頷く
私の家系は、親族がそれぞれ近くに住んでいた為、お互いの家を行き来して集まる習慣があった。
特に定められてる訳では無くて、何となく、代々続いていた感じ。
良く言えば、付き合いを大事にする家族。でも悪く言えば…これと言った用事も無いのに集まっては、どうでもいい他人のゴシップで盛り上がるだけの間柄。
それでも子供の頃は、親族の中に混じって過ごすのを当たり前のように思っていたし、従姉妹達とも仲が良く、大人達も一緒に遊んでくれたから、単純に楽しかったのだが…
ある程度歳を重ねた段階で、自然と距離を置き始めた。
特に、母の姉…私の伯母に至っては、顔を合わす度、あまり良い気分にならなかった。
伯母は、学歴とキャリアが全てという考えが強く、何かあると、すぐその話になったからだ。
それだけならまだ許容出来たけど、伯母は更に、近所に住む同世代の子供と自分の子供を比べては、「あれは駄目だ」とか「結局貧乏生まれは貧乏のまま」…と、偏った根拠の無い理由で、周囲の人ををジャッジしていた。
私も例外ではなく…平凡な面白みのない子供として、扱われていた。
伯母の家は、旦那さんが大手企業の役付きで、子供は私立名門校。
でもそれは、伯母の家族がたまたまそうであるだけで、「それぞれ事情があるから」と何度誰かが話しても、伯母は曲げなかった。
それは、歳を取る毎に確固たるものとなり…次第に、まともに伯母の相手をする親族はいなくなっていた。
近所の同じような考えの人とはつるんでいたようだけど…それも、数えるほどだったという。
「いつも、『自分1人だけが秀でている』という自負があった」と、母から愚痴混じりに聞かされた事も度々あった。
それでも、私は少しだけ、伯母の気持ちに同情していた。
なんせ、集まって何するかと言えば、近所の噂を肴に、酒を嗜むだけなのだ。
しかし、ある年の冬…祖父母が相次いで鬼籍に入ったのを境に、それまで表に出なかった親族同士の溝が、一気に深まっていった。
遺産を巡る骨肉の争いの果てに…という、おどろおどろしい原因では無く、祖父母の存在で何とか保たれていた均衡が、ついに崩れた、という感じだ。
離婚したり、離散したり、あれだけ付き合いを楽しんでいたのが、お互いを憎み合う言葉が多くなり、ボロボロだった。
それは我が家も例外ではなく…私は、家の中で響く恨み節から、逃げるように家を出た。
どこに行きたいとかは特に無く…ただ、離れたかったのだ。
結果、縁もゆかりも無い土地に移り住み、知り合いも友達もいない場所だったが、地元に比べたら全然マシで、枷が一気に外れた事もあって仕事や遊びに全ての時間を費やし、
このまま、地元には帰らず暮らそうとまで考えていた。
そんな時だった。
「ユキちゃん、亡くなったよ」
4年ぶりに連絡して来た母からの第一声は、余りにも現実味が無いものだった。
正直、間違いかイタズラ電話だと勘ぐってしまう位、姪の訃報を伝える連絡にしては母の声は冷静過ぎて、思わず聞き返した。
だが、私の心配をよそに、母は言葉を続けた。
「今日、通夜だけど、無理して来なくて大丈夫だから」
…その言葉に、私は妙に納得した。
ユキちゃんは中学から私立に通っていたため、顔を合わせる機会が減ると同時に疎遠になっていた。
仲が良かったのは、幼稚園から小学4年生くらいまでの数年間だけで、伯母の事もあったし、もう随分と会っていない。
とは言え…突然の訃報。しかも私と同年代の、まだ20そこそこの彼女が亡くなったのだ。家族と離れたけど…だからと言って、他人事で片付けられる程のメンタルは持ち合わせていない。
私は、母に参列すると伝え、その日の内に帰省した。
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教えられた葬儀場へ向かうと、既に通夜は行われている最中で、見た事のある顔が、会場に入っては出て行くを繰り返していた。
小学校時代の同級生、昔一緒に遊んだ、近所の家族…
ユキちゃんは、子供の時から学業も性格も優等生で、交友関係は割と多かった記憶がある。
知らない土地で、世話しなく時間と体力を消耗している自分よりも、ユキちゃんのほうがずっと、充実していたのかも知れない。
だからこそ、なぜ突然亡くなったのか、理解できなかった。
尚も実感が沸かない中…会場内へと足を運ぶ。
