客人の山分け@Amed-Pasur
9時から約束があったので、羊子は珍しく朝早めに起きていた。
AmedにはWeqfa Mezopotamiaという研究所がある。クルド語、特に分野ごとのタームを整理して辞書を作ったり、民話・伝承・音楽・哲学などについて研究したりしている。錚々たる知識人が集まっていて、今日はそこを訪ねることになっていた。
去年も訪問しているので知人も何人かいたのだが、会えるのを最も楽しみにしていたのが、民族音楽学者のZeynep Yaşだ。彼女は200年以上前まで遡り、現在にいたるまで、クルド語で歌われた歌に係る資料を蒐集し、全集を作ったり、博物館内に音楽専門の資料室を作ったりしている。
研究員向けのセミナーを終えたZeynepがすぐに我々のところにやってきて大歓迎してくれた。日本でこれからやろうとしているプロジェクトについて少し話すと、
「何か助けが必要なら言いなさい。これがほしい、あれがほしい、何でも言って。いつでも準備できてるから」
もう仏やん。神やん。最高すぎる大好きすぎる。
そんな嬉しい再会のあと、Amedの郊外にあるPasurという地域へ向かう。ジーザスの実家へ行くためだ。
ジーザスの村は、Pasurの中でもだいぶ山奥の方だ。過去2回訪れたが、ジーザスの弟Cudîに連れて行ってもらったのでどのようにして辿り着いたのかわからない。Batmanの道端でドルムシュに乗ったことだけは覚えている。
Amedからはオトガル(長距離バス発着所)からドルムシュに乗るらしい。羊子とWeqfaの先生がオトガルに連れていってくれて、「これに乗るんだよ」と教えてくれる。
ジーザスが予め「この人に何でも相談したらええよ」と紹介してくれた幼馴染から、こう告げられる。
今日はPasurの中心地へ行き、その幼馴染の家で滞在し、明日、山奥の村の方へ行く、と。そういうことになっているらしい。私の知らないところでそう決まっていた。客人の山分けだ。
オトガルからドルムシュで二時間もかけて郊外へやってきた。幼馴染の家には彼の家族以外にとたくさんの人、特に子供が集結していた。
みんなで界隈を散歩して、いろんな場所で紹介される。子供達も友達に見せびらかす。
「私たちのゲストは日本人で、クルド語を話して、トルコ語を話さないんだ」
ホストたちの、「こんなに強いカードはなかなか無いやろ」という、ドヤ感。
外部から旅行客などやってくるわけもない郊外の小さな町なので、誰も彼も好奇心を隠せない。
クルド語でMêvandarî。
日本語ではおもてなし、が近いだろうか。
客人をもてなすことは徳を積むこと、というのはイスラムの教えにもあるが、宗教教育によって育まれるというより、そのような風習があったことが先立っている気がする。直感として。