ヨコハマメリーさんとトー横キッズたち

やってることは大して変わらない

 定期的に思い出すことがある。

 ヨコハマメリーさん。
 
 戦後のヨコハマで米軍相手に娼婦をしていた人の話。
 戦争が終わった後も、何十年もその生業で生きようとした人。

 別に私は横浜に縁もゆかりもないので、実物を見たことはないのだが、
『ひとりの女の一生』として胸に深く刺さった。

 噂によれば、恋に落ちた米軍将校がいつか自分の元に帰ってくるのを待って、ずっとその場にとどまっていたとか。
 映画『大いなる遺産』のディンズムア婦人と通ずるところがある。

 現代では、そういう人になんらかの精神疾患名をつける。
 名前を付けないと得体の知れないなにかが怖いんだ。

 でも、人間だからどんな心の動きもあっておかしくない。 

 私も不意に何十年も昔のことを思い出すことはある。
 でも、現実的な生活。
 足元みると、そのころと全然違う自分がそこに立っていて、全く別の暮らしをしている。
 昭和生まれは結構つらい。
 変わったことが多すぎて、昔あったものがもうない。
 無いものが殆ど。
 
 でも今が不幸か、と言われるとそうでもない。むしろ幸せかもしれない。

そして現代のSNSを見ると、メリーさんとやってること大して変わらないトー横キッズ達の写真。

 大久保公園で立ちんぼしている女の子。
 戦後なら「しょうがないよね」で暗黙の了解で済まされていたのに、なぜ今こんなに騒がれる? 
 本当は、「しょうがない」で済ましてはいけない問題に蓋をしてるだけじゃないの?
 
 若者の貧困に真剣に向き合わない。戦後に比べたら、その問題を解決するのはきっともっと簡単だと思う。
 だって、ものはあるし、お金もあるところにはある。
 一部の金持ち達が金を握って、自分たちだけ裕福になってる社会構造が悪いだけなのに。

トー横キッズ達の扱いが雑すぎる。

 数が多いからね。ひとりひとりを切り取って、そのストーリーを羅列するのが難しいのかもしれないけど、
 多分、家庭に恵まれず、貧困で、身を売るしかなかった、ってとこは一緒だと思う。

 家庭に恵まれず、っていうけど、子供にとっては毒親は地獄。
 それはいつの時代も一緒なんじゃないの?

 それを考えたら昔のほうが他人とのつながりがあったなと思う。
 町内会に、必ずひとりは「お節介おばさん」がいて、たしかに、やることはすべてお節介なんだけど、こういう人がいたから、助けられた人もたくさんいたと思う。
 それから、町のお店のおじさんやおばさん。
 喫茶店、米屋、煙草屋、クリーニング屋、などなど。

 小さい個人商店なんだけど、コミュニティがあったから、近所の噂話も広がりやすいけど、だからこそ困ってる人のところに力が集まりやすかった気がする。
  

メリーさんの末路

結局、メリーさんは、そういうお節介おばさんによって故郷に帰れて、最後は老人ホームで余生を過ごしたそうな。
 
その老いた瞳で見つめる瞳の先には、一体どんな景色が見えていたのかな。

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