【ご報告】 X-HEMISTRYに入社して1年が経ちました。
久しぶりの投稿です。
実は7年半勤めた会社を退職し、X-HEMISTRY(ケミストリー)というスマートホームの会社に転職し、1年が経ちました。
この1年…2年…何年だ…本当に色々なことがあり、ありがたいご縁に恵まれた結果、今は素敵な同僚とお客様とお仕事をさせていただいております。一瞬たりとも「明日会社行きたくない」「仕事辞めたい」なんて思うことがなく、今日までやってこれています。
自分にとっても振り返る良い機会なので、転職した経緯と今の仕事に対する思いを綴っておこうと思います。
ちなみに、めちゃくちゃ長いです。(約10,000字)
転職を決めた日
私は新卒で入社した不動産会社で7年半、個人のお客様へ営業をしていました。営業職といっても、お客様のために本当になんでもやっていて、全く推奨されることでもないのですが、あまり器用に仕事ができない私は365日24時間お客様の連絡に対応していました。2時間電話に出れないのも怖くて、映画は『名探偵コナン』しか観ていませんでした。お客様がお困りの時は何を差し置いてでも会いに行っていました。個人営業というのは、お客様がお休みの時間に対応するものなので、労働時間自体は8時間でも遅い時間帯での仕事がほとんどでした。それを私自身は悪いことだとは思っていなかったですし、そうしたいと思って日々邁進していました。とはいえ体力的にも新卒の頃ほどはなくなり、決して売れっ子営業マンというわけでもなかった私は、これからのキャリアや人生を考えなければいけなくなります。なのにかなり面倒な性格の私は、自分自身が「出来ない」と認めることがすぐにできませんでした。それなりに大変と言われる不動産業界で「7年半営業を続けた」というと、特に同業者に「すごいね…」なんて引かれることもあるのですが、私は決して自分がすごかったわけでも、忍耐力があったわけでもなく、ただ単に、自分のできる力を発揮して、その結果自分がどれくらい会社に貢献できるのか直視するのに7年半かかっただけだと思います。私が尊敬してきた同僚・上司・後輩たちはもっと短時間で力を発揮し、次のキャリアに進んだり、どんどん昇進していきました。そして自分が感じるには、尊敬する同僚たちは日頃の私よりも数倍努力していました。やっと自分を追い込みきった日、「これだけやって、体力も落ちていくことが確かないま、もうこれ以上のパフォーマンスは発揮できない」と明確に思い知るのでした。これ以上のパフォーマンスというのも、7年目にしては不足な成果だったと思います。そして私は対個人営業は引退することにしました。
あの会社行きたいな…
明確に、大好きだった仕事を続けられないということに、結構絶望した私ですが、ぼんやり思い浮かんだのです。「X-HEMISTRY」という会社が…。(進次郎風に読めなかった方は読み直してください。)
その会社との出会いは、私が新卒で入社した2017年に、他部署だったスマートホーム、IoTマンションの開発部署が出展した、国内最大の最先端技術展示会である「CEATEC」に人が足りなくて応援に行ったことでした。
そもそも前職の不動産会社に入社した理由に、ひとまず不動産会社というのはなんとなく心にありつつ、この古臭い不動産業界で「IoT」なんてものに取り組んでいたことも一つでした。
大学でいまだにお世話になっている恩師がいるのですが、海外情報をキャッチするのが凄まじく速く、政治学科に身を置きながら、世の中はiPhoneにやっと使い慣れきたくらいの時代に「IoT」や「AI」や「シンギュラリティ」、世界の経済政治のあれやこれやについて教わっていました。
また、その先生の「教育とは全て忘れ去った後に残ったもの」というアインシュタインの言葉も教わり、強く印象に残っています。私にとって大学で学び、記憶に残ったものに「IoT」というものがありました。当時はまだ「スマートホーム」という言葉は日本では呼ばれていなかったと思います。
前職の不動産会社は、マンションデベロッパーだったので、その時点で会社基盤は十分にあると思っていましたが、最先端のものを古臭い不動産会社が取り組んでいるということは、生意気にも学生の私は「時代によって変化し続けていけるこの会社は生き残っていきそうだな」と思った覚えがあります。
