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Pulur(Ovacık), Dersîmへ遂に来た!

昨日Elezîz行きの飛行機に乗れず、今日の早朝便でErzînganへ飛んできた。目的地のDersîmまでの距離はElezîzからとさほど変わらなそうだったので、難易度は高くないだろうと思っていた。

Erzînganの空港について、まずはオトガル(長距離バス発着ステーション)行きのバスに乗る。オトガルに着くと、Dersîm行きのミニバスがあったので、それに乗ろうとすると、満席だという。しかも次の便が3時間後だと。満席通告をこの二日間で何回受けているだろう。「床に座るから乗せてくれ」とごねてみたがダメだという。

一泊二日しかないので、とにかく早くDersîmへ行きたかった。というか、こっちは昨日から待機しているようなもんだ。背に腹はかえられぬ、と思い、タクシーで行くことにした。2時間ほどかかるところへ向かうのでかなりの出費になるだろう。ミニバスの運営会社の人にお願いして、タクシーの運転手に交渉してもらう。それから、他にDersîmへ行きたい人がいないか探してもらう。

するとラッキーなことに1人同乗者が見つかった。Elezîz出身の兄さん、運転手さん、私の束の間の3人旅の始まり。途中、あそこで茶葉を育てているよ、とか、ここがなんとかという町だよ、とか、いろいろ教えてもらい、チャイ休憩をはさみつつDersîm到着。

チャイ休憩



Elezîz兄さんが、「お腹すいたでしょう」とドネルをおごってくれた。食べている間に、Serbestの友人ジャーナリストのFiratに電話する。するとものの5分で来てくれて、これから向かうPulurへのバスのチケットの購入、Pulurでの宿の予約、明日のPulurからElezîz空港へのバスの手配、何もかも感動的にサクッと手配してくれた。ワンダフル!

ドネルおごってもらった


Firat、Elezîz兄さん、私の即席トリオでチャイを飲んで、念願のPulurへ!ミニバスの車窓からの景色が既にもうずっと息を呑む美しさで、あぁここに来られてよかったと思い続けていた。1時間ほどして到着すると、目の前にFiratが手配してくれたホテル。荷物を置いてすぐに散歩に出かける。ムンズル川へ!

高くそびえる山々には雪が残り、低山は青々と輝き、色とりどりの花が咲き、ムンズル川がところにより轟々と、ところによりさらさらと流れる。Amedで「Dinya boş e lo!(世界は空っぽだ!)」という言葉を教えてもらったが、「Dinya xweş e lo!(世界は美しいよ!)」と叫びたかった。

イッヌの親子 伸びをするお母さんと5匹の子 
かわいすぎるやろ!



ホテルへ帰ると、Firatの友達のホテルオーナーがいて、「ここから10kmくらい先に滝があるから行こう!」と誘ってくれた。ホテルオーナーの友達も呼び寄せ、3人で滝を見に行くことに。

「滝を見て、ビール飲んで、魚食べよう!OK?」「もちろん!最高やん!」

滝スポットへ行くと、さっきまで日差しが強く汗ばむ気温だったのに、ひんやりと肌寒く、花の匂いと水の匂いが迫ってくる。ムンズルの水が轟々と音を立てて暴れている。日本なら「危ないから近づくな」的な注意書きが至るところに設置されて景観をぐちゃぐちゃにするところ、もちろんそんなものは一切ない。



水場でひとしきりはしゃいだら近所の店でビールを購入。ドライブしながらToborg Goldをキメる。途中で車を止めたと思ったら釣竿を取り出し、釣りをはじめた。「ビールを飲んで、魚を食べよう!」ってそういう意味か!

アレヴィーは自由だぜ!



場所を変えながらトライを続けるが全く釣れず、おじさんが頑張る姿を見ながら呑む。

頑張るおじさん
めげないおじさん



私はお腹がタプタプになるので500ml2本が限界だが、おじさんたちはどんどんあけて、4〜5本くらい飲んでいた。「ムスリムは酒飲めないけどアレヴィーは自由だぜ!」

Dersîmはアレヴィー派の街だ。イスラムの一派とも言われているが、教義が大きく異なるので、異端扱いされてきた。また、言語についてもザザ語が使用される。ザザはクルド語の一方言とも言われるが、あまりに差異が大きいので別言語とも言われる。

宗教も言語も異なり二重に少数派の彼らは、歴史上、凄惨な迫害や差別に晒されてきた。1937〜1938年には「デルスィムの反乱」と言われる抵抗運動が起こり、17日間のうちに8000人近くがトルコ軍によって殺害される虐殺事件があった。その後も「懲罰措置」として、40,000人が移住強制または殺害されたという。そんな歴史を背負った街だ。

そんなことも考えながら見守っていたが結局魚はつれず、坊主で終了。ビールを飲むだけ飲んで、全員ほろ酔いでホテルまで送ってもらい別れた。魚はつれずとも愉快な夜だった。

とはいえ少しお腹がすいたので、食堂へ行き、軽く食べる。店の人と話していると、「日本の言語学者の男性を案内したことがあるよ。眼鏡をかけた人だ。」そのキーワードが全てあてはまる人は1人しかいない。小島剛一先生だ!画像検索して見せると「そう、この人だ」と言う。猛烈にテンションがあがる。

なにしろ、私がPulurに来たいと思うきっかけは、小島剛一さんが書いた本がきっかけだったからだ。『トルコのもうひとつの顔』。Pulur(オワジュク)で外部に漏れないようひっそりと歌われていた歌を採譜し、それを本に載せていた。私はそれを今歌っている。彼は滞在中にザザ語をある程度話せるようになり、人々との交流を深めていた。その研究姿勢と、Pulurに何年も憧れていた。

あの本に関わった人がここにいる!夢のPulurでの一夜はよくできたお話のように進み終わった。

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