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Serdar Canan 来日企画2024 -メソポタミアの記憶が一人の語り部の声に憑依する-

民謡なき世界で

自然と共生し、人の誕生を喜び、死を悼み、家族や同胞の幸福を祈る。そうした人間の根源的な感情や営みが、呼吸をするように自ずと、一人の語り部の声に憑依する。身体から絞りだされた深く抑揚する旋律は、周辺民族の歌唱法とも異なる。このクルド民族独自の文化の担い手が「Dengbêj(デングベジ)」だ。

Serdar Canan (撮影:鈴木雄介)

「Deng(声)+ Bêj(言う)」

Dengbêj

クルド民族は、トルコ、イラク、イラン、シリアにまたがる地域に主に暮らしている。その歴史は苦難に満ちたものだ。

「クルド人」という存在は各地で否定され、離散して世界各地に移住し、日本にも難を逃れた多くの人々が暮らしている。母語であるクルド語も長く使用が禁じられてきた。国家の保護によらず、それゆえにこそ、この特異な朗唱文化は死守された。

民族の歴史や物語から暮らしの出来事まで、デングベジたちは、あらゆることを吟じた。文字や楽譜に残されなかった言葉や旋律を、文字通り歌い継いできたのだ。

それを継承する歌手であり研究者のSerdar Canan(セルダル・ジャーナン)氏をトルコから招いて行ったのが、本企画である。セルダル氏の声は、歌のような、詩のような、叫びや唸りのようなものとして、大きな風景の中に立ち上って、踊りだす。

「これは音楽なのだろうか」

この声の営為を目の前で体験する人々はまず、驚嘆しながら、戸惑いを覚えることになるだろう。日本では、消費社会や国家などの権威に保護された音楽を、当たり前のものとして日々享受している。そのような私たちにとって、歌や音楽という語の枠を超える、名状しがたいその声は、謎めいて理解しがたく、神秘的でさえある。

私は、この声の文化に出会って以来、「クルディスタン」の地へ頻繁に足を運んでいる。そこは何気ない会話までもが、歌のように聴こえるほどに、「歌う土地」だ。どの地域でどのような歌が生まれ、受け継がれてきたのか、人々と共に生活しながら見聞を重ねてきた。


伝統的な生活を送る村

民族や部族の記憶の総和を、声のみで表現するデングベジは、コミュニティの中で尊重された存在だ。その一方で、地域、集落ごとに、「誰もが歌える歌」がいくつも存在する。そうした素朴な民謡は、人々が生活の中で歌い継いできたものだ。

クルディスタンの地では、民謡の元来の姿がいまなお生きている。民謡は、居住まいを正して「音楽」として向き合う歌曲としての歌や、様式化された伝統芸能とも根本的に性質が異なる。

日本でもかつては、人々の生活から自然発生した民謡が存在した。生活様式が全面的に変容した現在では、個々の生活の中から失われ、実質的に過去の遺産となってその一部が保護されている。私たちは、「民謡の無い世界」に生きている。過去と分断され、人工物に囲まれ、管理されながら生きている。あらゆる現象は合理的に制御され、不確実性は雑音として排除される。

しかし不定形で曖昧で、固定化されないものが、「国を持たない世界最大の少数民族」と言われるクルドの文化には残っている。合理性を絶対的なものとし、それを互いにぶつけあうこの世界のなかで、過去との連続性の中に生きる人々の声が、救いになりはしないだろうか。

これまでの活動

2022年夏、私は、京都大学のあるプロジェクトより招聘され日本各地でレクチャーやコンサートを行っていた、Serdar Canan氏と出会った。音楽家であり民族音楽研究者である氏は、デングベジやクルディスタン各地の民謡を研究し、自身の声で表現している。また同時期、国内外多数の舞台作品の音楽監督を手がけ、主宰する音楽詩劇研究所で「ユーラシアンオペラプロジェクト」を展開する作曲家、コントラバス奏者の河崎純氏と出会う。以来、グローバルな視野を有する氏の助力を得ながら、セルダル氏が自身の知見を元に「クルドの声の文化」を紹介し、表現する場をプロデュースしてきた。
・2023年2月6日 埼玉・川口公演
・2023年10月8日〜11日 日本4都市コンサートツアー(埼玉・京都・大阪・広島)

Serdar Canan、河崎純、上田惠利加(撮影:鈴木雄介)

