療育の世界を親子で楽しんでいる。
面白い。
実に面白い。
昨日の訪問言語療育で遊んでいたゴーヤスタンプ。
出来上がった紙をその辺に置いていたら、見つけて持ってきた。
ペッタンしたなー。などと話していると、今度はお父さんのところへ。
指差しやらなんやらで、やりとりし終わると、また持ってきたので、『壁に貼っとく?』っと聞くと、満足された(o^^o)
実際に通う母親の立場になった療育。
最近の私の楽しみの1つは、療育の日の後の数日間だったりする。
市の作業療法士さんの療育の後も
訪問言語療育の後も
同じ事で楽しもうとする姿が増える^ ^
遊んだ同じようなものは側に置いておこうと環境作りはしてみる。
準備できないものもあるけど。
準備できないものも、やったこととふとつなぎ合わせてみたら、似たようなもの見つけてきて遊んでたり、違うカタチで似たような動作で遊んでいたりすることに出会すこともある。
受けた刺激を、何度も何度も試して確かめてるかのように。
こーやって、繰り返し、繰り返し、経験を重ねて1つずつ着実に力にしていくんだろうな。
ハマるものもあれば、全然やらないものもあるけれど
そっかー。
そんな事もできるようになってたんかー。っと気がつく事もしばしば。
子どもの成長に、親の方がついていけないあるある。
息子は、会うだけで笑顔になっちゃうほど、どちらの療育時間も楽しんでいる。
療育って聞くと、みんなと同じことをできるようになるために訓練をする場所。っていうようなイメージが少なからずあったのだけど
私が療育を受けようと思ったのは、今息子ができていることが横に広がって質が豊かになっていけばいいなー。
息子自身の人生を歩むための基礎作りのお手伝いをしてもらえたらいいなー。っと思ったからだ。
(自分自身が療育の世界に興味がありすぎて通いたかったのと半々ぐらいだけど。)
療育に足を運ぶたびに、同じことができるようになる。っという最初のイメージからは真反対なのかもしれないと思うようになった。
息子自身が自分の力を探求していき
挑戦してみたり、やめてみたり、やっぱりやってみたりしながら
自分を見つけていくような時間になっている気がする。
作業療法士さんも、言語聴覚士さんも私のニーズを考慮した上で、息子の育ちに寄り添ってくれてるのが大きいのかもしれないけれど^ ^
子ども自ら育つ力もあるが
大人の関わりによって育つ力もある。
今まで講座でお伝えしていたことが
療育での息子の姿を通して、色濃くなってきた☆
その反面、私って全然息子のこと見れてないんだなー。関わりきれてないんなーって反省することがしばしば。
そこから派生して、らもりーるの子どもたちのことも、らもりーるでの生活事態も色々と思い出したらキリがなく
私ってこんなもんなんだなー。
っと諦めているこの頃。
えっ?どんだけ自分ができると思ってたんだ??
自分に自身があったのか??
恥ずかしっ!!
で、なんか最近、ちょっとしたことで息子に怒りすぎなので
1人時間を積極的にとって、自分を可愛がろうと思う♪
息子との出会いを振り返って書いていきたいと思いすぎたら、書けなくなっていたので、思ったことをつらつらと。