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太陽神Ali Tekbaşが録画してくれた日@イスタンブール

昨日、多くの友人が制作に関わる短編映画”Muzîka Li Pişt Sînoran”について書いたところ、想像以上にたくさんの反応をもらった。長々とした日本語をわざわざ翻訳にかけて全文読んでくれた人も何人かいて、とても嬉しかった。

昨日の手記では「境界線の向こう側の物語を想像しながら、焦がれ続けるのだと思う」と書いて結んだ。今日は焦がれてやまないクルドの歌の世界にどっぷり浸れる、太陽神Ali Tekbaşのレッスン日だ。

今日取り組むのは”Serşo”という形式の”Sulavê”という曲だ。

“Serşo”
結婚式で、新郎が髪を洗い、髭をきれいに整える儀式の際に新郎の親族によって歌われる歌。Colemêrg、Botan、Behdinanで歌われる(その他の地域ではあまり例がない)。

Colemêrg: ハッカリ
Botan: シルナク、ジズレ
Behdinan: ドホーク、ザホ、アクレ、アマディア

“Sulavê”は滝を意味し、髪を洗う際に浴びる水を指している。歌詞には新郎を讃える文言が並び、一部新婦にも触れる。同じ歌詞でメロディーが異なる、もしくは、メロディーが同じで歌詞が異なる、ということがクルド音楽にはよくある。“Sulavê”は前者のパターンだ。今回のレッスンでも2パターンに取り組んだ。

いずれもシンプルなメロディーラインに思えて、Tama Muzîka Kurdî(クルド音楽の味わい)たっぷりだ。喉をコントロールして、平均律ではあらわせない音程を狙い、細かくビブラートをつける。

「えりか、Agirîへ行ってたよね?この歌、Agirîで勉強したの?よく聴いて、よく勉強してきたね!」

一フレーズ歌うごとに、「ありがとう。ブラボー!」と言ってくれる。こんなに満足そうな反応は初めてだ。

「Serşoはクルド人の音楽家にとっても難しい。でもえりかの歌はSerşoになってる」

Serşoになってる、、!やぁぁぁめちゃくちゃ嬉しい。

「録画してSNSでアップしていい?」

Gotîn û Vêgerînという掛け合いの方法で2人で歌って録画する。録ったものを見ながら嬉しそうに笑う太陽神。Aliが自分のSNSで紹介したいと思ってくれるなんて、本当に嬉しい。

左:花婿 右:花嫁
絵心満載!


次回は形式”Şeşbendî”の”Gulê”を歌う。クリスチャンの女性とムスリムの男性との悲恋を描く歌。これも技巧を要する難曲だ。どこまでGulêの物語に迫れるか、挑戦してみよう。

さて、夜はマドリッド出張中のBelgîzが「すごくいいから観に行って」とすすめてくれた、Çıplak Ayaklar KumpanyasıというダンスカンパニーによるSARというステージを観に行った。



舞台いっぱいに広げられた大きな一枚の紙を使って一人のダンサーが表現する。



世界、人類、山、地球、空などが人為によって制御できるかのように誤解されている、ということが表現の根幹にある。

終演後、ぐしゃぐしゃにされ散り散りにちぎられた紙が押し込められたボロボロのゴミ袋がステージ上でスポットをあてられていた。なるほど客の関心は、この後どこでビールを飲むかどこでスイーツを楽しむかということに移っている。めちゃくちゃになった紙のことはもう気にしない。

このシアターでは太陽神が定期公演中(真ん中のポスター)

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