Serdar Canan コンサート -記憶と感情を紡ぐ声-
コンサートから6日が経つ。私はあの夢のような舞台にまだ心を置いてきたままだ。
3日前の2/6、トルコのカフラマンマラシュを震源とする大地震が起こった。埼玉に住むクルド人の大半の故郷であるところの町だ。
まさか、あの幸福感に満ちたコンサートから数日後にこんなことが起こってしまうなんて。
家族が亡くなった、まだ見つかっていない人がいる、寒い中で凍えている、という状況を友人たちから聞く毎日。途方もなく無力感を感じ、「今何をすればいいのか」と探している。悲しみで胸が満たされて、ふと気づけば、あの日に戻れたらいいのに、と思ってしまう。
あの日のこととそれに至るまでのことを、忘れたくないから、せめてここに書き留めておきたい。
民族音楽学者・音楽家であるSerdar Cananと出会ったのは2022年初夏のことだ。
彼は京都大学から招かれ、2022年5月から約4ヶ月間、日本に滞在しており、京都大学や東京藝術大学を始め、日本各地の大学や組織で演奏やクルド音楽についての講演などを行った。そして日本では まだ知られていないクルド音楽の歴史や多様性について紹介し、聴衆を魅了した。
クルド音楽において欠かすことのできない存在がある。“Dengbêj”、直訳すると、”Deng(声) "+”Bêj(言う・思う・伝える)"だ。母語の使用を長らく禁じられてきたクルド人たちは、物理的には残らない”Deng”を通じて、民族の歴史や物語を語り継いできた。その役割を担っていたのが“Dengbêj”だ。
Serdar Cananは、しばしば”Berhevkar”であると紹介される。コレクター、つまり民謡蒐集家ということだ。クルド人が生活する地それぞれに、大切に歌い継がれてきた歌が存在する。
彼はクルドの村、多くのDengbêjを訪ね歩き、叙事詩や民謡を集め、研究者として学術的に論じる一方で、自身の声を通じて自ら表現している。
Serdar の歌声を初めて聴いた時の衝撃は忘れることができない。
Dengbêj たちによって連綿と語り継がれてきたものを受け取り、今ここで表現しているものは、単なる音の連なりではなく、民族の記憶や感情そのものなのだと感じた。
優しく力強く、その奥に深い悲哀を湛えた特別な歌声。
彼の歌声を聴きながら震える心の中に、「彼らの物語をもっと知りたい」という思いがくっきりとした輪郭をもって芽生えた。
2022年の年末、あるプロジェクトの主催者から、2023年1月にSerdar Cananを招聘する計画があると知らされた。
また彼の歌を聴くことができる・・・!私はすぐに彼に連絡した。
すると、「仕事の後、4日間プライベートの時間をもらうことができたので、日本で暮らすクルドの人たちや、日本で出会った人たちのためにコンサートを開きたい」という希望を伝えてくれた。
私は考えるまでもなく、即座にコンサートを企画することを決めた。
2023年1月26日、来日。1月30日まで、長野や神戸においてプロジェクト関連のレクチャーやコンサートを行った。
2月1日には、前回の来日時にも共演した作曲家・コントラバス奏者の河崎純さんの創作活動の一環として、彼の歌のレコーディングが行われた。
光栄にも河崎さんからお声がけいただき、通訳のような役割でそのレコーディングに参加させていただいた。
午後1時にリハをスタート、収録を終えたのが午後9時前。なんとSerdarは7時間以上も歌い続けた。
驚くべきことに、7時間歌ってもなお、全く変わらない歌声で歌い続けることができるのだ。
その合間に、それぞれの歌にどんな物語があるのか、各地のDengbêj の歌う方にどのような違いがあるのか、様々なことを教えてくれた。
彼の声が、河崎さんの新しい作品の中でどのように響くのか、今から楽しみでならない。
そして2月3日。数日前に新聞で大きく取り上げられたこともあり、多くの問い合わせが来ていた。
150人定員のホールはほぼ満席になった。Serdarが前回の来日時に関係を深めたクルドの方々も多数訪れていた。私も普段から親しくさせてもらっている人が多かった。
実は今回のコンサートで、Serdarから「Dengbêj の歌ではピアノの即興演奏で加わってほしい」というオーダーをもらっていた。その他、デュオで歌う数曲でも、ピアノの演奏を、ということだった。
