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原動力になるもの。2

私に訪れた転機。

それは、長年住んでいた場所からの転居でした。
子どもたちもまだ幼く、夫も多忙な毎日。
立ち上げたばかりの会社の手伝いに、誘われるがままに打ち込んでいたママさんバレー。
この先、私はどうなっていくんだろう・・

『自分の人生を生きること。』

家族を支えることは大切。けれど、今は大変だからと、いつも言い訳やないもの探しばかりで逃げて挑戦してこなかった『やりたいこと』に真剣に向き合わなかったら後悔する。
不安に苛まれるのは行動をしていないから。
頭の中だけで完結するのではなく、思い切って挑戦してみることにしました。

転居をし、新しい環境で周りに知り合いや友だちが居なくなったことで
自分を見つめ直すきっかけと新たなスタートが切れたのだと思います。

その『やりたいこと』とは
アートと子どもの教育に携われるアート講師としての仕事でした。

息子が小学校に上がったときに、絵のタッチが突然変わるようになり、
学校教育での図工の指導に興味を持つようになりました。
それまで楽しくのびのびと個性大爆発で描いていたものが、統一して描かされているような絵になっていることが残念だと感じたのです。

うまく描くこと、つくることが目的ではない、個性の芽を育むようなアプローチ方法はないか探しました。
数年前にワタリウム美術館で見た北イタリアのレッジョエリミアアプローチの実践(レッジョエミリア市で展開されている乳児保育所や幼児学校等での取り組みのことを指します。)が大変興味深かったことを思い出し、学んでみたいと思い、当時日本で唯一その取り組みを紹介していた場所で指導者養成講座を受講しました。
数時間の受講と、子どもを連れてワークショップなどにも参加しましたが、指導者資格を取得できるものではないですし、普段から幼児教育に身を置いている立場ではない私にとっては指導者として落とし込むための学びには不十分だと感じました。
なぜなら、私には経験も肩書きもひとつもないからです。

自分自身が親という立場で子どもの習い事を探すとき、
やはりしっかりとした経験や実力のある指導者のもとで安心してお任せしたいと思うのと一緒で、信頼していただけるようになるためには指導者として研究や、愚直に学び続けることが必要です。
肩書きが必ずしも。ではないとは思いますが、何者でもない私には、少しでも箔をつけたい気持ちがありました。

その養成講座の参加者の中に、たまたま臨床美術士の方がいらっしゃったことで、臨床美術というものに出会います。


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