見出し画像

自己紹介ーリーマン世代のわたしが海外で働くまでー

はじめまして。
note初心者Ricoです。
少し長いのですが、読んでいただけると喜びます。

都会に憧れた学生時代


わたしは、東北の田舎育ち。
山々に囲まれて、テレビのチャンネルが東京より2個も3個も少ない人生を歩んできました。
冬は雪深く、小学校時代は雪合戦をしながら帰るのが定番でした。

大学は花の都を夢見たものの
親の約束を守りそのまま東北に残留。
のんびりのんびり4年間を満喫しました。
旅行が好きで、ヨーロッパ系の文化を専攻し、
フランスに1ヶ月の語学留学をしました。
サークルとバイトに明け暮れた生活だったので
ほぼフランス語は覚えていません。

さあ就活をしようと思った矢先、
リーマンショックが起こりました。
そこまで偏差値の高い大学ではありませんが、
1つ上の先輩までは、がんがん日系大手企業に就職先を決めていましたが、
わたしの代からがらりと状況が変わったように感じました。
さらには当時付き合っていた彼氏には振られ
散々なスタートです。

リーマンショック中の就活

リーマンショックのしわ寄せはあっという間にやってきました。
就職先が決まらず、卒業間近まで就活を続ける友人も幾人かおりました。

とにかく当時都会に出たかったわたしは
「とりあえず東京!」
「国際交流がしたい!」
「あわよくばイケメン外国人彼氏がほしい!」
の三本立てで、就活を開始。
私利私欲に満ち溢れた就職活動は、
理系の友人には及びませんでしたが、
それでも3つ内定をいただきました。

その中でも、都内のあるひとつの企業に就職しました。
正直、20歳そこそこでやりたいこと
できることなんてわからなかりませんでした。
都会に出れるだけわたしの目標は達成されたようなものです。

この会社で、新卒では珍しく人事に配属されました。
正直言うと、現場の仕事には興味が持てなかったのもあり、
早くも転職を意識していたので
食いっぱぐれがなさそうだという考えだけで
配属面談で人事か広報でお願いしたところ
人事部に入ることになりました。
これが後のキャリアにつながっていくことになりますが
ボーナスの支給額が毎度減っていくのをみて見切りをつけ
2年程度でやめました。

田舎の母親にはとことん怒られました。
当時は”1社に長く勤める” ”定年まで一社に骨を埋めるの”
”新卒3年神話”がまだ美徳だったのもあり、
わたしは同期から見ても、諦めの早い人間だったかもしれません。
父には、つらかったのか、よく頑張ったと言われました。
おそらく都会で病んでしまったり、自殺されるよりは
英断だととらえてくれたんだと思います。

2年程度だったのでまだリーマンショックの不景気が
尾を引いているときでした。
新卒の会社を2年以下でやめることにしたので
よくわからないまま転職活動をしていました。

憧れを手に入れるためにしたたかに活動する


ようやく見つけた転職先では
主に事務系の仕事をすることができましたが、
自主的に新卒採用を導入し、
トレーニングなどにも貢献することができました。
今思うと、ブラック企業で上司の怒号や
手や足が飛び出るような会社だったのですが、
よくわかりませんが最後まで特に怒られることなく
うまくやれたのは大きいなと思います笑

この会社には3年ほど在籍したのですが、
徐々に景気が回復していくのをニュースで見て
ここで外資系に転職したい
英語を使って仕事がしてみたいと
思うようになりました。
前職の先輩の協力もあり、
英会話学校のプロモーションで人より少し安く
およそ2年半ほど通うことができました。
同時に、当時目標にしていたTOEIC700を取ることを目標に
2年ほどかけて450点から710点を取得し
晴れて外資系企業からのオファーをいただきました。

夫との出会い

26歳ほどですでに3回目の転職を果たしたのですが、
初めての外資系企業しかもブラック企業からの脱却ということもあり
かなりすべてがキラキラしてみえました。
企業でいうとニッチな世界でしたが、
その界隈では知らない者はいないというような
スーパーホワイト企業でした。
グループ付きの秘書のような仕事でしたが、
新卒採用も手伝うことになりました。

幸いにもここで夫と出会いました。
特に結婚願望もなかったわたしですが、
猛烈なアプローチの末結婚することになりました。
ここで自分が思う男性に出会いたいならば
自分の努力することが一番の近道だということを学びました。

ここでは紆余曲折在り、結果退職することになりました。

コーチングに興味を持った適応障害

次の会社も本当は外資系を希望していたのですが、
結婚したこともあり「家庭との両立」を最優先に考えていました。
当時はきちんと朝ごはんや夜ご飯を用意し
いい奥さんでありながら働き続けることを
最優先にとらえていました。