「ピアノとクルド音楽は最高にシンクロする。サズももちろんいいけど、エリカはピアノをやった方が絶対にいい」と言われた。
私にとっては未経験のことだったし、自分が力不足であることもよくわかっていたけれど、全面的に信頼してくれている気持ちを感じたので、思い切って挑戦することにした。
本番が始まった。
クリスチャンの女性とムスリムの男性との悲恋を歌った「Gulê」という曲を1曲目に選んだ。
実は本番の1時間前に急遽河崎さんが出演してくださることになっていた。前回の共演以来、Serdarは音楽家として河崎さんのことをとても尊敬していて、出演してくれることになったことをとても喜んだ。
「どの曲で参加しましょう?」という問いに対して、「全部!」と答えていた。
そして、河崎さんは、全曲コントラバスと打楽器で出演してくれることになった。
厳かな低音から入り、突き抜けるような高音へ。彼の声は空間全体をあっという間に支配した。全ての聴衆がのみこまれていることを舞台上ではっきりと感じた。
私はピアノを通じて、彼の息遣いや感情の波に身を任せていた。
対岸からは河崎さんの心の動きが伝わってきた。
Serdarが紡ぎ出す「Gulê」の物語に、今私は寄り添っている、と感じた。打ち震えるような感動が込み上げてきた。
彼は古くから伝承されてきたDengbêjの歌やクルディスタン各地の民謡、現代の曲まで、幅広い内容で歌い上げた。
私はピアノの前に座り、時折奏でながら、彼の歌をずっと聴いていた。全てが心の奥の奥まで沁み込んできた。
今回特別なことがもう1つあった。
来日前、彼が「日本の歌を歌いたい」と言ってくれたので、私は「なごり雪」を提案した。
彼の故郷はとても雪深いGeverという町。コンサート当日もGeverは大変な豪雪だった。雪国の彼が、春を迎える目前のこの時期に歌う曲として、日本人なら誰もが知っているこの歌はとても合っていると思った。
事前にローマ字表記した歌詞を送り、イルカが歌うYouTubeリンクを送った。
ただ、今回の来日の主目的であるレクチャーの準備もあり、スケジュールも密だったので、もしかすると演奏できないかも知れないなと思っていた。
コンサート前日のリハーサル。彼は真っ先に「日本のあの歌をやろう!」と言ってくれた。忙しい中でもイルカの「なごり雪」を何度も聴き、語感のかなり異なる日本語の歌詞をしっかり入れてきてくれていた。
「明日、この曲をサプライズでやろう!」
本番では私たちがデュオで歌うパートの最後にこの曲を演奏することになった。
「日本の歌を歌います。Serdarさんの初挑戦です。」
彼は、クルドの歌とは歌唱法の異なる力強いバリトンで、歌いあげてくれた。
私は歌いながら、ピアノを弾きながら、彼の声が日本の歌にのって、日本の皆さんに届くことが嬉しくて、何度も泣きそうになった。
コンサートの後、
「本当に感動した」
「涙が出てきた」
「Serdarさんがなごり雪を歌ってくれてとても嬉しかった」
という声をたくさんかけてもらった。
「日本の皆さんのために日本の歌を」という彼の気持ちが皆さんにしっかり届いたことが嬉しかった。
また、聴きに来てくれたクルドの友人からこんなことも言われた。
「ピアノが初めて好きになったよ」
「あなたの気持ち、本当に嬉しかった。本当にありがとう」
日本で暮らすクルドの友人たちに祖国の歌を届けたい、いつも多くのことを教えてくれる彼らに感謝の気持ちを伝えたい、その思いを受け取ってもらえたんだな、と実感した。本当に良いコンサートだった、としみじみ感じられた。
以前、河崎さんがこんなことを言っていた。
私はこの感覚に深く共鳴し、Serdarの声を聴きながら、「私の生はこの歌に支えられている」と感じていた。
なぜ生まれてきたのか、生きるのはこんなにも辛いことなのに、それでも生きなければならない。死によって消滅するまで、私はこの生をどう使えばいいのか。ずっとずっと問うてきた。
愛情深い両親のもと、健康な身体を授けられ、何不自由なく育ててもらい、きちんとした教育を受けさせてもらい、衣食住に困らない生活を得ている自分に対して常に問うていた。
私は今、「彼らが大切に語り継いできた物語に寄り添って生きていきたい」と強く思っている。
そうすることで、自分の生をようやく肯定できると感じている。