頑張らない を 頑張らない、楽しむことを意識しない、をしたら気持ちが晴れたって話
先日ツイッター(現 X)を眺めていたら、人気お笑いコンビ レインボーの池田さんのナイトルーティン動画の評判が目に入った。気になって 再生してみたら、なるほど、バズっているのも頷けた。動画は、夜遅く仕事から帰宅した池田さんが 就寝するまでの動きを追っているものなのだが、妙に面白かった。池田さんは帰宅した23:20から就寝する1:00過ぎまでの約2時間、終始キビキビした動きで大量の家事タスクをこなし、とにかく忙しかった。それはさながら1人タイムアタックだった。手洗い 洗面台洗い 風呂掃除 お湯張り 洗濯もの片付け 食事(お弁当) 残りご飯の冷凍 洗い物 入浴 スキンケア 配達された荷物の開封 ダンボールの整理 お肌の保湿 LINEの返信 翌日のプランの確認などなどを 視聴者へ向けて和やかにお喋りしながらテキパキこなしていく様には不思議な引力があって、1時間ちょっとの長めの動画なのに、気がついたら全部みてしまった。視聴後は、なぜか感動にも似た高揚感が得られ、その不思議な感覚を誰かと共有したい気持ちになって動画リプ欄の感想なども漁ってしまった。同じように高揚感を感じた人も多かったようで「自分も掃除をはじめてしまった。」「作業効率がめちゃくちゃ上がった。」などの感想が溢れていた。
また池田さんは忙しく動きながらも、ちょこちょこと友人や同居人や相方さんの話などを語っていたのだが、その口調にはどこか温かな愛情が感じられて、この方は優しい気遣いの人なのだな と好感をもった。それからお肌がめちゃくちゃ綺麗だった。もともとお美しいのだとは思うが、忙しい中でもきちんと念の入ったスキンケアを徹底されている様子には、脱帽したい気持ちでいっぱいになった。良いものみれた。ありがとうツイッター。
ところで。少し話が飛ぶのだが。
私は来年の春に50歳になる。女の50歳といえば、更年期を迎える年齢だ。更年期には様々な症状があるわけなのだが、私は去年あたりから、ひどい気分の落ち込みに困っていた。身体も疲れているのだが、それ以上に心が疲れているのを感じた。何もやる気にならない、気力がわかない、理由が不明瞭なメソメソとした感情が波のように襲ってきては、私をどん底の気分におとしめていた。もちろん比較的 大丈夫な日もあったし、気持ちが重いながらも、仕事は行かなきゃいけないので行っていたし 家事もしなきゃいけないのでやってはいた。家族には「なんかずっと機嫌が悪いね」くらいにしか思われていなかったとは思う。表面的には最低限のやらなきゃいけない事は出来てはいた。だからそんなに深刻な鬱症状ではなかったと思う。でもずっと重苦しい気持ちで過ごしていた。こういった気持ちの不調の波は、若いときから生理前などに感じていたので、たぶん更年期によるホルモンバランスの乱れが関係しているのだろうと思った。バランスが落ち着いたらきっと自然に良くなると思う。仕方がない。とはいえ、毎日こんなに鬱陶しい気分でいるのも嫌なので、なにか改善のヒントが欲しくて、対策方法を検索した。検索結果として『無理をしない』『頑張りすぎない』『休む』『自分を甘やかす』『楽しいことをみつけて楽しむ』などのアドバイスがヒットした。検索するまでも無かったな。うんうん。やっぱりそうだと思ったよ。私は、これらの指南に従い、家事も重要度の高いものに絞って後回しにできるものは後回しにし、仕事が休みの日は家に籠りダラダラして人とも会わず、好物の甘いものやお酒などを摂取して自分を甘やかし、推しの雑誌やグッズ 関連品などをタガを外して買いまくった。そして、その結果、ちっとも鬱っ気は良くならなかった。実はむしろ悪くなった。こういった生活を何ヶ月か続けていくうちに、家の隅には埃が溜まり、窓の枠にはカビがはえ、書類や雑誌は乱雑なまま積み上がり、冷蔵庫の野菜室にはミイラ化した野菜が鎮座し、身体は太って浮腫んで肌荒れして、クレジットカードの請求額に蒼ざめた。私は疲れきった気持ちでソファに寝転がり、送料を含めるとかなりの金額を払って買った推しの円盤をみたが、もう楽しいのかどうかも良くわからなかった。無気力に寝転がったまま、天井隅の埃と蜘蛛の巣が混じったフワフワがだらし無くぶら下がっているのを見ていたら、より一層重苦しい気持ちと酷い虚しさが襲ってきて、さめざめと泣いてしまった。たぶん良くない方向にいっている気がする。どうにかしなくちゃいけない。そう思った。