次なる表現へ

こうして昨年まで、「クルドの声の文化」を演奏によって紹介する音楽会形式のイベントを開催してきた。日本において知られざるこの文化を紹介することに力点を置いたからだ。公演を数回重ねて関係性を深める中で、この歌唱文化の背景にある人々の生活や物語なども含めて伝える必然性を感じた。そのためには、さらに複眼的な視野による表現を要する。

これまでにもクルディスタンへは何度も訪れているが、ここ数年は数ヶ月単位でクルディスタンに滞在し、人々と生活を共にするようになった。美しい自然や動物に囲まれ、伝統的な生活を営むその姿への強い憧れはそのままに、どれだけ近づこうとも越えられない境界線によって、彼らと私の間は隔てられていることへの哀しみの存在に気づいた。どれだけ言語や歌を学ぼうと、どれだけの日々を共に過ごそうと、私は、彼らと物語を共有しない異邦人なのだ。この眼差しが、異文化の紹介や礼賛やノスタルジーに留まらない、創作の中核をなす。この眼差しで捉えた現地の映像が、舞台上の声や音楽や踊りに融合していく。

企画総括

1)2024年9月20日、21日 ワークショップ@楽道庵
講師:Serdar Canan、河崎純、
進行、演出:河崎純
参加者:舞踏家、ダンサー、朗読家、俳優、画家、歌手、器楽奏者

クルドの口承に触れ学ぶセッション、Serdar Cananの声に身体や声の表現を重ねるセッション、「春と修羅」をはじめとした宮沢賢治のテキストを朗読し、Serdar Cananの声に重ねるセッションなどを行った。9月26日、27日のシアターカイ劇場公演のための稽古を兼ねたプログラムだ。二日間、合計7時間に及ぶ濃密な創作の時間。「楽道庵」という木造の空間で行ったことにより、個々の、内と外の、境界が曖昧になるような瞬間もあった。

セッションの一風景

2)2024年9月22日 埼玉公演@122KYARA
出演:Serdar Canan、河崎純(cb)、小沢あき(gt)、伊藤結美(perc)、上田惠利加(pf)

在日クルド人のためのコンサート。日本で暮らす同胞のための公演では、Serdarは毎回特別な歌を用意する。同じクルド人といえども、地域によって好まれる音楽は異なるからだ。この日最も盛り上がったのは、カフラマンマラシュ、ガズィアンテプ出身のクルド人が愛する音楽家Garip DostのQuol Nosire。11拍子の曲だ。この数年、クルド人に対するヘイトは苛烈を極めている。この日もX上で、心無い投稿があり、それに心痛める友人たちの顔があった。この場で、それを書いた張本人が居合わせて、Quol Nasireを共有することができたら、と思った。公演自体は、心の底から、ただただ楽しいものだった。本格的には初共演となる小沢あきさんと伊藤結美さんが、全力でSerdarの歌を理解し、寄り添い、戯れてくださった。最高の夜だった。

伊藤結美、河崎純、Serdar Canan、上田惠利加、小沢あき


3)2024年9月23日 横浜船劇場公演(Serdar Cananゲスト出演)

河崎純さんが主宰する「音楽詩劇研究所」の公演にSerdar Cananがゲスト出演。「海に浮かぶ船の劇場」という特別な空間に合わせ、Serdarには浴衣を着てもらった。ソリストは台湾の原住民タイヤル族にルーツを持つエリ・リャオさんとゲストのSerdar Canan。演奏は河崎純さん、ギタリストの小沢あきさん。舞踏、ダンスは亞弥さん、三浦宏予さん、山田有浩さん、謠・舞・パフォーマンスに吉松章さん。大切に守られてきた船の上の劇場は荘厳で重厚。そこに響き合うエリさんとSerdarの声、河崎さんとあきさんの音。船の揺れに自然に沿うパフォーマーの皆さん。静かで、だからこその雄弁な表現が特に際立った、素晴らしい創作だった。音楽詩劇研究所の皆様とプロデューサーの斎藤朋さんに感謝いたします。

(撮影:marmelo)
(撮影:marmelo)

4)2024年9月26日、27日 劇場公演「Bihar û Aşûra -春と修羅-」@シアターカイ
構成・演出:河崎純、上田惠利加
作曲・音楽監督:河崎純
照明:宇野敦子
出演:Serdar Canan、河崎純、向島ゆり子(vn)、深川智美(perc)、三浦宏予(パフォーマンス)、原牧生(朗読)、山田有浩(舞踏)、大迫健司(パフォーマンス)、服部由美子(朗読)、古野泉(朗読)、輝城みつる(パフォーマンス)

