『おかえりモネ』〜私達と生きる物語
普段 朝ドラなど観ない私がどっぷりと浸かってしまったのが、NHK連続ドラマ小説『おかえりモネ』だ。毎朝驚くほど心を揺さぶられ、その振動が一日続く。そして翌日にはまた わずか15分の物語のために時間をつくり、テレビの前に座る。
そんな毎日もそろそろ終わりに近づいている。来週で彼らとのお別れが来ることが寂しくてたまらない。
詳しい作品の紹介は番組公式サイトをご覧いただくとして、なぜここまで離れられなかったのか、先週Twitterの方にあげたスレッドをあらためてここに紹介させていただく。
〜 以下、ツイートの抜粋〜
(ここで読みやすいように少し編集しています)
『おかえりモネ』にハマった人とそうでない人の違いは何だろうと考える。
あまりアンチの感想は見ないので想像なんだけれども、ハマった人というのは「自分の痛みに向き合いたい、向き合いたかった人」なのではなかろうか。
従来の朝ドラは
・わかりやすい
・ながら見が出来る
・明るい
・テンポが良い
・チャキチャキ感グイグイ感強し
・波乱万丈
・ヒロインは喜怒哀楽ハッキリタイプ多し
というイメージで(個人の感想です)観ているこちら側は「他者の人生を横から眺めている」感覚だった。
しかし 『おかえりモネ』は
・ヒロインモネが基本"受け"の姿勢であること
・ドラマ中 極力説明が省かれていること
・逆に僅かな仕草・表情・光景に大きな意味が含まれていること
などから、画面から目を離すことが出来ず、観ているこちら側が状況をあれこれ想像することにより、いつの間にか「自分もモネの世界の一員」であるような錯覚に陥るようになった。
コレがなかなかのポイントで「他人事ではなくなる」のだ。ドラマ中の様々な登場人物の状況のどれかが自分の"痛み"と呼応する。だから心が揺さぶられる。人によってはかなりキツいから「暗い」と避ける人も出る。
自分の痛みと呼応するから避ける人がいる一方で(それが悪いのではない)「ようやく触れてもらえた」と感じる人もいる。
今回ハマった人はこちらのタイプなのではないだろうか(私もそう)。普段は隠していた痛みが浮き彫りになり、様々な葛藤ののち癒される。そんな心の動きが起こっている。
たまに設定が甘かったり"ご都合主義"と言われる部分は大きな目で見ると「注目ポイントはそこではない」からと考えられるが、気になる人は気になるだろう。そこはこの物語を"外"から見ているか、モネの世界の住人になって"中"にいるかの差なのかもしれない。(繰り返すがそこに正誤はない)
登場人物の言葉がここまで心に響くのも、同じ世界・同じタイミングで「自分の痛み」にも触れたかったからではないだろうか。
"向こう"から架けてくれた橋を受け取って初めて、本当はそうしてもらいたかったことに気づく。ずっと「助けて欲しい」「手を伸ばして欲しい」と思っていたことに。
痛みに向き合うには人それぞれのタイミングがあり、今回このドラマがたまたまそこに合った人々は見事にハマったのではないかと感じている。
痛みを「個々が我慢するもの」から「お互いにわかり合おうとするもの」へ。そんな新時代の"繋がり"を感じさせるドラマだったと思う。
〜以上、抜粋終わり〜
上記のスレッドは長い文章だったにも関わらず 700近い「いいね」をいただいて、とても驚いた。と同時に、同じように感じておられた方々がかなり多いことが嬉しかった。
他人事ではないこの物語は、いつの間にか"私達とともに生きる物語"になっていた。(正直まだまだ語り足りないのだが、とりあえず今回はここまで)
今週は、これまで気仙沼の登場人物が抱えてきた問題が解きほぐすように整っていくお話だった。
彼らの「これから」は
私達の未来にも通じる。
モネとその周囲の人々の物語を
しっかりと最後まで見届けたい。