そして私は7年の間に、まだ「IoTマンション」という、なんか最先端っぽい言葉でしかなかったものが、次第に「当たり前になっていく」のを目の当たりにします。その過程で先生の言葉がまるで予言のように感じたのでした。お客様のリアクションが「へー、そんなものあるんですね」「めっちゃすごいですねー(お世辞)」というところから「聞いたことあります」「え!本当にそんなことできるんですか!良いですね!」と、お世辞を言われていたような「IoTマンション」は、未来ではなく「今の不動産」になっていきました。当時から先生に『未来予測:Future Forcasting』について教わりはしていたのですが、それが技術だということや、本当に自分に予測できるようなことだとは思っていませんでした。
2017年、CEATECの応援にいく新卒の私たちに、今入社している X-HEMISTRYのCEO新貝が、「スマートホームとはなんぞや」ということやラスベガスで毎年開催されている世界の最先端技術展示会「CES」について研修を行ってくれました。
教授から軽く聞いていた話が本当にプロダクトとして進んでいることに、目をキラキラさせて新貝さんの話を聞いた覚えがあります。研修の後も立ち話で30分ほどスマートホームはもちろん、当時話題だったMAASや華為(ファーウェイ)、全然関係ないイタリアの話もしました。新貝さんは特に深い意味はなかったと思いますが「そんなに興味あるならこっちの部署にきなよ」と言ってくれました。まだ新卒で、本来の仕事をやりきれていない状態で他に行くのは違うと思い「営業としてひと段落したらよろしくお願いします」といった話をしました。
その時に私は「次はこの部署に行こう」と、なんとなく思っていました。
翌年、前年の楽しかった記憶があるので、本来は新卒が応援に行くところを私は2年目もCEATECへ向かいました。ところが新貝さんは退職していました。新貝さんと話ができると思っていたこともあり、かなり驚き、少しショックを受けつつ、展示会場の仕事をしていると、新貝さんがふらっと前を通りかかりました。
「新貝さん!辞めたって聞きました!」
「実はそうなんだ。眞田と2人で会社を立ち上げることにしたんだ。」と渡されたのが、当時は真っ赤だった X-HEMISTRY(ケミストリー)の名刺でした。(共同創業者であるCTOの眞田さんも新貝さんと同じ前職のIoT部署におりましたが、その時は未だお会いしたことはありませんでした。)
そして、私はそのあたりからスマートホームのことはなんとなく忘れていき、大阪支店の立ち上げに行くことになり、コロナ禍で移動が難しくなりそのまま大阪配属になったりしつつ、新貝さんと眞田さんはいなくなったとはいえ「IoTの部署はまだあるし最悪いつか異動しよう」と呑気に思っていたら、その部署は別の会社になってしまいました。
それが今のアクセルラボです。「次行こうと思ってたところなくなった…行き先なくなった…間に合わなかった…」とコメダ珈琲で少し気が遠くなっていました。
そこから、まだ営業としてやりきれていなかった私は、冒頭にあったように、最後は追い込みをかけて未熟ながら自分にできることは本当に全て取り組み、もうできることもこれ以上のこともできないと思い、側にいてくれた人のおかげもあり大きな決断をすることができました。
今も聞かれるのか分かりませんが、私の就活の頃は「ブラック企業」といった言葉が使われるようになり「会社は潰れることもある」といったことや「転職は当たり前」「3年も勤めなくても良いでしょ」といった意見が聞こえるようになってきた時代でした。なので「次のキャリアや目標は?」という質問を新卒時代にされました。私ははっきり「分からない。こう在りたいという願望はあっても、次の目標は今をしっかり頑張った先にあると思う。何も進んでいない今、次は分からない。」と答えていました。
その気持ちは7年半変わることはなく、自分の限界を感じる一瞬まで「転職」なんてことは何も考えていませんでした。でもその限界を感じた一瞬に『X-HEMISTRY』という会社を思い出しました。思い出しつつも、5年前に会った人の会社というのはどうなっているかも分かりませんし、あまりにも非現実的だと、すぐに心の奥にしまいました。
そこから転職活動を始めるのですが、営業一筋で、一般的には泥臭いと言われるような「ただただ人を大切にする」ということをしてきただけだったので、自分にはなんの技術も能力もないと思っていました。
今思い返せば営業としてはずっと半人前でしたが、数えきれないほど良い経験はさせてもらっていたんだと少し先に気づくことになります。そして「教育」に関しても不動産会社の中では珍しく、私を教育してくださった上司は常に誠実に私の成長のために、本当に毎日時間を割いて、細かすぎるほど指導をしてくれて、励ましてくれました。