「自然を讃え 人の誕生を祝い 死を悼む。メソポタミアの記憶が 一人の語り部の声に憑依する。音楽とも 歌とも言えない 祈りのような 叫びのような声に 驚嘆し 立ち止まる。遥か遠い地で 何代にもわたり継がれてきた「心象スケッチ」が なぜか「春と修羅」の世界観を強く想起させる。本公演は メソポタミアの叙事詩や民謡に 賢治のテクストを織り交ぜることで 時空を超えた生の交感のありようを探る試みでもある」

本企画のメインイベント。歌を語り継ぐという連続性の中にある生への憧れ、どんなに欲しても一体になれない哀しみを、何らかの形で表現したいと思った。クルディスタンでの2ヶ月の滞在を終え、ふと何か予感めいたものが頭をかすめ「春と修羅」を読んでいたとき、クルドの歌と宮沢賢治、解釈を加え、織り交ぜていくことで、解放できるものがあるかも知れない、あるいは昇華すらできるかも知れない、と感じた。そこから河崎純ワールドが展開されていくことになる。並べた素材をもとに、クルディスタンの四季をスケッチしていく。予め依頼していた出演者である方々に加え、数日前にワークショップに参加して下さった方々にも出演者として加わっていただくことに。

「春と修羅はこんな声を持っていたのか」と思わずにいられなかった原牧生さんの朗読。妖艶に気高く舞台を彩る三浦宏予さんの舞。「人間の精神はこんな肉体を持っていたのか」と感じさせる山田有浩さんのパフォーマンス。静止の中に最大の美を宿す亞弥さんの身体。クルドと賢治それぞれの中に現れる「労働者の芸術」を体現した大迫賢治さんのパフォーマンス。耳に心地よく説得力を持つ服部由美子さんの朗読。クルドの民謡「王様の刺繍」の日本語歌詞を一晩で作り、聞かせてくれた古野泉さん。照明によってこれほど感情の起伏が生まれるとは、という驚きを与えてくださった宇野敦子さん。

バイオリン、声、驚異的な存在感で、舞台の世界観を創り上げた向島ゆり子さん、さまざまな音を自在に作りだし、場面場面に表情を与えた深川智美さん。この超弩級の個性を巧みに舞台へ配置し、即座に紡いでいく河崎さんの演出には、もはや驚きと畏敬しかなかった。

この試みについて、どんなに言葉を尽くしても、伝えきることはできていなかったと思うけれど、辛抱強く理解しようと努め、その声によってこの創作に命を与えてくれたSerdarには、感謝してもしきれない。Serdarの声に出会い、魅せられ、駆り立てられてここまで走ってきた、自分のこの生の瞬間瞬間のかけがえのなさを、何度も噛み締めている。

カーテンコール
後列 大迫健司、亞弥、服部由美子、深川智美、三浦宏予、向島ゆり子、山田有浩、輝城みつる、
前列 原牧生、上田惠利加、Serdar Canan、河崎純
両親も来てくれた(兵庫県の家島から)

5)9月29日 東京公演@公園通りクラシックス
出演:Serdar Canan、河崎純(cb)、立岩潤三(perc)、上田惠利加(pf)、ゲスト・緒方麗(まつばんだ)

Serdar Canan来日企画2024ファイナルは、レクチャーとコンサートの2部制で開催。第1部のレクチャー&実演の回では、「クルディスタン」の地図を見せながら、どの地域でどのような歌が歌われるのか、そのそれぞれの特徴はどうか、ということを実演しながら教えてくれた。トルコでも同様のレクチャーを数多く行ってきていることもあり、その説明はとても明確で洗練されていて、初めてクルドの民謡について耳にする人にもわかりやすい内容だったと思う。各地の地形によってその歌の抑揚の付け方、メロディーの付し方に違いがある、というところは特に面白い。Serdarの故郷の山深いColemêrgは大きく抑揚をつけ、平地の多い地域では3つか4つの音でミニマルに表現すると。1部の後半には屋久島からのゲスト、緒方麗さんを迎えた。屋久島の古謡「まつばんだ」の歌い手だ。偶然緒方麗さんの歌に出会い、「ぜひ聞かせていただきたい」という依頼を快く受け入れ、屋久島から文字通り飛んできてくださった麗さん。その歌は、神がかっていて、歌というよりも、霊魂かそれに類する何かに近いものだと感じた。会場の私たちの間をスーッと風が通り抜けていったような。不思議な体験だった。

