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人生のページを白紙に戻すとき

人生のページを白紙に戻した瞬間から私の人生は本当に始まった。

今でも、そこがスタート地点だったということは確かにわかる。私は、そこから本当のワタシに近づくこともできたし、自分が望んでいる生活や人生を生きるきっかけになった。だから、人生に行き詰って、先が見えない時、八方塞がりで何もできない時、人生のページを白紙に戻すのはどうですかと提案したい。

私は、18歳の時高校卒業と同時にオーストラリアへ旅立った。知っている人が誰もいない場所で。何も知らない街で生活を始めることに決めた。そして、過去の思い出は実家という箱の中にしまって蓋をしてきた。

私の過去も人生も考え方、性格も何もかも知らない人の中で人生を白紙に戻すのは簡単だ。

人生のページを白紙に戻すのは、ノートの新しいページに自分の思い描いた日常を描いていくようなものかもしれない。真っ白なページには、これを書かなければいけないという決まりもない。文字を書いてもいいし、デッサンをしてもいい、望んでいるならば絵具を使ってカラフルなページを作ることもできるだろう。そこには自由がある。

私がページを白紙に戻した時も同じだった。そこには、解放されたという気持ちと不安な気持ちがあった。真っ白なページに何かを書かなければ、そんな焦った気持ちもあったのかもしれない。頭の中で、想像する。想像はいつだって自由だ。そして、これは自分がいいまままで描けなかったものを描くチャンスだということも知っていた。

そして、私の心は知っていたのだろうか、思ったよりもすらすら書き始めることができた。それは、自分が望んでいたような生活だった。

私は、群馬の田舎に住んでいて、中学生の頃からずっと海外に行くことに憧れていた。だって、そこには規則があるのにほんとにちっぽけな自由しかなかった。そして、人は社会という物差しを使って私を評価するから息苦しかった。学校も習い事もすべて、完璧にこなさなければいけないという変なプレッシャーも感じた。こんな檻の中から解放されたい、そんな気持ちが募っていく毎日だった。

こんなところにいたら、自分が何を描きたいのかもわからなかったし、どんなことを描くことができるのかもわからなかった。この、少ししかない余白の中で何を表現すればいいというのだろうか。自分のページなのに、そこには自分が望んだものが書かれていないのは確かだった。そこには、先生から、親から、社会が望んだ白黒の絵だけがあった。それが、いっそう私を悲しくさせた。

でも、白紙のページに書き始めた絵は私が想像していたものに近かった。例え、変なところがあったとしても私を満足させた。前のページを比べてみても、そこには色があり、自分らしさがにじみ出ていた。そこに書いてあったのは、自分が望んで描いたものばかりだった。それを見て天にも昇る気持ちになった。

ページを白紙に戻すは、ある人にとったら勇気がいることかもしれない。でも、きっと新たな扉を開いてくれる。想像もしなかった発見があるかもしれない。

写真:PexelsのTirachard Kumtanomによる写真


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