心で奏でる音を聞きたい
「ピアノは心で弾くものなの。」
その言葉を言われたとき私は意味がよく分からなかった。
私は4歳の時からピアノを習っていた。当時、教わっていた先生が厳しかったせいか、あまりピアノにいい思い出がない。確かにピアノを習い始めたいと言ったのは私だけど、子供ながらこれは自分に合っていないなと思っていた。手は小さし、全く音感もない、そして何よりも練習がキライだった。
私は、ただピアノをやらされているだけで、心から楽しんだことなんて全くなかった。
でも、なぜだろう。私は社会人になってからピアノを再開した。家に電子ピアノを買って、レッスンに通い始めた。仕事が忙しくて、家でもできる趣味が欲しかった。仕事が10時に終わって、毎日クタクタになって帰宅する白黒の生活に音という色を足したかったのかもしれない。
ちょっとカラフルな日常、そんなことを夢見ていた。
再開して初めて弾きたいと思ったのが、パッヘルベルのカノンだった。結婚式でよく使用され、とても神聖で心が癒されるような曲。こんな曲が演奏できたら素敵だな、そんなことを思いながら練習を始めた。でも実際、全然思い通りに弾けない。指が動かない。思ったように表現できない。自分のイメージ通りに弾けないことがとても嫌だった。ピアノの発表会に間に合うかな、そんなことだけを考えていたら焦りだけがどんどん募っていった。
それを音で感じ取ったのか、先生は私にこう言った。
「ピアノは心で弾くものなの。」
意味がよく分からなかった。その意味をようやく理解したのは後になってのことだった。
心が曲の音に、メロディーに現れている。私が、奏でていた音は、きっと、葛藤と焦りで味のないメロディーになっていた。
私が奏でる音は、頭と指先でしかなかった。そして、聞いている人はきっとそれをいとも簡単に感じ取るのだろう。
心のない曲に何の意味があるのだろうか。
心のない演奏の何が美しいのだろうか。
心のない曲は、どんな素晴らしい曲でも、演奏者がどんな素晴らしいテクニックを持っていたとしても結局、空っぽの曲なのだろう。
それが分かってから、私は自分の心で演奏しようと決めた。
自分の心のイメージを音で表すように演奏したいと思った。カノンを演奏しているときは、黄色のお花畑があり、川が流れている、天国のような素敵な場所をイメージしながら演奏した。
ちょっと、上達したと感じた私はお母さんに聞いてもらうために実家に帰ってピアノを弾いていた。もちろん、精一杯の心を込めて。
それを聞いたお母さんは泣いていた。おばちゃんのことを思い出ていたといった。そして、私もおばちゃんがとても近くにいるように感じた。小さい時、いつも私がピアノに行くとき弟の世話をしてくれた。こうして、私がピアノを弾けるようになったのも、おばちゃんのおかげだった。お赤飯を買ってきてくれて、たくさんの愛を与えてくれたおばちゃんがとても近くにいる気がして、私の目は涙であふれた。
そして、「心」それが何よりも大切だということに気づいた。