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#2 昨日から台北

 昨日、早朝の飛行機で羽田から台北へ。古亭駅を出て信号待ちで立ち止まり、あーやっと来れた!という気持ちになるかと思いきや、もっとふわっと、特に何というわけでもなくもわっと、ただ連続して今ここにいるような気分になるだけで、意外だった。信号の向こうのいかにも台湾人ぽいおじさんや若者を見ていると、最後にここで信号待ちをした時と今ここで信号が青になって歩き出す時がまるでそのまま連続しているような気持ちになる。ここに来るまで結構頑張って荷造りしたりしたのにな。

 実際に身体を移動させるのより、チケットを買うのこそ「えい!」とテレポーテーション並みの気合いがいった。身体の移動は、チケットさえ予約してれば、日本の家から台湾の実家まで、グーグルで検索した予定の時間通りに、駅、ホーム、空港、搭乗口、MRTの出口等、いくつかの点から点へ、徒歩やら電車・バス・飛行機とか乗り物で次々つないでいって、その時間の流れとともに私の体は自動的に移動してくれる。その間うたた寝していようが、全く違うことを考えていようが。チケットを買うのはというと、もっと自ら神経を集中させて、意思を持って動かないと自動では何も流れていかない。もう少し待ったらちょっと安くなりそうだな、とか、この日の予定がまだ見えないからなあ、とか考えている間、やはり時間は流れていくけど、私はどこにも動かない。「買うのは今です!」という点を自分で打って、ああ自分は今この点に立っている、だから私は今ほかならぬこのチケットを買うんだ、と、いつもと同じようにパソコンの前でだらっと座ったままに実感し、動く、しかもその動きというのが、トラックパッドの上で指をちょこっとスライドさせてポチる、というだけの運動で、頭をぽりぽり掻くより小さなその指先の動きが、その後数ヶ月の私の人生をスタートさせ前進させていく動きなのだなんて、まるでバタフライエフェクトのようだ。でも私の東洋医学の先生も言っていた。麻婆豆腐を食べたい、という気持ちがあったからこそ今目の前に麻婆豆腐があるのであって、このことはものすごい重要なことですからね、と。台湾に帰りたい、という気持ちがあったからこそ、今この信号が青になって渡っている。

 今台北の実家の自分の部屋で、窓を開けてこのnoteを書いている。昨日は少し寒かった台北も、今日は晴れていて外が暖かい。朝ごはんに近所のスーパーで買った Matcha Flax Seed Pancakes というパンケーキミックスを使って母と久しぶりにパンケーキをつくった。ちょっと緑色。産地は台湾、どこのブランドかは不明。キョンのスネ肉、緑豆、きのこのスープ。ししとうと卵と小魚を炒めたの。大根、にんじん、キクラゲ、豚の頭皮の煮物。ミニトマト。牛蒡とケツメイシのお茶。食べ終わって、ベランダで母と植物の手入れをして、愛之助も私たちに付き合ってベランダに出てきた。ブーゲンビリアとマーガレットがよく咲いている。トマトも花が咲き始めた。ベゴニア、ラン、日日草、インパチェンス。アマリリスの大きなつぼみがもうすぐ咲きそう。台湾は明日2月28日の和平紀念日が火曜日だというので、今日月曜日も調整放假でおやすみ。連休だから昨日も空港の人出が多かったのか。昨日も今日も、近所の誰か同じ人がバイオリンを練習しているのが聞こえる。鳥が羽ばたいている。