そういえば転職する際に、このような前職愛を面接で話していたので「そんなに好きな会社なら残ったほうが良いんじゃないの?」ということを、今の上司にも言われたのですが、私の中では正直営業として入社した以上営業で大成したかった一方で優秀とは言えない私を抱えてこさせてしまったことにも思うところもありましたし、個人営業をするのであれば前職がベストだとは思っていましたが、その時の私が思い描いた「次の目標」は前職では叶えられないものになっていたので、次は何も決まっていないものの、退職の気持ちは揺るがないものとなってしまいました。
今もまだどんな状態だったか聞けていないのですが、嘘がつけない私は、毎月始めに自分から今期の目標を伝えていたのに、退職という気持ちがあるので、全く言葉が出てきません。そういうところが営業に向いてないのですが、本社の女性の上司がいち早く私の異変を察知し、直属の上司も気づき、退職の意向を伝えました。
当時は未だ「X-HEMISTRY」には辿り着いておらず、「本当に何も決まっていなくてこの先は何も見えていません。でもこのモチベーションでは期待に応えられませんし、士気としても迷惑がかかるのは分かっているので、次が決まるかどうかに関係なく次の期では必ず辞めます。」といったことを伝えました。勿論「やる気がないなら辞めろ」と言われることも覚悟していましたが、当時の上司はチームに数字を負担させて迷惑をかける私に温情をかけてくれました。さらに「明るい板井を取り戻したら、きっと良い会社に巡り会えるよ。そういう気持ちじゃないと、きっと良い会社もそういう風に見えないから。仕事は今の板井ができることを全力でやって欲しい。」と言ってくれました。
そこからは、迷惑をかけ続けていることは自覚しつつ、毎日3時間睡眠を削って転職活動をしました。その時間を考えながら営業に使えたらどんなに良かったんだろう。(数ヶ月後に気を失いかけて睡眠って本当に大事だなと気づく。逆に今は最低限の睡眠とお米を食べてれば絶対倒れない自信がついてしまう。←)
1社目で「好きなこと」を仕事にしてしまった私は、転職活動はかなり暗雲。条件や待遇は良い仕事や、私にもできそうな仕事はありがたいことに少ないながらもありました。ですが如何せん「ワクワク」しない。「とはいえ30手前の転職でもう若くもないし、そんな我儘言ってられないよな。」と思っていました。
そう思ってはいたのですが、私の転職先候補の1番上には「X-HEMISTRY」という名前がありました。
支えてくれたひとたち
何社かエージェントでも選考が進みつつ、最終的にはありがたいことに友人たちが「えりかりん、うちどう?」と声をかけてくれたり「この仕事どうかな?」「この業界の方がえりかりんの良さが活きると思う」「もっとできるよ!自信持って!」と自分のことのように日々助けてくれて、だんだんと何も見えないところから「次の目標」が見えていきました。
ちなみに転職のタイミングは、私だけでなく30歳前後の友人たちも大きな荒波に飲まれていました。皆んな1年くらい信じられないほど苦しんでいました。(笑)
いまとなっては笑えますし、乗り越えた者同士なので、今も大阪在住の友人ですら毎月電話をして「こんなことがあってね!でももっと良くできるはずなの!」と愚痴を課題に変えてお互い励まし合って「提案書書いた。これ出して動かんかったらもう知らん!」「そうだいけいけ!私も提案書書くわ!やってやる!」と何故か息巻いて頑張っています。
でも、乗り越えたとはいえ、当時は「もう体力ない…もうあの頃みたいに頑張れん…できない自分に対してショックや…」「他じゃやっていけないんじゃないかな」「明るいだけで何ができるんやろ」とかなり弱気でした。
その頃に、大学の指導教授や、荻窪のジャズバーのマスター(「ジャパニーズロバートデニーロ」と裏で呼んでいる)、HVPSの先輩方、多くの人生の先輩方にお会いしました。一緒に荒波を潜っていた友人とはずっと手を握っている余裕もなく、乗り越えて気づけば横にいたと言った感じで、逆にすでに乗り越えてきた先輩方には「私たちもそんな時期あったよ。きっといまそういう波のタイミングなんだよ。」と励ましていただきました。あまり弱気なことを言うのは得意ではないのですが、当時の私はなかなか堪えていたのてわ、本当に小言を聞いて励ましてくださり、ありがとうございました。
その頃は道を歩けば誰かに毎日会うような時期でした。
そして、私は何年分か分からない運を使うことになります。
私の「次の目標」
選考は進みつつも、私の「次の目標」はなかなか贅沢な目標でした。
