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ベルリンの壁について思ったこと🇩🇪
ベルリンに住む従兄弟のおかげで、ここに来るのは4回目。なかなか多くの人が経験できるものではないと思うし、ベルリンに来て、自分の置かれている状況のありがたさを改めて感じる。
今日はナショナリズムを学ぶ一人の大学院生として、「チェックポイント・チャーリー」という場所を訪れて思ったことを書いてみようと思う。
大学院生としてあるまじき行為だと思うけど、Wikipediaの「チェックポイント・チャーリー」の説明が簡潔で非常にわかりやすいので、引用する。
チェックポイント・チャーリー (Checkpoint Charlie) は、第二次世界大戦後の冷戦期においてドイツ・ベルリンが東西に分断されていた時代に、同市内の東ベルリンと西ベルリンの境界線上に置かれていた国境検問所。
1961年から1990年まで存在し、ベルリンの壁と並ぶ東西分断の象徴として、また一部の東ドイツ市民にとっては自由への窓口として、冷戦のシンボルのように捉えられていた。
(ウィキペディア フリー百科事典「チェックポイント・チャーリー」)
1962年8月17日に、この場所でPeter Fechterという人が亡くなったことについての展示があった。彼は当時18歳で、西ベルリンへの脱出を試みたが、壁をよじ登る最中に銃撃された。彼は撃たれた直後意識があり、助けを求めたけれど、彼の身体は東ベルリン側にあり、西ベルリン側の人間は近づけず、また東ベルリン側の兵士も西ベルリン側の群衆を刺激することを恐れて手を出すことができず、双方が見守ることしかできないまま、結局彼は1時間近く経って、出血多量で亡くなった。
私の母親はこの事件が起こる4日前に生まれている。この事実が、私にこの事件の衝撃をより強く感じさせる理由になっている。チェックポイント・チャーリーの訪問を通して、移動の自由が当たり前である今の私の状況が、当たり前でなくなることの恐ろしさを感じた。ベルリンの壁が崩壊したのは、1989年11月9日。ほんの35年前まで、自分がいるこの場所は移動の自由がなかった。
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ドイツ大使館のベルリンの壁に関する情報によると、ベルリンの壁が1961年に建設されてから1989年に壊されるまで、この壁により136人の人が犠牲になっという。
(ドイツ連邦共和国大使館「ベルリンの壁 Q&A」)
現在チェックポイント・チャーリーは観光地になり、多くの人が周りで写真を撮ったり、公式グッズをお土産に買ったりしている。でも、それほど遠くない昔に、人々は命懸けでこの場所を、東ベルリンから西ベルリンへ向かった。今まで当たり前にできていた移動ができなくなる。仕事のために、あるいは大切な人に会いに西ベルリンへ移動する自由が、一晩で失われてしまう。仕事も大切な人も住む場所も奪われて、命懸けで移動しようとする人々の気持ちは、正直全く想像がつかない。しかも、今はとても平和で、ヨーロッパの中でも最も発展した国の一つである、ドイツの首都で起こったことだなんて。
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ベルリンの壁の崩壊から35年が経った今、世界ではまた移動の自由が脅かされるかもしれない事態が増えてきている。世界では争いも絶えないし、きっと今日も多くの移動の自由を奪われた人が死んでいる。大学院で学べば学ぶほど、いかに平和な世界の創造が難しいか、一筋縄では解決しない問題が山積していることを痛感させられる。物事を唯一の視点で見ることなんてできない。私がよくないと思うことは、他の人にとって正義かもしれない。研究をしていても、自分にできることなんてないんじゃないかって思うことも多い。時々自分の無力さを感じて悲しくなることもある。
きっと日本語でこの文章を読んでくれる人たちのほとんどは、移動の自由が保障された平和な世界に住んでいるんだと思う。太平洋戦争が終わってから今年で80年。日本人である私たちにとって、争いはいつもどこか遠くで起こっていて、自分たちには関係のない別の世界だと感じている人も少なくないと思う。私自身も、大学院でナショナリズム研究に出会うまでそう感じていたし、今も正直自分事として考えることができているとは思わない。
でも私は、大切なのは「知ること」なんじゃないかと思う。なんとなく、日本では政治に関わることを話すのを避ける風潮があると思う。できるだけ波風を立てずに穏便に過ごそうとする、素敵な国民性のおかげなのかもしれないけど、そのせいで、政治に興味を持つ機会それ自体が奪われることがあってはならないと思う。よくニュースで、「若者の投票率が低い」なんて話を聞くことがあるけど、私自身も一応「若者」に分類されるから、どうせ投票したって何も変わらない、みたいな気持ちは正直よくわかる。でも、だからと言って、無関心で良いわけではない。歴史を振り返ると、人々がいかに容易に政治に操作されるかがわかる。日本は民主主義で平和な国だから大丈夫、なんて思っていたら、いつの間にか政治に操作されるかもしれない。自分にとって何が正しいかを判断できずに、いつの間にか争いの被害者になっていたら?あるいは、加害者になっているかもしれない。いつの間にか、自分のやっていることが人を殺害することにつながっていたら?
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考えすぎだよ、って言われるかもしれない。今の日本社会を見れば、そう思われるのが当然かもしれない。別にアクティブに活動する必要はないと思うし、どの考えが良くて、どの考えが悪いとかもないと思う。でも、自分がどんな社会に住みたいかって考えてみる、自分のいる国のことに興味を持つことに、早すぎるなんてことはないんじゃないかと思う。日々変わっていく世界の中で、ヨーロッパでナショナリズムを学ぶ学生として、どんなことができるのかなって、平和な街で考えてみたりしている。