転機が訪れたのは2ヶ月ほど前だった。私は、8月に夫と時期を合わせて1週間の有給休暇をとっていた。私の住むイギリスでは、誰もが夏の期間に1〜2週間ほど仕事を休む。ホリデー(休暇)である。希望日を調整して交代でみんな有給休暇を取得するのだ。この間は旅行にいっても良い。家でゆっくり過ごしても良い。仕事から解放されてリラックスするのだ。この国で働く者は皆、このホリデーを楽しみに生きていると言っても過言ではない。さて、我が家は今年はなにをしようかと相談すると 夫は、息子2人(大学生と高校生)を連れて男だけでキャンプに行ってみたいと言った。私はその提案を大歓迎した。キャンプも悪くないけれど、私はふかふかの布団で寝るのが何より好きなのだ。トイレが近くに無いのも苦手だし。誘われてもきっと行きたくなかった。私は犬とお留守番する事を快諾して、我が家の男どもを見送った。いってらっしゃーい。私はこの1人(プラス1匹)の3日ほどの夏休みの間に、とある事をやろうと決めていた。それは 時間があったらやろう と先送りにしていたタスクを一個でも多く片付けようというものだった。しばらく『無理をしない、頑張らない』モードでいたけれど、この数日間は仕事も休みで家族に食事も作らなくて良いのだ。さすがに ちょっと頑張りなさいよって思ったのだ。
1人夏休みの初日、なかなかエンジンはかからなかった。通常のルーティンの最小ラインの洗濯と簡単な掃除と犬の散歩をしただけで1日の大半が過ぎていってしまった。やる気が出なくてノロノロしすぎてしまった。まずい。特別タスクに着手できたのは、夕方6時をまわった頃だった。正直、だいぶ面倒くさくなっていた。今日やらなくても良いじゃないか、という気持ちもよぎっていた。夏休みなんだし、休みたい…。でも私は、なんとかやる気を振り絞って、この日の為に買ったハンドクイック○ワイパー的なものを取り出した。この国では、お掃除道具のラインナップも日本のものとはちょっと違う。クイック○的なものを、私はここではあまり見かけた事も無かったし、今の今まで持っていなかった。でも買ったのだ。これで、あの日 私をすごく悲しい気持ちにさせた あの天井隅の蜘蛛の巣を一斉駆逐してやろうと思ったのだ。私は天井隅に向けて、ワイパーの長い柄を伸ばし、さーっと撫でるようにしながら部屋を一周した。ものの1分もかからなかった。たったのこれだけで、天井隅はすっかり綺麗なった。私に涙まで流させたあの蜘蛛の巣と埃が消え失せたのだった。軽く呆然としたと同時に心が軽くなったのを感じた。私はそのまま家中の天井を撫でてまわった。ランプシェードも棚の上も階段のバニスターの隙間も、手当たり次第に撫でていった。溜まっていた埃は消え失せ、どこもかしこも前よりずっとさっぱりした。時間にして10分もかかっていない。ちょっと愉快になってきた。次はキッチンの水回りに着手した。小まめに掃除しないとすぐに汚れる水回り。その小まめをおざなりにしていたのだ。シンクの表面は水垢で濁り蛇口の付け根などの溝に黒ずみが溜まっていた。長ゴム手袋をはめて、漂白剤入りの強め洗剤を使って勢いよく掃除した。10分もしないで水垢も黒ずみも消え失せて、クロスで乾拭きまでしたら、ステンレスのシンクも蛇口もピカピカになった。凄くさっぱりとした気持ちになった。次は風呂、トイレ、洗面台、どんどん掃除して行った。なんだか、この頃にはどんどん面白おかしいテンションになっていて、誰に急かされている訳でも無いのに、2階に上がるときは階段を駆け上がっていた。ようやく話が戻るのだが、あのときの私はまるで、レインボー池田さんのナイトルーティン動画のようだった。