苦しい期間を過ごしていた私を救ってくれたのは、支えてくれた人たちと、「家」でした。元々「不動産」や「家」は好きなものだったので不動産会社に入社していますが、「家」というのが『唯一、心身ともに人を守ってくれるもの』ということを実感する日々でした。私が苦しかった時を1番に知っているのはあの時住んだ西宮の家でした。身の丈に合わせたかったことと、先も見えていない状況だったので、1LDKから6畳のロフトの家に引っ越しました。でも風通しが良くて、陽当たりも良くて、静かで、鳥の鳴き声が聞こえて、西宮という街も山と川と海や神社などの歴史があり、豊かな場所でした。あの家でまじで毎日朝起きては泣いて、家に帰っては泣いていました。「人の涙って枯れないんだな」と思いました。後から思えば、皆んなこのくらいの思いをもっと早くにしていたんだろうと思います。
何もなくなってしまった私は、これから何を大切にしていけば良いんだろうかと日々思い悩んだ結果、なんとなく不動産会社に入った理由が、ただただ、より、具体的になっただけでした。
「家族のために生きていこう」。「家族のために生きる」というのは人によっていろんな答えや、そもそもそれ自体も人によって良し悪しや優先度があると思いますが、私にとってはそれが行き着いた答えでした。
私は父を小学生の頃に亡くし、家族思いだった父は築3年のマイホームと私と兄が大学に行くまでのお金を遺して他界しました。私にとっては変えようのない出来事で、私が生きていく上で大事な出来事です。今も母は父が遺した家に住んでおり、私は震災の度に電話をかけるのですが「立派なお家だから地震が来ても安心よ〜!」と笑って答えてくれます。私はとても恵まれていましたが、父の時代とは異なり、今は親が亡くなった後、家族がそれなりに平気で生きていける時代ではありません。だから「私が死んでも、遺された家族が幸せだったら良いな」と思い、わざわざ投資用の不動産会社に入りました。そういった家族への思いは、いろんなことがあった後も変わらず、むしろ強くなりました。
「家族が幸せに生きていくには?」を突き詰めると色んな要素が必要になりました。経済的にもそうですし、私が不幸そうにしていても、きっと私の家族は幸せではありません。そしてきっと私の家族が暮らしていく「日本の未来」も幸せな世界であってくれないと叶わないなと思いました。極端ですが、戦時下に幸せを見出すことはできても、戦争が起きて幸せとはどうしても言えないと思うのです。だから、私自身も幸せ日々を過ごせて、なんとなくなるべく良い未来であって欲しいなと思いました。
その時に、また思い出しました。「未来は予測できる」。確かに、先生が占いではなく予測していたことは現実に起きたし、なんなら自分がずっと関わってきた不動産なんか、何年も前から計画して設計して建設して「家」となり「暮らし」となる。ということは「その計画段階に立ち会うことができれば、何年も先は分からないけれど、3年先くらいは予測できるんじゃないか?」と気づきました。
また、前職のように自社がプロダクトを持つことは、顧客に直接貢献できる一方で、1社だけではおそらくこれからも私の家族が暮らしていく「日本」という広さに対して影響を与えることは難しいとも思いました。X-HEMISTRYは不動産デベロッパーはもちろん、家や暮らしに関わる様々な企業を支援することができるので、その会社の良さを活かして、企業の数だけ、日本の暮らしをより良い方向に導く一助に成れるのではないかと思いました。もちろん事業自体はその企業様の熱意や思いと日々の努力によって成り立っており、あくまで手助けでしかないと思いますが、私にとっては1番嬉しい仕事だと、今でも思っています。
自分の望みが限りなく実現可能で、未来を予測する技術が身につく機会のある環境が、X-HEMISTRYにはありました。とはいえ、5年前にいただいた赤い「X-HEMISTRY 新貝文将」と書いてある名刺しかありません。正直大きな会社ではないのでそもそも今どんな状態か分からないですし、私にできることがあるとも思えていませんでした。でもなんとなく、採用の募集要項や会社を調べれば調べるほど、自分には合っているような気はしていました。
連絡しようかな〜。でも連絡して「やっぱ違いました!」とか言いにくいし、どっかでばったり肩でもぶつからないかな〜〜〜〜。
なんて思いつつ、浪人時代の旧友たちとみんなで飲む約束があり、大阪に住んでいた私は休みをとって東京にきていました。休みの私は早い時間から暇していたところ、友人が早上がりしてくれて、銀座1丁目のビール屋へ、0次会に向かいました。
Opportunity comes to those who are prepared.