このとき入社したのは新卒の時の上司が入社した
老舗の中堅企業で、引き抜かれた先輩も一緒に入社したので
当時の楽しい思い出のまま仕事を楽しみにしていました。
ところが、わたしが配属されたのは
部長の直下ではありましたが
教育をしてくれた女の先輩のパワハラ・モラハラが続き
3か月ほどがたったころ会社に行きたくなくなるように感じました。
今でも覚えているのは、映画ズートピアを見に行った帰り、
当時働く大人向けの仕事をがんばろう、楽しいことがある!
というメッセージがあまりにもつらく感じ、
帰りの道で泣いてしまいました。
それから朝起きては涙が止まらず、
ベッドから身体を起こすのも重たく感じ、
ついには会社に行かなくなりました。
夫には普段から変な先輩がいることを伝えていたので
わかってくれました。

ふと不思議に思ったわたしは心療内科を探し
診断してもらったところ「適応障害」と診断されました。
その診断書を持って会社に行くも
部署の移動や配置換えもさせてもらえず
ここで帰ったら悔しくないのか?
(オフィスに続く)ドアを開けてあいつに顔みせようや、
負けたくないのか?
などと言われ、理想の上司だった彼のは
あくまでも自分の利益しか考えていないことがわかり
そのまま泣きながら退職することにしました。
そのときはなんだかすっきりした気持ちになりました。

そこから心療内科に通いながら療養をするのですが、
数か月たったころこのままだといけない、
やっぱり自分で稼ぎたいと思うようになり、
ふとネット検索でコーチングを知りました。
体験のコーチングを受け、この企業が主催していた
一番ベーシックなコースを受けると
心がすごく晴れやかで、久しぶりにわくわくしました。

このときからわたしはコーチングに興味を持ち
いつか自分も資格をとって
人生に前向きになれない人を助けたいと思うようになりました。

自信がついた外資系勤務の経験と海外志向

それからしばらくして新しい仕事を始めました。
当時いい奥さんと考えていた
料理は時間通りに、必ず手作りでなどというのを取っ払い
自分が楽しそうだと思うものを選びました。
結果お惣菜や手抜き、外食は増えましたし、
出張も残業もそれなりになりましたが
フレックスや有休がとりやすかったり
外資特有の家族の時間を一番に大事にするという
カルチャーが根付いていたので
しっかり稼ぎながらも自分の楽しみは自分で確保する
という楽しみが生まれました。
かなり適当な夫でよかったと思います。

また、お互いに海外志向があったので、
海外旅行そのものも大好きだったのですが、
どちらも漠然とした海外生活や海外就職を
考えておりました。

夫より先に海外就職を決める

結婚式も無事に終え、仕事も順調になってきたころ
ふとマレーシア就職の番組を目にするようになりました。
今住み始めてからこそ、語られていないマイナス部分も知りましたが
もしかしたら留学経験もほぼない純ジャパニーズの我々でも
東南アジアなら英語もほどほどにいけるかもしれない!と
夫に内緒でマレーシアの会社の面接を受け
内定をもらってしまいました。

報告するとそりゃあぶつくさ言われましたが、
そこまでわたしが本気ならちょっと待って!と
夫は駐在できる会社に転職を果たしたのです。
辞めさせたと見えるかもしれませんが、
実はまったく同じ職種で続けられるので
マイナス面は全くなく夫のキャリア的にも
海外を経験したほうがプラスになるのです。

その間わたしは先にもらった内定を辞退し
新しい会社から内定をもらうことに成功しました。
駐在妻兼現地採用のわたしが誕生です。

さて、よくある駐在妻の方なら
なぜか駐在者が先に現地に行ってしまい
帯同者が引っ越しの手続きをするという
謎の構造がありますが、
わたしの場合、現地採用のほうが余裕をくれないので
最短で渡航することになり
夫は地獄絵図のような引っ越し作業をして
渡航していました。

無事に1年ほどマレーシアで暮らしましたが、
一度転職をしたので
日本から数えると合計6-7回は転職しています。

わたしの軸とは

かなり長くなってしまいましたが、
主に
・田舎育ちで新卒で上京
・日系から外資まで経験、ついでにブラック企業も経験
・年収は新卒から約4倍に
・基本は人事や採用系を継続、しかし転職回数は多い
・英語もそこそこのくせに外資と海外で現地採用
・メンタルは強くない、楽しいことや興味のあることに生きる
という感じです。

なぜか新卒から採用担当をしています。
転職回数が多い人間が、なぜ会社を語るんだと
言われる方も多いと思いますが、
なぜか採用は天職に近い気がします。
ご縁を回すお仕事でありながら、
一番恨まれやすいお仕事でもあります。

さてわたしはnoteに何を書きたいのか、と言われたら
"必ず突破する!面接の仕方!!"
というのはさすがに荷が重いし、
会社によって基準も違います。
そのようなものは他の人が発信してくれているので
経験を踏まえつつ個人的な就活の考え方や、
さらに最近では海外で現地採用として働き始めたので
そこで感じたことや日本との違いなどを
書いていけたらいいなと思います。

#ビジネス #面接 #採用 #ゆとり世代 #ゆとリクルーター #リクルーター

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?