Befircan クルドの村
何をするでもなく、ぼんやり庭を眺めて過ごす。鳥の歌声、子羊や鶏の鳴声、流れる水の音、時折近所の人たちの話す声。太陽の光を浴びて輝く木々や草花の緑が眩しい。
夜は満点の星空の下で散歩する。虫の声、風に揺れる木々の葉の音、自分が歩く足音と村の犬GurzoとŞinoの足音。くっきりと浮かび上がる三日月と流れ星。Sinzîの木の葉の香りがどこまでも漂う。
Dengê Bêdeng 静寂の声、とSerdarが言っていた。
各家族の中で、Geverの街中で仕事を持つ人、村の仕事をする人、それぞれ役割がある。
村では畑で野菜を作る、zom(高原)のbêrî(羊を集めて囲う場所)で羊の乳搾りをする、羊乳でチーズやヨーグルトを作る、Tenûrでナンを焼く。どれも重労働だ。
そんな労働の合間に、いつなんどきでも誰かが誰かを訪ね、庭やバルコニーでチャイを飲みながら話す。
夕食が終わる頃には誰かの家で自然発生的に集まり、また夜中までチャイを飲みながら話す。
若い人たちは数人で連れ立って村の中を歩きながら話すのを好む。時には若者だけで集まってビールを飲んだりもする。年長者がいるところで酒は飲めないしタバコも喫めない。
この地域では、気候の良い6月から8月にかけて、結婚式を行う人が多い。村の人たちやその親族の中でも10組ほどの結婚式が予定されていた。
クルドの伝統的な結婚では、新郎側から新婦へ金(ゴールド)を贈る風習がある。ネックレス、ピアス、腕輪、Kemer(伝統衣装の一部であるベルト)など、金のものを準備し、婚約披露式や結婚式では、その一つ一つが列席者に紹介され、新婦に装着されていく。金は富の象徴。新郎側にとって、家の裕福さを示すために多くの美しい金を贈ることが重要で、新婦側にとっても、それは多くを受け取るに相応しい娘を持つ家であることを示す。
それだけでなく、結婚式で身につける花嫁衣装、伝統衣装(Kiras û Fistan)、ブラウスやスカート、ワンピース、下着類、化粧品、洗面用具、新婦の母親の伝統衣装なども、婚約披露式で新郎側から新婦側へ贈られる。
*Kirasは薄手のワンピース状、Fistanはその上に重ねて着る羽織り。Kemer(ベルト)できゅっと締める。
さらに、結婚した夫婦は、新しく家を構え、家具、家電、食器類、寝具類、全て新しいものを揃える。裕福に見えるように。
つまり、とんでもなくお金がかかるのだ。チャイを飲みながら永遠に続くおしゃべりの内容は、たいていあれがいくらだった、これにいくらかかる、高い高い、とお金の話が大半だ。あの時のあの衣装がきれいだった、など、Kiras û Fistanの話題も多い。親族の結婚相手やその家族の話題も多い。嫁がきれいだ、不細工だ、親族があれこれ欲しがり強欲だ。
毎日のように同じことが繰り返される。誰かに誘われてチャイの集まりにひとたび巻き込まれると、夜中までそれが続き、「なんて退屈なんだろう」と逃げ出したくなる。が、一人帰ります、などとはとても言えない無言の拘束力があるのだ。
Mêrdînで暮らしていて、弟Sedatの結婚式のために帰省中の、Serdarの一番上のお姉さんAysunと2人日向ぼっこをしながら、「子供が大きくなったら村に帰ってきたいと思う?」と聞いてみた。
答えは「ノー」。即答だった。「自分の父親母親、兄弟姉妹のことは大切だけど、その他の親族への関心はそれほどない。ここにいると、絶え間なく誰かが訪ねてきて、チャイを出して、出したと思ったらまた誰かがきてチャイを出して、永遠に繰り返される。みんなが互いに疲れさせ合ってる」。
外出先から帰ったときに、家族以外の人の靴があった時の煩わしそうな反応を何度も何度も目撃した。が、ひとたび家に入ると、来客に対して、敬意と歓迎を表す千の言葉を笑顔で贈る。
年長者を敬うこと、若年者がチャイの世話をすることは当たり前で、家の人が全員出てきてもてなすことが当たり前だ。それができないことは、Şermê、恥ずかしいことなのだ。何が立派で何が恥ずかしいことなのか、子供の頃から周りの親族からしつけられて育ち、その不文律の中で生きている。