第2部では、河崎純さんと、初めての共演となるパーカッショニスト立岩潤三さんとのアンサンブルでのコンサート。私自身、今回の公演中で初めての生ピアノだったので演奏するのがより気持ちよく、汗だくになりながら弾いた。Serdarの熱の入り方も間近で感じられて、特にHay Şengêという彼の故郷の民謡は、頭の神経が切れそうなほどの興奮の中にいた。この歌は、今シーズンのSerdarのレパートリーの中でも私が特に気に入っている5拍子の歌だ。18世紀、Colemêrg (Serdarの故郷)の王Ibrahim Xanが、領地内で力を増大させていたŞekir Axaというとある部族の長を脅威に感じ、軍を差し向けて殺害した。そういう内容の歌だ。歌詞は共通で異なる旋律を付したバージョンがいくつも存在する。そしてその歌でクルド人は踊る。歌にし、踊りにすることで、人々の記憶により強く残すことができるのだ、とSerdarは語る。口頭伝承の世界を象徴する歌でもある。河崎さんの踊り狂うコントラバス、多種多様な楽器で歌の世界に豊かな表情をつけていく立岩さんの演奏。その音の世界でSerdar Cananの声は、地面を揺らし、天を突き破り、観客の心に染み入り、飛び込んでいった。

上田惠利加、Serdar Canan、河崎純、立岩潤三
渋谷・公園通りクラシックスにて(佐谷修さん、松尾賢さんと)

企画を終えて

昨年のコンサートツアーで広島公演を終えた時、「Serdarがこんなところまで連れてきてくれた」と思った。その時、心の中で、今回の企画に向けての一歩を踏み出していた。前回までと今回とでは、異なる点はとても多いけれど、最も大きな点は、多くの多様な表現者の方々と関わらせていただけたことだ。クルドの人たちと楽しい時間を過ごすことができた埼玉公演では小沢あきさん、伊藤結美さん。新たな創作の世界へと踏み出したシアターカイ「春と修羅」公演では、向島ゆり子さん、深川智美さん、三浦宏予さん、原牧生さん、山田有浩さん、大迫健司さん、服部由美子さん、古野泉さん、亞弥さん、輝城みつるさん、宇野敦子さん。満員のお客様と共に興奮の渦の中で歌った東京公演では立岩潤三さん、緒方麗さん。総合チラシを制作してくださった三行英登さん。

私のぼんやりと曖昧なイメージに形を与え、自身の知見と経験を惜しみなく注ぎ、企画の実現のために多くの素晴らしい芸術家の方々を呼び寄せてくださり、創作の現場に導いてくださった河崎純さんに、心からの感謝と敬意を贈りたい。言うまでもなく、河崎さんの力なしには何一つ成立し得なかった。

そして、今回も遥か遠いクルディスタンの村Befircan(天国よりも美しい)からやってきて、その類い稀なる声で、物語を紡ぎ、多くの人にインスピレーションを与えてくれたSerdar Cananに、心からの敬愛と感謝を贈りたい(シアターカイ公演にいらっしゃったあるお客様が「神様に選ばれた声」とおっしゃっていた)。「このような意図で行う企画です」と、私は各所で並べ立てているが、常に、最大の動機は「私自身が、Serdar Cananの声と物語を、振動を感じられるほど近くで聴きたい」ということに他ならない。これからも、たくさんの歌と物語を聞かせてほしい。

今後の構想(と野望)

・この度初演を終えた舞台「春と修羅」を、宮沢賢治の故郷、岩手県で上演したい。
・クルドの歌、Serdar Cananの声を中核においた日本発の創作である同作を、トルコ・イスタンブールで上演したい。

報道とチラシ

クルディスタンのメディア「Rudaw」でのレポート
https://fb.watch/u_1l-z5Bth/

総合チラシ(制作:三行英登)
埼玉公演チラシ
「春と修羅」チラシ
東京公演チラシ
音nity on the 船劇場(Serdar Canan ゲスト出演)
デーリー東北(小作真世記者)
毎日新聞(田原拓郎記者)
東京新聞(出田阿生記者)


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