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電車の家路の急展開(ドイツ鉄道の話②)

この話は前回の続きです。
前半はこちら ↓


(続き)

15分ほどで最初の駅に到着した。
ここで1度目の車両切り離し。2つに別れて別々に発車するので、通常の停車より少し時間がかかる。

今日はいつもより長い気がするけれど、本を読んでいたので気にならなかった。
今読んでいるのはカズオ·イシグロの『日の名残り』。この本は以前英語で読んだことがあったけれど、やっぱり日本語だと隅々まで分かって晴々しい。「原語は違うよね」なんて言えるほど英語ができたら楽しいだろうな。でも少なくとも決定的な誤解はしていなかったようだから、まあいいとしよう。

読書時の決定的な誤解といって思い浮かぶのは、ハーパー·リーの『アラバマ物語』。ベルリンに住む友達が「絶対いいから読んで」と貸してくれた本。
なんと、100ページ辺りで主人公が女の子だということに気がついたのだった。一人称で語られていたために判断を間違えたと思われる。近所の男の子との間に感じられるささやかな恋の雰囲気などは、主人公の性別でかなり印象が変わってしまう。本当はもう一度読み直さなければ、私には「『アラバマ物語』好き」とか言う権利がないようにも思う。
実際、アラバマ物語はとても好きだ。

隣では娘がウトウトしている。
それにしても高校生のウトウトは楽なものだ。小さい頃のウトウトはもっと気が気じゃなかった。
4つか5つ前の席で小さな子供が「あー」とか「うー」とか言っているのが聞こえる。あの子の親も気が気じゃないのだろうと思うと、少し気の毒。

車内放送が入ったのは何分後だっただろう。ひどくポツポツした音質で。

「えー、運転手がまだ到着していないため、この電車は遅れております。現在こちらに向かっておりますが、発車がいつになるかまだ確定しておりません」

……。

自慢じゃないけど私は車の所有歴なし、ドイツ在住21年、欧州内はいつも電車移動。信号の故障とか事故とか他の電車を待っているとか、あらゆる理由による電車の遅れに遭遇してきた。
しかし運転手の遅刻というケースは初めてだし予想外すぎる。まさに一本取られた感じ。

「寝坊?夜だけどね」
「家から来るのかな?」
周りはみんなザワザワ。様々な推測が飛び交う。

しばらくして再び放送が入った。

「まだ運転手の到着見込みは立っておりません。今のところ75分の遅れを予定しています。この後次の電車が来ますので、そちらに乗り換えていただく方が確実です」

……。

「っていうかさー、運転手どこに住んでるの?」
と近くで誰かが言うのが聞こえた。確かにそれはすごく気になる。

この路線は1時間に1本。つまり、もう少しすれば次が来る。
なんとなく騒がしくなり、多くの人がコートを着たり鞄を網棚から下ろしたりし始めた。
空席が目立つようになった車内で、私たちはここぞとばかりに4人掛けの席に移動した。4人揃って座るのは、電車の中の至福の瞬間。

外は霧が漂い始めた。
ホームに立つたくさんの人が、上の方の一点を見つめている。まるで舞台に出てくるアイドルを待つかのような期待の眼差しが眩しい。
その先にあるのは掲示板で、新たな情報を待っているようだった。

私たちは電車の窓越しにそれを見つめる。まるで他人事だけど、彼らと私たちの目的はおそらく同じ。

次の電車は満員だろう。
ここはまだ1駅目。先はまだ長い。
今のまま座って待って15分遅く着く方が得な気がする。それに、できれば運転手の到着を見届けたい。

でもその後、全員次の電車に乗り換えなければいけなくなった。運転手がいつ来るか分からないから、とのことだった。来ない確率もあるわけで。
警備員が見回りに来た。それでも居座る人が2人いたけれど、あの人たちはどうなったのだろう。

出口では、さっきの幼子のお父さんが急いでベビーカーを畳んでいた。上の籠の部分と足の部分が取り外せるタイプで、籠と大きなバックを持とうとしている。私は足の部分を持って一緒に降りた。
お母さんは子供を抱っこして、既に到着した次の電車に乗り込むところだった。その出入り口は入る余地がなかったので、私はベビーカーの足を手渡して他の出入り口へ向かった。
「Viel Glück (幸運を)!」
ま、私も同じ電車に乗るんだけどね。

混んでいるけれど、朝晩の都営地下鉄や小田急線とは比較にならない。へっちゃらだ。
電車の真ん中付近の通路に立つ。
外の景色がゆっくり動き出した。

途中で座れた。
隣の家族は同じようにフュルトから電車に乗って、同じように電車が止まって、今一緒にこの電車で家に帰る人たちだと分かった。
普段なら個々だったであろう電車の中の空間を、今日はみんなが誰かと共有して過ごしている。普段より少しだけにぎやかな車内。
雰囲気は不思議と悪くない。なにせ運転手が来なかったのだ。ちょっとレアで可笑しい体験の真っ最中なのだ。

予期しないことが起こったとき、体験を分かち合いたいと思うのは自然なことなのかもしれない。そして逆に、それぞれがそれぞれ過ごせる静かさを保った日常を送れるのも幸せなことなのかもしれない。

「下痢だね」
というのが隣の家族の推測だった。
運転手が遅刻した理由はみんな気になっていたけど、みんな答えは分からないまま家に帰る。下痢論の正否は闇のまま、長い1日が終わろうとしている。




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