その時…すれ違いざまに、1人の女性が私に気づき、声をかけてきた。
「もしかして…沙世ちゃん…?」
それは、私の中学時代の同級生。Aだった。私はとっさに、
「Aちゃん、久しぶりだね」と返したのだが…Aはいきなり私の腕を掴むと、斎場の横にある廊下に私を連れ出した。
「Aちゃん!?」
振り払おうとするも凄い力で…Aはヒールが脱げそうな勢いで、私を引っ張っていく。
廊下に出ると、今度は奥まで続く廊下をひたすら進み…ようやく足を止めたのは、突き当りの右側にある、倉庫のような部屋だった。
カビと埃の臭いが仄かに立ち込める薄暗い空間で、日中の日差しが、小さな窓から入るのみ。
Aは握りしめていた腕をようやく離すと、「ごめん、いきなり…でも、こうしないと、ちょっと…」と、息を切らしながら言った。
意味が分からず、握られた腕が少し痛かったのもあって、私は強めに、
「説明してくれる?」と、Aに迫った。すると、Aは申し訳なさそうな顔をして、一瞬横目で斎場の方を見ると、
「なんか、ヤバいの…」
…そう言って、背後にあった什器に腰を下ろした。
Aは就職を機に隣県で生活していたのだが、私と同様、家族からユキちゃんの訃報を聞き、戻って来たそうだ。
Aも、ユキちゃんとはさほど交流は無かったけど、ユキちゃんの家族からどうしても出て欲しい、と両親から聞かされたそうで…取り急ぎ支度をして、会場に足を運んだという。
しかし…署名を済ませていざ中に入ると、すれ違う弔問客の殆どが、口々に疑問を呈する言葉を口にしていたらしい。
それも、非常識とか、理解に苦しむとか、そういうニュアンスでは無く、「あれは何?」という感じ。
一体何の事か意味が分からず、呼び止めて聞こうにも、皆その場から一刻も早く離れたいのか…足早に去ってしまうそうだ。
ユキちゃんの事を言っているのか、それとも他の理由か…疑問を抱えたまま焼香の列に並び、順番を待っていたのだが…列が前に進むにつれ、その理由が分かったそうだ。
終始、弔問客に頭を下げる旦那さんの隣で…伯母が、ニコニコ笑顔を浮かべていたそうだ。
悲しいのをこらえて、どうにか笑顔を浮かべているという感じではなく、
ニカーッと歯を見せた、満面の笑みだったらしい。
「あ、伯母さんとうとう壊れたな」と思った。
大事な1人娘…それも、自分の望みを満たしてくれる優秀な子供を失うなんて、露にも思っていなかったのだろう。
自身のプライドと負の感情と絶望とがぐちゃぐちゃになって、とうとう精神的におかしくなったのだ。…と。
しかも、伯母は笑みを浮かべるだけじゃなく、私やAの様な…ユキちゃんと同世代の若者が焼香を上げる度、顔を覗いては、仕切りに、
「うんうん」と首を上下に振ったり、「ううん」と横に振ったりしていたという。
「わたし、お焼香上げる前に出てきちゃって…余りにも怖くて」
Aは、声を震わせながら言った。怖がるのも無理はなかった。
何故なら私も、斎場に足を踏み入れた瞬間、空気が一変したのを感じたのだ。
ただの葬式なのに、体が自然と、何かから身を守ろうとする感覚…
まるで、商談先でプレゼンするのと、同じくらいの緊張感。
けど、私は身内で…もし焼香すら上げてないと分かったら、私は良いとしても、親は近所から色々と言われるだろう…そう思うと、来た道を引き返す事は出来なかった。
「Aちゃん…とりあえず、焼香だけ終わらせてくるから待ってて。伯母さんね、前からちょっとおかしかったのよ…怖いかも知れないけど…大丈夫」
私は、心にも思っていない事を言ってAをなだめ、外で待ち合わせする約束をして斎場に戻った。
焼香の列はすでに短くなっていて…参列者も殆ど帰ったのか、地元の小さな催事場の筈なのに、だだっ広く感じた。
あと3人…あと2人となり、とうとう自分の焼香の番になる。
Aの言う通り、伯母は満面の笑みを浮かべていた。けどそれは、まるで能面か何かのようで…視線が何処を向いているのかも、分からなかった。
わたしはどうにか視線を外し、見様見真似の作法通りに焼香をつまんで落とした。
と…その時だった。
「うん、うん!」
すぐ耳元で声が聞こえたかと思うと…私の右頬に生暖かい空気が掛かった。
いつのまにか、伯母が私の真横ギリギリに、立っていたのだ。
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「うん、うん!」
