#4 キョンは落ちてくる
前回、noteを書いてFacebookでシェアすると、30分もしないうちにスマホを持った母が私の部屋に入ってきて、
「エリ、今これ読んだけど」
と言う。
このイントネーションで「エリ」と私を呼ぶ人はママ以外にいない。日本人がこんなふうに私の名前を呼ぶことはまずないし、台湾人の言う「エリ」とも違う。タイヤル訛りというわけでもなくて、訛りというより、訛りから出発したのかもしれないけど、私という生命体に「エリ」と名前がついて43年、母がいろんな感情から私に向かって「エリ」と呼び続けている間に、独自に獲得し、誰にも真似できないような音を作っていったんだろう。「エ」の音のアタック、エが発される時の音の高さ、リの低さ加減、巻き舌加減、音調が変わる独特のタイミング、エとリの音のそれぞれの長短。ママの「エリ」にも何種類かあるが、この手の「エリ」は何かちょっと心配事がある時のやつで、これで呼ばれる私は次に何がくるかもう大体わかっている。
「保育類なのに、こんなに書いて大丈夫かね」
私の書くものを私の家族がどれだけ読んでいるのか知らないが、日本語が読めなくても翻訳ソフトでおおよその内容は察しがつくだろうし、母の場合は日本語ができるから、自分で読んで大体のところを理解したんだろう。前回のnoteは、実は私も書きながら何度か心配な気分になっていた。キョンは確か、保育類という、日本でいうところの天然記念物みたいな、つまり法律上狩ってはいけない動物だったような気がしたからだ。例えて言うなら、私がネット上で、「うちでは家族三代みんな山でニホンカモシカ狩ってます、冷蔵庫にいつもカモシカの死体入ってるし、ちょうど今日も母が玉ねぎと炒めて、今回のは子どものカモシカだからおいしかった、骨の髄までしゃぶり尽くしてみんなで食べたところです」と心を込めて文章を書き、SNSで発信している、そういうことを自分はしているんじゃないかと、書きながらちらちら頭をよぎっていた。
「いいんじゃない、もう食べちゃったし。已經沒啦。」
景気よく私は言った。キョン狩って食べてるってもう書いてシェアしてしまった自分を勇気づけたいような、力のこもった声が無意識に出ていた。もうないんだから、調べようもないでしょう。母は、そうよね、と笑って、笑ってくれてホッとしたけど、私の心の中のうっすらとした不安が消えたわけではなかった。
ネット検索は得意な方だが、キョンが保育類なのか、私は確かめたくなかった。書いている間、調べるべきかしらと一瞬思ったけど、したくない、と思った。1980年代後半、トパス・タナピマという同じく台湾原住民族であるブヌン族の作家がすでにこういう話を小説にしていて、私は20代の頃それを日本語訳で読んでいた。こういう話というのは、あるブヌンの狩人が山の中で苦労してキョンをしとめ、それを部落に持って帰る途中、警察に見つかり、密猟と自然破壊の罪で現行犯逮捕、そのキョンを差し出すなら見逃してやろうかと警察に促され、やむを得ず差し出し、俺が命からがらしとめたキョンを今頃あの警察の奴らが食っているのか、と苦々しい思いで部落に手ぶらで帰る、という話だ。この小説を読んだ時、これ、みんなが怒ってるのと同じ話じゃん、と思った。おじいちゃん、おばあちゃん、母、おじ、おば、いろんな怒った声がこの話をするのを聞いてきた。「ウィー、あの警察が自分で食べてるに違いないよ」とおばあちゃんが腹を立てる声がまだ聞こえる。この間も書いたけど、キョンはおいしいし、獲るのはとても大変なのだ。トパス・タナピマがあの作品を発表して30年以上経って、自分たちでキョンを食べることについて、まだびくびくしているなんて、と4日前、2023年ひなまつりの日、noteを書きながら思った。不安だからという理由で私は自己検閲などしないぞ、と自分に言い聞かせて書いてシェアしたが、この記事のせいで家族が逮捕されたら、、、という心配が全くないわけではなかった。そしてもし逮捕されるとしたら、それは私ではない。
3月3日、noteを書いた日の夕飯。キョンの残りがもちろん出る。母とおばと3人で突っつき、母はおばにたずねた。
「山羌是保育類嗎?」
「對啊。牠是保育類啊。」
キョンは天然記念物だとおばは言う。