X-HEMISTRYとの再会
「私さ、転職しようと思う」「え!まじ?!東京帰ってくるの?いぇーい!」「いやそれは分かんないけどとりあえず転職活動は始めた。逆にそっちは転職して最近どうよ?」みたいな話をしていた時に、私の視界がスローモーションになります。
そのお店は道路側がガラス張りになっており、そこにカウンター席がありました。私と友人は外向きに座ってビールを飲んでいました。私たちが見ている道路を歩き、お店の扉に手をかけたのは、『今私が1番会いたい人ランキング1位』で、今勤めさせていただいているX-HEMISTRY CEOの新貝文将でした。新貝さんがお店に入ってくる時、本当にスローモーションに見えました。
ハイチェアだったので本当にひっくり返りそうになって、「新貝さん!!新貝さん!!!あの、前職で一応会ったことあるんですけど、こういうものです!」と入店直後の新貝さんに話しかけました。
あまりの勢いに新貝さんはめっちゃ驚いていました。友人も。いや、1番驚いているのは私なんだけど。
「え?!?!これモニタリングか?!いやいや私X-HEMISTRYに行きたいとか誰にも言ってないよ?!どういうこと?!!?!」と思いつつ、転職を考えていることと、おそらく理由は明確に伝えられてなかったと思いますが「とにかく話をきかせてください!」とLINEを聞きました。個人営業の本領がこの時発揮されたような気がします…
新貝さんも、2017年の当時「なんかずっと話してくる新卒の子がいたな」くらいにはぼんやりと覚えてくださっていたようでした。
翌月、また東京に来て、新貝さんとお会いしました。会社のことや私が望んでいる生活、経験したいこと、全てがX-HEMISTRYでは「全部できるよ」と言われました。とはいえ、自分にはなんの取り柄もないと思っていた時期で、友人や元同僚や先輩に自分では自分の良さが分からないので、他己分析をお願いして「私がいて良かったと思ったこと教えて」と聞き回った結果、私は「明るい」「元気」「よく食べる」「信頼できる」ということしかありませんでした。そんなことしか無いのかと思いつつ、まー、私は明るいので「もうこれ面接で言うわw」「それ言えたらめっちゃ強いwww」と大好きな友人と冗談で話していたのですが、何を間違ったのか私は新貝さんに「私、明るくて元気でよく食べて、信用できます!」と言ってしまうのでした。そして、新貝さんは「それ全部大事だよ」とわりと普通のテンションで言うのでした。私は素直に喜ぶのでした。
ちょうど考えていた他の会社についても、かなり良い待遇の会社もあり悩んではいたものの、「家」というところからは離れる仕事で、イメージできないだけだったと思うのですが「他もありがたいことに良い会社と話はさせてもらっているのですが……『ワクワクしないんだ?』え……あ…はい…そうなんです…」。ワクワクって仕事に求めて良いんだ。とハッとしました。
基本、英語が話せないと入社できない X-HEMISTRYですが、未来予測のために英語は身につけるべきだということは恩師からずっと教わっていましたし、むしろ英語で仕事ができる環境も望んでいたので、千と千尋ばりに「ここで働かせてください!何でもやります!!」と、そんな感じで X-HEMISTRYへ入社することになります。
入社してからの1年
入社してから、私はいろんなイベントを発生させます。 比較的エンジニアも多いX-HEMISTRYには私のような人間は稀有な存在で、みんなが起こさなかったトラブルを起こしたり、オフィスについているスマートデバイスをことごとく故障させたり、不要なサプライズを起こしています。一見しっかりしていますが、実態はハキハキしているだけなので、度々皆を驚かせてしまっています。
