撮影とイフタール Şerme 恥の文化
昨年ドキュメンタリーの撮影のために来日していた時に知り合ったジャーナリストのSerbest(İrfan)からSerdarに依頼があった。私がGeverの村を訪れて、村の人たちと交流しているところをドキュメンタリーの素材として使いたいので撮影してほしいという。
今日も村へ向かう。村へ到着すると、割と強めの雪が降ってきた。まだ冬は去っていない。
ここに来てほぼ毎日雨や雪が降っていて、活動が制限されているなぁと感じていたのだけど、「雨はとっても大切。この雨のおかげで植物も成長するし動物の食べ物もたくさんできるから」と、誰もが雨を歓迎しているのがとても素敵だ。
毎日村を訪れているので、会う人会う人みんな顔見知りだ。あちこちの家にお邪魔してチャイをご馳走になり、ちょこちょこ撮影もする。先日から会うたびに歌をリクエストしてくれるおじいさん(数日前に奥さんを亡くしたばかりの方)のために今日も2曲歌った。
ラマダン中で、毎晩Bangê(イフタール)におよばれしている。ぼーっとしていると、「Bixwe bixwe(食べて食べて)」とガンガン肉を盛られていくので、強い気持ちで「Bese(もう十分)」と伝えなければ大変なことになる。
これもまたラマダン中の特徴として、夜中になるとまた食べる人がいる。ずっとお世話しなければいけないので、若い女性たちはグッタリしていて気の毒だった。もてなしが十分でないこと、食べ物を十分に提供できないこと、夕食の直後に美味しいチャイを提供できないことは「Şerm(恥)」だ。とても頻繁に「Şerme」という声が聞こえてくる。日本も恥の文化だと思っていたけど、こちらの文化の方がより厳しいように感じる。