伯母とは思えない、無邪気で明朗なその声に、私は思わず小さな悲鳴を上げて逃げた。そして催事場入り口で待っていたAの元に駆け寄り、急いでその場を後にした。
終始、一言も言葉を交わさなかったけど…私の実家の玄関の前で、別れ際Aは一言だけ、
「…気を付けて」
と、言ってくれた。
それがどういう意味を持っていたのか、その時の私は考える余裕も無いくらい疲労が溜まっていて、実家の自室に戻ってすぐ、眠ってしまった。
だが…いつの間に時間が過ぎたのか、ふと目が覚めると夜の7時を回っていて、急いで着替えをして実家を出ようとした時…
「うん、うん!」
外から、聞き覚えのある声を耳にして、体が固まった。
声は一人だけじゃなく、男女含めて3、4人ぐらい。
それが一斉に、「うんうん」と、何かに賛同するように、声を出し続けている。…家の前で。
カバンを握りしめながら、その場で固まって動けなかった。すると…傍で自室のドアの開く音がして、母が入って来たのが分かった。
「お母さん…あの…声…」
「わかってる」
母はそう口にすると、私の手を引いて階下に降りた。
一段一段下りる度、外の声が近くなって足がすくむ。だが、母は落ち着き払って私を1階まで連れてくると、台所から持ってきた清酒を手に取り、私の顔や体に雫を飛ばした。
私は、呆気に取られていた。外で異様な事が起きているのに、母は全く動じない。
まるで、あの声が家に来る事を、あらかじめ知っていたとでもいうような身のこなしで…私が今まで見てきた母の姿とは、明らかに違っていた。
そんな事を考えている間に、母は車のキーを持って台所の奥の戸を開け、ガレージへと向かって行く。
そして、車のエンジンをかけると、私に早く乗るように言った。
言われるがまま、後部座席に乗り込むと、母はすぐに車を出して、そのまま正面に回った。
そして、裏通りから正面に回り切った瞬間、声と人の姿がはっきりと、窓越しのすぐ近くに映りこんだ。
伯母と、その後ろに見た事の無い中年の男女…その全員が、満面の笑みを浮かべながら、「うん、うん、うん、うん…」と、ひたすら言い続けている。
「ねぇ…何あれ…!!」
余りに異様な光景で、思わず涙が出た。
だが、母は何も答えない。伯母達を横目に、何事も無く通り過ぎると…そのまま真っすぐ車を走らせた。
追ってくるかも知れない、という恐怖で、私は身を屈めた。酔いそうになるのを必死で抑えながらひたすら時間が経つのを待つ。
暫くして車が止まると…そこは、駅のロータリーだった。
時刻的には、まだ家に帰らなくてもいい時間なのだけれど…母に促された以上、そうするしかない。私は荷物と共に車を降りた。
私が降りたのを確認すると…母は助手席のミラーを開け、私に向けて一言、
「もう、帰って来なくて大丈夫だから」
そう言って、あっという間に戻って行った。
傍から聞けば残酷に聞こえるだろう。
けど…私は何故か、ほっとしていた。
あれは、母の形をした「何か」…そうとしか、感じられなくなっていた。
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それからはもう、私は地元には一度も帰っていない。
1度だけ、「母」から手紙が来たのみで、家族との交流も殆ど無くなってしまった。
手紙には、
伯母が、ここ数年、地元の自然信仰に傾倒していた事。
ユキちゃんは実は生きていて、地元とは別の場所にいる事。
葬式は、ユキちゃんの「存在の死」を形付ける為に行った事。
伯母は、ユキちゃんの代わりを探していた事。
その内の一人が、私だった事。
そんな内容が、箇条書きで書かれていた。
理由も原因も書かれていない。現状もどうなっているのか分からない。
けど、私には気づいた事がある。
あの葬儀の日、傍らで聞こえていたのは、お経というには少し不自然なものだった。
何か詩のような…でも、神社の祝詞とも違う。抑揚のない音程で…日本語には決して聞こえなかった。
そして、母に対する、あの違和感…
いや、信じたくない。そんな事。でも…!
「…あ、もしもし…お母さん…?…元気にしてる?」
「うん、うん、うん、うん、うん、うん」
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