 時間さえ流れればどんなに大変そうに思えても全てのことは終わっていく。前回のnoteを書いてから、東京(吉祥寺)、埼玉(越谷、上尾、蕨)、神奈川(茅ヶ崎)の5か所でライブがあり、青森(八戸)で録音があって、全部で6回、人前で歌う機会があった。ああやってあちらこちらで歌っていた私がここにいる私と同じ人なのかと思うとちょっと不思議だ。だってなんか全然違う。母と台北の家にいて、ここでタイヤルの歌を歌ったりすることはない。日本では5か所のライブ全てでタイヤルの歌を歌った。一人でピアノ弾き語りで、お客さんにもタイヤル語でコールアンドレスポンスで加わってもらって(させて?)、ギターと一緒にピアノ弾き語りで、コントラバスとギターと一緒に歌だけで、ピアノと一緒に歌だけで。ここでは母と買い物に行ったり、とにかく三食一緒に食べたり、他愛ない噂話、おばのこと、また別のおばのこと、いとこのこと、また別のいとこのこと、母の夜間中学の友達のこと、死んだおばあちゃんのこと、死んだおじいちゃんのこと、死んだみーちゃんのこと。いとこの子どものこと。また別のいとこの子どものこと。母のいとこのこと。タイヤルの部落の人のこと。母は日本語で話したり、中国語、タイヤル語、台湾語、会話のシーンや内容に合わせて、これしかないでしょ、という言語を選んで、言語から言語へ移り変わりながらどんどんと話す。私のこともこんなふうに、おばや、また別のおばや、私のいとこや、また別のいとこや・・・いろんな人たちに話しているのだろう。いろんな言葉を使って。我的 Eri 回來了。エリンパプ。エリ她げんき啊。

 こういうふうに台湾にいて母や親戚たちといつも日本語やタイヤル語や中国語や台湾語で毎日べらべらおしゃべりしながら生きていたら、私はきっと歌なんて歌ってなかったんじゃないかと思う。カラオケで自分の若かった頃に流行ってた曲を歌ったりはしただろうし、最近流行ってるから好きになった原住民のシンガーの歌を覚えたりはしただろうけど、古いタイヤルの歌を調べて、覚えて、人前で歌ってみるとか、ジョビンの曲をタイヤル語に訳して人前で歌ってみるとか、ジャズスタンダード曲を(平安・鎌倉の和歌2首を用いた超訳経由で)タイヤル語に訳してお風呂の中でひとり歌ってみるとか、そういうところに自分の歌を見つけることは、絶対に絶対になかった。同じように、母たちのおしゃべりの中で時間を過ごしていなかったら、ずっと日本で日本人みたいに日本語のおしゃべりの中にだけほぼいて過ごしていたら、、、今のような形で歌っている私は、やはり絶対に絶対に存在し得なかっただろう。今のような私として母と時間を過ごすこともなかったということか。 

近所の教会の向こうの空がきれいだった

 母と近所で買い物の帰り、前から気になっていた綠豆蒜のお店で外帶をした。綠豆蒜というものをはじめて食べる。豆花を頼む時みたいな感じで、お椀に入った緑豆のぬるいデザートにトッピングを三種類選ぶ。地瓜圓、黑糖粉粿、仙草。ママは仙草のかわりに桂花蒟蒻。なまあたたかくてほのかに甘い状態の、飲み物と食べ物の中間にあるさまざまな食感のものを一緒くたにしたたべものが台湾にはたくさんある。つるつるで、もちもちで、つぶつぶがあって、くにゃっとして、とぅるっとして、スープみたいで、ゼリーみたいで、団子もある。おじさんもおばさんも、若い人も、年取った人も、子どもも、みんな街中で、前屈みでレンゲを持って。

 家に帰って、さっき買ってきた新しいスリッパをさっそくタグ取って履いて、綠豆蒜を食べる。デザートのつもりが、ママが出してきた朝の残りのパンケーキとミニトマトをつまんでたらお腹いっぱいになって、これが夕ご飯になってしまった。食べながら母とまたいろんな話をする。話の半分くらいはいつかした話と重複していて、同じ話。以前は母が同じ話を始めると、ああ、またか、と思っていたけど、そうかこれはリピート記号とかダルセーニョとか、ダカーポとか、ああいう感じなのかもと思うようになってから、同じ話のくり返しも気にならなくなった。もう何度も聞いた話を母がまた始めると、私はレンゲで綠豆蒜の中の黄色い団子を探したり、ピンクの団子を探したり、ゼリーを細かく切ってみたりする。母が同じ話の同じところをくり返すのは、母はそういう歌を歌ってるんだろう。何年も何年もかけて。そんな長い時間をかけなくては終わりまで歌えない歌もあるんだろう。母にも私にも。

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