエネルギーはどこからか姿を消すのだ。そして、人前でうまく話せなかったりするたびに私は自分に失望し、悲しくなる。だから、私は何度自分にがっかりしたのが数えきれない。
でもある時思った、
うまく自分のことが伝えらなくてもいいんじゃない。声が小さくて何が悪いのだろう。たとえ、それは言葉として伝わらなくてもその思いが伝えることのほうがもっと大切なのだ。自分ができないことに対してがっかりして、悲しくなるよりも、できない自分を受け入れて進むことのほうがいい。
ずっとなりたい自分になるように頑張るよりも、こんなできないダメな自分を受け入れようと思って生きてきたら、この私の弱みは私の強みでもあることに気が付いた。
それは、私は話し手になるよりも聞き手にとして人の悩みや相談を聞いてあげられることだった。
最後に。。。
周りの人たちは、彼らが信じているそうあるべだという基準で評価をするかもしれない。
それでも、ダメなあなたにがっかりしないで欲しい。
あなたのネガティブな面や苦手なことに目を向けて、あなたを悲しませるかもしれない。
それでも、ダメなあなたに絶望しないで欲しい。
誰も「ダメなあなた」を受け入れてくれないかもしれない。
それでも、違う誰かになろうとするよりも「ダメなあなたを」受け入れて、あなたらしくいてほしい。
だって、あなたのダメは決して弱にだけにとどまらないかもしれないのだから。