この後も、私は奇妙な勢いにのって、夜だというのに庭に出て雑草を抜きはじめた。緯度の高い英国の8月は日が長い。21時くらいまで日が暮れないのだ。白っぽい明るさの静かな夏の夜、私はひとり一心不乱に草むしりをした。重くてゴツい庭箒も引っ張り出し、パテオ 車庫周り 玄関先をがんがん掃き掃除していった。ご近所の体裁もあるので芝生だけは夫が芝刈り機で定期的にカットしていたので、我が家の庭は遠目には手入れの悪さはそこまで目立たなかったが、よくみると刈った芝の切りカスや土埃が雨風にさらされ、玄関先や車庫周りの壁際に吹き溜まっていたのだ。それを隅から隅まで掃いていったのだ。これはなかなかの重労働で、大きく頑丈な庭箒はどんどん腕の中で重たくなっていったが、汗だくになりながら日が暮れるまでやり切った。最後に年季の入って黒ずんでいた外用の玄関マットをゴミ袋にぶち込んで終了した。気がついたら3時間くらい狂った勢いで掃除をしていた。クッタクタになった。シャワーを浴びてさっぱりしてから冷たい水を飲んだ。凄く美味しかった。お酒じゃなくてもとても美味しかった。家の中を見渡すと、どこもさっぱりしていてピカピカしていた。何ヶ月も抱えていた私の中の重苦しい気分も消えていた。ようやく霧が晴れた、そんな風に思った。その日は自分をたくさん褒めながら眠った。翌日、翌々日は、化粧品の断捨離をした。なんとなく勿体無くて捨てられなかった使いさしの古びた化粧品を一掃した。書類かごにパンパンに溜まっていた書類も整理した。郵便物などは一応すぐに開封して中身の確認はしていたが、早急に対応しなければいけないもの以外は、書類かごに入れて放置していたのだ。それらも片っ端から目を通し直して、大事なものはファイルにしまい、不要なものを処分した。新しい玄関マットを買いにいったついでに、玄関先に飾る花も買った。コスメのお店にも行き、新しい化粧品を吟味して買った。綺麗な色のアイシャドウ。使うのが楽しみでワクワクした気分になった。こんな風に過ごし、夫と子供がキャンプから帰って来た頃には、すっかり家中がさっぱりしていて、私は達成感で満ちていた。頑張った私をとても誇らしいと思えた。もう重く鬱々した気持ちなんてどこにも無かった。
『自分の機嫌は自分でとる』という名言があるが、私はこの夏休みに、ようやくわかった。私は、達成感を感じたり、自分の事を誇らしいと思えるときに、一番 機嫌が良くなるのだと。自分を甘やかして、家事をサボったり、欲しいものを欲しいだけ買ったり、お菓子やお酒を際限なく摂取することは、瞬間的な快楽は得られても、背徳感や後悔が付きまとい、結果的に自分の機嫌は良くならないのだと。疲れたら休む事も大事だ。頑張れないときには無理に頑張らなくても良い。でも、頑張った事で達成感を得たり自分を誇らしく思えるなら、私はちょっと頑張ったほうが よっぽど良いみたいだ。やっと思い出した。私は、自分で自分を褒められたとき、最高に上機嫌になるんだった。
池田さんのナイトルーティンの話に戻るのだが、池田さんは動画の最後の方で就寝前に「明日も楽しくなくてよいので、実りのある1日になりますように」と言っていた。これを聞いて、目から鱗だった。聞いた瞬間は、え?楽しくなくていいの?!楽しい方が良いじゃない??と。でも、考えてみたら、実は「楽しむ」ってハードルが高いのだ。大人が普通に日常生活を送っていて、楽しい!!って思えることってどれくらいあるのだろうか。私は看護師をしているのだが、仕事にやり甲斐は感じているが 特に楽しくはない。ときどき、珍しく奇跡みたいな神業連発が出来て物事がスムーズに進んで『やだ私、天才じゃん?!』と思えるような日も稀にあり、そんなときは楽しいとも思えるが、そういう日は凄くレアだ。大抵の日は、自分の頑張りだけではどうにもならない事や うまくいかない事ばかりで心身ともにグッタリしながらギリギリで働いている。楽しくない。家事もとくに楽しくはない。やらなければいけないのでやっているが、美味しいごはんを作れても 美味しいな、とは思うが、それは楽しいとはちょっと違う。旅行にいったり買い物にいったり友達と会ったりするのは楽しいが、そういう事は毎日できる訳ではない。