見出し画像

Medicine戯曲を読んで

※私が戯曲原本を読んでの、あらすじの説明と感想になります。戯曲内容のネタバレを多く含みます。また、近々上演される舞台との相違に関しては一切の責任をおいません🙇🏻‍♀️


5月から始まる舞台『メディスン』。いよいよチケットも販売され、公演日を心待ちにされている方もたくさんいらっしゃる事と思います。先日、演出の白井晃さんと主演の田中圭さんのインタビュー動画 2 も公開され、お話を聞いてますます期待度が高まりますね。

【インタビュー動画より抜粋】
1人の男の記憶を辿っていく話のようにも感じますし、この設定されているひとつの部屋自体が具体的な部屋なのか、もしかしたら抽象的な部屋なのかそれすらもわからない」(白井晃)
「少し重たい感じもするのですけれど、実は非常に激しい作品で(中略)踊ったり歌ったりするシーンもあるので結構おもしろおかしく(中略)2人の女性に振り回される姿がとても面白いチャーミングな作品になっていると思います」(白井晃)
「けっこうヘビーだったりポップだったりいろんな側面を持っている作品だと思うので」(田中圭)


私は戯曲を読んだうえで、このお二人の言葉をなるほどな…と感じながら聞きました。

 舞台の人物は
JOHN (ジョン)
MARY (メアリー)
MARY2 (メアリー2)
DRUMMER (ドラマ奏者)
の4名です。その他に声のみの出演者が数名。

舞台は、パジャマ姿のJOHNの登場から始まります。続いて、老人(のちに老人の仮装を脱ぎ捨てたMARY)、さらに舞台上に設置された窓付きブースからロブスター(の着ぐるみを脱ぎ捨てるMARY2)が現れます。この3人のいる場所がどこなのか、また彼らがどういった関係なのかの説明はありません。

JOHNは度々インタビュアー(声のみ)とも会話をしています。声やMARY達に促され、JOHNが自身の事を語る形で物語が進行していきます。I dream of being invisible.(透明人間になりたいと夢みる) そう語るJOHN。覇気がなく物静かな人物のように、私は感じました。(※実際の演出やお芝居で変わる可能性があります)

対するMARY達は破茶滅茶です。
MARYは老人の姿での登場から騒々しく、instant replay というヒットナンバーにのせて仮装を解いていく描写があります。

そしてMARY2は、ロブスターの着ぐるみで登場します。なぜロブスターなのか語られる場面が2箇所あるのですが、両方、理由が支離滅裂です。そもそも始終、様子がおかしいです。

この2人のMARYが、丁々発止のやり取りを繰り広げるのですが、その様がずっと狂気に満ちていて激しくてコミカルです。彼女達が、曲に合わせて歌ったり踊ったりの描写もあります。(以下、戯曲内に明記のある楽曲をいくつか添付します。※実際の演出で曲目が変わる可能性もあるかも知れません。)

MARY達がいったい何者なのか、なにが目的なのかも良く分からないまま、奇妙で激しいテンションで促されるままに語られるJOHNの過去。徐々に彼の受けた虐待やイジメのとても重く苦しい記憶が語られていきます。終盤に進むにつれて、苦しさが激しく渦を巻き、とうとう彼が心神喪失のパニック状態に陥る描写があり終幕へと繋がります。

戯曲を最後まで読むと、やはりこの3人がいた場所は精神病院であるらしいという結論に辿りつきます。そしてJOHNが精神疾患患者である事も。また、このnoteの冒頭でも触れた白井さんの言葉のように「この設定されているひとつの部屋自体が具体的な部屋なのか、もしかしたら抽象的な部屋なのかそれすらもわからない」です。全てが現実なのか、妄想なのか、実際にあるのか、幻聴なのか、わからない設定に思えます。

戯曲本の裏表紙にはこうも書かれています。
Medicine is dark and frequently absurdist play.Devastatingly funny and profoundly moving, it examines how, for decades, we have treated those we call ‘mentally ill ‘.
(メディスンは、ダークで不条理な劇です。この破滅的に面白く、感情を揺さぶるストーリーは、私たちが長年に渡って‘精神病患者’をどのように扱ってきたかを傍証するものとなるでしょう):意訳

作者のエンダウォルシュ氏が、老人ホームを訪れた経験にインスパイアされて書いた戯曲だというのも頷けます。

JOHNは幾度となく、なぜこの場所にいるのかを問われます。  I’m not like other people. (僕は他の人と違うから) そう答えるJOHN。他の人と違う事で、生きづらさを抱え、苦しみ続けているのです。この戯曲が上演されたイギリスでも、多様性の受容の問題は大きな論点となっております。そういったメッセージも含まれているのかもしれません。


さて。話は少々ズレますが、私はMARYたちの奇妙な面白さをいったいどう説明したら良いのだろうか…?と思っていたときに、たまたまこの動画に出会いました。

戯曲の中のMARYたちの言動は、カテゴリーとしてはこれに近いものだと私は感じます。寝言は夢と関係しているのでしょうから、なにか夢の分析や深い心理学を用いれば、その言葉たちに意味が込められているのかもしれません。MARYたちの台詞に、そういった意味を考察するのもおもしろいかもしれませんし、ただただ『なんでやねん!!??』と笑うのも良いかと思います。

それにしても、きっと目を覚ました状態で、寝言のような台詞や設定を生み出した戯曲作家エンダウォルシュ氏は凄いですね。きっとチャーミングな方だと思います。


長々と書きましたが、私は日本での上演を観劇できる予定はありません。今回も日本帰国を断念してしまったからです。大ファンである田中圭さんの舞台なので、とても観たいのですがね。仕方がありません。近年は、舞台の配信やDVD/Blu-ray化もあるので、なんらかの形で鑑賞できるチャンスがある事を祈っております。

観劇される方、どうか楽しんできてくださいね。少しでも観劇を楽しむ参考になれば幸いです。

いいなと思ったら応援しよう!