見栄と恥の文化、とでも言おうか、腹の中で何を思っていようと、伝統に則った恥ずかしくない言動をとることが大切なのだ。
Aysunだけでない。SemroもBêroも、「村は退屈、煩わしい。絶え間なく来客があって、チャイチャイチャイ、カオスカオスカオス、結婚式結婚式結婚式、早く他の街へ行きたい」と言う。
美しいBefircanで過ごした2週間、4月にGeverで過ごした2週間、一緒に過ごした一か月のうちに、彼女らの気持ちもよくわかるようになった。そして、紛れもなく、私も彼ら彼女らを疲れさせていた張本人だったのだろうと思う。クルドのMêvandarî、来客をもてなす文化もまた、強固なものだ。客に腹一杯食べさせ、心地よく過ごさせ、一人にさせないことはホストにとっては半ば義務のようなものだ。いわゆる「スタンダードなクルド語」とは大きく異なる彼らの言語がまだよく理解できない私を置いておくのは、それなりに重荷だっただろうと思う。
今日の夕方、Befircanを発った。
いつもと変わらず朝食をとり、しばらくチャイを飲みながら庭でのんびりしていると、隣の家の親戚が幼い孫娘を連れて訪ねてくる。しばらく皆で孫娘の相手をしながら話し、去るとまたぼんやり過ごす。合間合間の決まった時間にSerdar、お母さん、Aysunはお父さんの介護をする。
AysunがKiras û Fistanを着て出てきて、「これ、どう?」と言う。黒のKirasに緑のFistan。Fistanはあまり見ない意匠でとても素敵だった。「すごくきれい!」と答える。Serdarが言う。「これはえりかへのプレゼントだよ」。
最初は言葉を聞き間違えたのかと思ったが、「着てみて!」と促されて、Fistanに腕を通す。お母さんも「見せて見せて」とやってくる。「すごくよく似合う!これは私が着てたKiras û Fistanだよ。コンサートでこれを来てね」とAysun。お母さんも「とってもきれい」とニコニコ笑っている。Aysunは黒のKiras一着、Fistanは緑と黒の二着をプレゼントしてくれた。Serdarも「また日本で一緒にコンサートをする時にこれを着て」と言ってくれる。Aysunから受け継ぐKiras û Fistan。新品ももらうよりずっとずっと、何倍も嬉しい。
最後にお願いして、お父さんのベッドを囲んでみんなで写真を撮った。家をあとにするとき、お父さんの手の甲にキスをして、その手を自分の額へあてた。「Destê te maç dikim(あなたの手にキスを)」。年長者への敬意を表すクルドの挨拶。その間、お父さんは青い目で私の方をじっと見ていた。
家の外に見送りに出てくれていたお母さんも「さあ、おいで」と涙を流しながら頬にキスをして抱きしめてくれる。言葉を懸命に探しながら、精一杯感謝と敬意を伝える。涙が止まらなくなる。お母さんの手をとりキスをして、額へあてる。Destê te maç dikim. どうかどうか、お元気で。
Aysunも「あなたが行ってしまうなんて本当に寂しい。必ずまた来てね」と涙を流しながら抱きしめてくれる。
「さあ行こう」。BefircanからGeverの空港へ。Serdarが送ってくれる。少し車を走らせて、「ほら見て、クルディスタンのえりかの故郷はあそこだよ」
太陽を浴びて緑輝くBefircanが見えた。毎日聞いていたDengê Bêdengも、毎日見上げていた満天の星空も、今晩からはもう、ない。そのことがまだ実感できない。
しばらくすると、きっと、Befircanの美しさ、村で出会った人たちのこと、お母さんの慈愛に満ちた笑顔、お父さんの青い目、煩わさと退屈に満ちた時間、様々な断片を思い返しては、その愛おしい全てに何度も涙するのだろう。
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