日常生活の大半は、特に楽しくもないことで構成されているのだ。それを『よし!!今日も仕事を楽しむぞ!!家事を楽しむぞ!!』とポジティブに捉えていくことの、なんとハードルの高いことか。日々を楽しむ事って実は難易度が高いのではないか。私は、あの鬱々とした何ヶ月もの間、楽しむ事を目標としてしまっていた。でも上手く楽しい気持ちになれなくて、自分はなんてダメなんだろうと、さらに落ちこむループに陥っていた。趣味である推し活は、楽しさをブーストする起爆剤だったはずなのに、海外在住のため 観れなかったり行けなかったり諦めなければいけない案件が連続で重なったりすると、楽しむ事がうまくできない絶望感でいっぱいになった。楽しむって、実はとても難しいのかもしれない。
でも、『実りがある』はどうだろうか。実りを求めるということは、種を撒き 育て いつの日かの収穫を楽しみにするようなマインドセットなのではないか。いつの日かの実りを意識しながら、日々、地道に 水をやり 日光をあて 雑草を抜き 適度の栄養を与え 継続して手入れする。根気のいる作業を淡々と繰り返していくのだ。実りを目的だと意識すると、毎日の繰り返しの仕事も家事も、小さな達成感を満たしてくれるような気持ちになる。これなら出来そうだ。そして、その小さな達成感を意識することで、結果的に私は楽しいと思えるのではないか。
私は、楽しむという事を意識するあまり、やり方を見失っていた。実は、鬱っ気への対策を模索していたとき、『筋トレをする』というアドバイスもあった。そもそも運動が苦手な私である。過去にジムに入会しても、身体を動かすことが全く楽しく思えなくて 会費を無駄にしてばかりだったので、筋トレが私の鬱っ気を改善するとはとても思えなかった。しかし、筋トレのようなものが、まさに実りを意識した行動なのだな、と思った。筋トレのなにが楽しいのか ずっとわからなかったけれど、そうか、日々の小さな達成感と実りを得たときの喜びが楽しいのだな、と。
いつも元気でポジティブで楽しそうな人たちがいる。そういう人たちを、羨ましいと思っていた。私は楽しみを見つけることがが下手だから、一生あんな風にポジティブにはなれないと思いこんでいた。だけど、今はなんとなく思う。そうじゃなかったな、と。安直に楽しみを見出そうする事は、簡単ではなかったのだ。目の前の日常と真摯に向き合い、サボらずに頑張って作業をこなし、自分に達成感を味合わせる事で、結果的に楽しい気持ちになる。それが私にとっては最良の楽しみの見つけ方だったのだ。『頑張らない』は私にとっては間違った処方箋だったのだ。
さて。頑張らない を 頑張らなくなって2ヶ月。私は、心の調子がずっと楽になった。仕事は相変わらず激務だし、毎日の家事負担も多くて忙しい。仕事が過酷すぎて、クッタクタでもう動けない ような状態で帰宅した日などは、さすがに遠慮なく家事を最小限にしてサボるが、出来るだけサボった分を持ち越さないで、頑張って隙をみつけては片付けるようになった。そして、そんな自分を心から褒めてあげられて、自分の機嫌が上手にとれるようになった。『楽しむこと』を目標にしていた頃は、私の仕事と家事に忙殺されるような日々には楽しさなんて無い!!私は推し活でしか楽しさを得られない!!という気持ちにすらなっていた。ツイッターで繋がった推し仲間さん達の、キラキラした楽しそうな推し活をみて、あの人たちと比べて、自分はなんてショボくれているのだろうと落ち込んばかりいたが、それは少し不健康だったなと今は思えている。日々の暮らしの中で、小さな達成感を積み重ねる事にフォーカスを移したら、環境としては何一つ変わっていないのだが、今は凄く楽になれた。
もうすぐ50歳。いくつまで生きるのかわからないけれど、人生の折り返し地点はとっくに過ぎている。これから、どんどん身体の不調や、人生の難題や不具合も出てくると思う。そんな中で、自分の本当に上手な機嫌の取り方に気付けたのは良かったと思う。これからも、自分を褒めてあげられるように頑張っていこうと思っている。(終わり)
長文を読んでくださりありがとうございました。