キョンはじめ、現代台湾で保育類とされている様々な動物たちは、私たち原住民にとっては昔から狩って食べてきたものだ。昔から今までずっとそうしてきたから、人の生活というのは、山にいる動物を狩って、部落に持ち帰って、さばいて、みんなで分けて、それぞれが食べて、そうやって日々営んでいくものだ、と私たちは思っていて、伝統的な狩り場がいつの間にか国立公園に指定されても、この自分たちの生き方は自然の摂理に適っていると思って生きている。というか、山で他にどんな生き方があるというのか。キョンが保育類になった日、誰かが私たちにそのことを教えに来てくれたかどうかわからないけど、仮にそういう人たちが来て、おじいちゃんたちがその人たちと話して、考えた結果狩りをやめてうちの食べものが減ったとしても、おじいちゃんたちは失業保険がもらえるわけではないだろうし、おじいちゃんたちがハローワークに通うとかありえないわけだし、あり得たとしてその先のセカンドキャリアはたとえば警備員だろうか。台湾含め世界の自然環境のために膝を突き合わせて話し合い、考えた結果キョンを保育類と定めることにした人たちと私たちとは、今、この同じ台湾の島の中、違う世界を生きている、と考えるしかない。
「だよね、だからみんな『自分で落ちてきた』って。」
私たち家族の食卓にあるキョンについて、母によると、私たちは「自分で落ちてきた」と説明することにしたらしい。国立公園の中を歩いていたら、崖の上からキョンが落ちてきました。キョンはもう息絶えていたので、私たちはその亡骸を持って帰ってきました。そして食べました。この説明はこれで本当にセーフなのか、私には判断できないけど、うちの親戚の間では大丈夫!ということになっているようだ。
「台灣的山羌很會掉下來哦!」
台湾のキョンはよく落ちてくるよ!とおばも笑う。どこそこの部落の誰々は狩りの帰りに警察に見つかって、「上からキョンが落ちてきたんだから、私はそれを運んでるだけだ」と説明したら、逮捕も罰金もなかったらしい、と、この嘘か本当かわからない話を互いに何度も、家族みんなの間で言い合っている。繰り返し唱えればいずれ真実になるかのように。
おととい、日曜の夜、ごはんの後に母と一緒に原民台(原住民族電視台=原住民族専門TVチャンネル)を見た。台湾のテレビはケーブルテレビなので膨大な数のチャンネルがあって、原住民テレビはうちでよく見るチャンネルのひとつだ。おととい見たのは旅行&料理番組で、中国語(しかも台湾ぽい中国語)超ペラペラのスイス人男性とそのかわいい息子が原住民部落を訪ね、伝統文化と伝統料理について教えてもらいながら地元の人と一緒につくって食べる、という筋立てで、今回はパイワン族の部落で粟の収穫、脱穀、パイワン式ちまきのような料理作り、そしてお返しにスイスのライスプディングを粟でつくって食べてもらう、という、ちょっと出来過ぎじゃないかと思っちゃうくらいステキな内容だ。続けての番組は、50年代、60年代、白色テロの被害にあった原住民たちについて。いわれのない罪で逮捕され、投獄されたタイヤルの元小学校教師たちとその家族のたどった人生を、ずっと静かなトーンで物語っていた。母と私もじっと静かにテレビを眺め、時々、あの人うちの親戚の誰々に似てるね、ほんとだね、と言い合った。時々そう言葉を発さないと息が詰まるようで、顔や体型、雰囲気がうちの誰かに似ているというのが、なぜかせめてもの慰めだった。
原民台を見ながら、私はやっぱりキョンのことが気になっていた。原民台はNHKみたいな公共放送でCMがなく、私はちょくちょく隙を見て、スマホに「山羌 保育類」などのキーワードを入れて検索した。2019年の記事の見出しがいくつもヒットした。
「獼猴、山羌等8種動物 不再列保育類」
「台灣獼猴、山羌被踢出『保育類』 獵捕一般動物最高可罰30萬」
「山羌自保育類除名,原住民就能一槍、兩槍、山羌了嗎?」
どうやら2019年からキョンは保育類から外されているようだった。だが決して狩猟が合法になったというわけではなく、実刑は無くなったが罰金はまだある。
「ママ、キョン、もう保育類じゃなくなったって」
二つの番組が終わり、私はママにスマホ画面を見せた。母が目を細めて首を出してのぞくので、ニュースの見出し部分を指で拡大し、ほら、と言うと、
「ふん」
と母は鼻を鳴らす。罰金は保育類だった頃に比べてずいぶん軽くなった。台湾ドルで6万〜30万。日本円に換算すると約26万〜133万ぐらい。だから今でもキョンは落ちてくる。私は言う。母も言う。おばも言う。笑いながら。キョンは自分で落ちてくる。