ただただ、ありがとうが言いたくて。わたしは素直になりたいのだ。素直さと感謝が必要なのだ。
今期のドラマで多分一番支持を集めてる「おっさんずラブ」。
企画からプロデューサー、脚本家、監督や現場スタッフ、そして、ストーリーを体現した俳優陣、このドラマに関わる人々を一人残らず賞賛したい。一人一人が本当にキラキラして自分を生きているから、このドラマが話題になったのだと確信している。
本当に「君に(このドラマに)会えてよかった。」
わたしは、牧凌太が「自分を生きるという覚悟」「腹をくくるという覚悟」の選択の真っ只中にいるのではないか、そう、それは「人が成長していくということ」が描かれていて、わたし自身がいつも抱えている「生きるとは魂の自立」というテーマに琴線が触れたので「なぜ牧凌太が春田創一を愛したか?」という個人的考察をしていく。結構暴走しているけれども、一読していただければとても嬉しい。
このドラマに普通の家族は描かれていない。※
春田家に父親はいないし、ちずは兄と二人だ。部長夫婦に子供はいない。
これだけで、家族愛テーマの朝ドラになるが、ここでは世間を軽快に飛び越えている。それは、家族の形とは色々あるし、外から見ると欠けているかもしれないが、幸せでないとは言えないということを。どんな形であれ、人は幸せであるということが、描かれてないのに描かれている。ように思う。みんながみんな嫌な人間ではなく、愛を育めるキャラとして描かれているからだ。
そして、6話で描かれた牧の家族。
誰もが憧れるであろう愛し愛され信頼し愛情あることが普通に存在する一家。愛を疑わない前提で存在する完璧な家族の姿がそこにあった。だからこそ、牧は、完璧な家族の一員として自分が性的少数派として生まれたことでゲイという自分自身を認める作業が辛いのだと思う。はじめから完璧な姿があったからこそ、その枠、家族という営みの枠、それは牧にとっての超えなければならない愛という制限の根源ではないだろうか?
「幸せとは?」「家族とは?」「完璧とは?」自分で作り出したこれらの制限を認め手放していく作業が牧凌太の成長物語なのだと思った。
だからこそ、1話からずっと根底に流れる切なさ溢れる牧というキャラクター。
誰もが感情移入して幸せになってほしいと願うのは、みんながみんな自分の幸せを見つけたいのだ。みんながみんな自分を認め生きる過程にいるということなのだ。
その点春田は、世間一般の常識もはじめから飛び越えているのではないか?
社会人としても恋愛偏差値も低いダメダメな33歳、けれども魂の人間力は、高いと感じる。それは自分に向き合いどう生きたいかを明確に認知してなくても潜在的に知っている強さだ。そしてそんな魂は神様に愛されるキャラクターだから、ピュアに神様に問う場面からドラマがはじまる。
春田は「自分で自分を幸せにする」「自分で生きる」ということに腹をくくっているように思える。時として人を傷つけてしまっても、もちろん傷つけたと気づいたときにはちゃんと反省する潔さ、ごめんなさいが言える清さがあり、それは、とても強く芯がブレることがない人間として映る。そのブレないという魅力が、牧にはキラキラして見えたのだと思う。いつだって自分はブレてしまうのだから、と。
例えば、2話で男とのキスなんて有り得ないという牧にとっての爆弾も、春田は牧を否定したのではなく「ロリで巨乳が好きだから」それ以外はありえないから!ということなのだ。恋愛偏差値が中学生だからこそ、自分の欲求に素直な春田の姿がある。
例えば、5話ラスト普通なら性的マイノリティが拒絶されかねないのにただ牧を思って職場でカミングアウトしてしまう春田に対して、それについて牧が発したのは、あえて「晒さないでも」という「晒す」という言葉で、ほら「アウティングはだめだろ!」と思ったのだが、やっぱり春田はすでにどんな状況になったとしてもそれすらも超えている次元で生きているのではないかと思えたのだ。自分が牧といることが幸せで、もし誰かが牧を傷つけるのなら自分は闘うというそんな姿だ。
ダメダメなキャラクターでも、春田は自分を知っている強さがあるのではないか。
「自分を知る」ということは、本当は難しいのだ。
何が好きで、何が嫌いで、何を許して、何を求めて生きるのか?
あなたは、わたしは、どうすれば幸せかなのか?ということが。
誰もが自分の可能性を疑ってしまうのだ。
だから誰かに認めてほしいのだ。
でも、承認欲求だけでは本当の幸せは得られない。
愛に形は必要ない。結婚だけが幸せではない。
そして、本当は、誰かがいなくても幸せなのだ。
そんな多様化している世界をこのドラマは描いている。
とわたしには見えた。
6/2(土)最終話
主人公である春田は、社会人として、恋愛偏差値中学生として、成長過程にいる。そして1年後に愛という形に何を選択するのか?
牧は、自分自身を知るために自分を生きるための成長過程にいる。1年経って自分の幸せを見つけるために何を選択していくのか?
1年経って、部長も、ちずも、蝶子さんも、マロも、そして、武川さんも。(もちろん、鉄平さんも、マイマイも、アッキーもだ!)
みんながみんな笑顔でありますように・・・。
誰かとの愛だけが幸せの要素ではなく、
幸せという形はたくさんあって、
自分にとっての幸せを自分で見つけ、
自分を生きることに一生懸命でいいのだ!と勇気を頂く。
自分を生きるということに貪欲な私がこの春、キラキラとした人たち(このドラマに関わった人たち全て、このドラマを愛する人たち全て)が存在するから、姿勢を正し背筋を伸ばして、このキラキラとした人たちに負けないように、覚悟を決め、腹をくくって生きようと思う。そして、生きていけると信じられたドラマだった。
(最終回がどんな内容であれ)ありがとうございました。感謝しかありません。
追記:脱線するのでどう本線に絡ませれば良いか分からず(手腕がないともいう、涙)、追記という形で。
子供が、自分を生きるとは、親を超え、家族を超えるということだと思っている。
牧凌太の凄いところは、その名前にも現れている。「凌」とは、「こえる・しのぐ」という意味があるのだ!名前は家族の証、その中に「こえる・しのぐ」という意味を含む漢字があてられていることがスゴいと思う。脚本家?プロデューサー?やっぱりこのドラマに関わった人たち、本当に凄すぎるわ。
※ 限定したのは描かれてないから。
もちろん、春田父が1年前に病気で他界していたら、ちゃんと家族の愛はあるはずだし、ちず兄妹にも両親が他県に仕事で赴任していれば、家族の愛があるはずだし、、、黒澤夫妻には成人している子供がいてもいい。そう、彼らに家族の愛がないと言いたいわけではないのだ。