仕事も、入社当時は自分が何ができるのか分からなかったですし、私にとっては偶然が重なって偶然入れてもらえた会社なので、本当にできそうなことを一つずつやっていったような日々でした。気がつけば、営業・マーケティング・総務・教育、なんならエンジニア的な仕事にも最近片足突っ込んでいるような気もしており、自分の肩書きが迷子です。なんでそうなったのかなと思うと、きっとX-HEMISTRYが私にとって「良い会社」だったからだと思います。入社して数ヶ月が経ち「あれ?もしかしてこの会社、ちゃんと提案したら結構受け入れてくれるな…」と気づいてからは、毎月のように提案したり、人を巻き込んで自分なりに「X-HEMISTRYが良い会社であり続けられるように」走り回っていた結果だと思います。私は「良い会社」という定義が明確にあり、「時代に合わせて良い変化ができる会社」と定義しています。私も良い会社を「良い会社として在り続けさせる」ために日々努めるべきだと思い、困難にぶちあたった時に溢れる愚痴を、課題に変えて、解決(提案と行動)しようとしているのですが、今の会社は荒削りな私の提案を受け入れて、むしろもっと良くなるように磨き上げてくれて、受け入れてくれます。本当に私の考える「良い会社」を具現化したような会社です。前職もそうだったと思うのですが、私は発言する勇気がきっと足りていませんでした。そういう反省もあったので、今は勇気を出して声を上げているつもりです。そして、入社したら驚いたのは、同僚たちは本当に心が綺麗で「スマートホームが好きだ」という真っ直ぐな気持ちで、苦に感じず努力をし続ける人ばかりで、身を置く場所の大切さを感じました。好きこそ物の上手なれと言いますが、私もどちらかと言えばそっちだと思っていたのに、遥かに超えるのめり込み力を持つ人ばかりでした。1年経った今も、私は至らないことばかりで、毎日「もっとこうしておけば良かったのに」とか「本当は分かってたのに」とか「なんでこんなこともできないんだ」とか、自分が望む自分に全く間に合いません。毎日時間が足りない、時間が足りないと、走って帰宅しています。それもそのはずで、若手だけでなくベテラン勢はこれまでの経験も活かしながら、私より短い睡眠時間で今も走り続けているんです。もうたまったもんじゃないです。全然追いつかない。(笑)
始めの頃は「一生あんな風になれないよ…」と思っていたのですが、なんとなく、同じスマートホーム業界で同じ方向を向いていても、それぞれ強みというものは違うんだと感じ、私はやっぱり「家」が好きなので、これから過ごす2年目は前職の不動産業界での知見を活かして、英語力も身につけて、まだ誰も取り組めていない領域を開拓し、スマートホーム業界に貢献していきたいと思っています。
そろそろ終わります
綺麗なまとめは特にないのですが、退職の際に、前職の上司に言われたことを、毎日思い出しています。「俺たちは板井が辞めることを誰も喜んでない。俺たちが板井が辞めたことを喜べるのは、板井が次の仕事で活躍した時だ。だから次の仕事も頑張れ。」
まだ活躍できているとは思っていません。会社の中で恩返しできなかった分、上司のこの言葉を胸に、スマートホームが今よりももっと当たり前の日本社会にして、前の会社の不動産の価値が上がるような日が来たらいいなと思っています。
ご縁もあり、念願叶って自分が望んだ仕事をすることができて、なんとか1年間続けることができました。本当に恵まれており、ありがたいです。これからもX-HEMISTRYという会社のおかげで携わることができるお客様に貢献し、回り回って日本の暮らしを豊かにする一助となれるよう頑張ります。
ちなみに最近何しているかと言うと、お米が好きすぎてお米の生い立ちを調べたり、すぐ仕事にのめり込むので昔は行けなかったオーケストラを定期的に鑑賞してオフ日を作ったり、そういえば馬も乗れるようになったし、相変わらず岡本太郎が好きで、急にF1にもハマり、横浜ベイスターズは鑑賞試合は全勝し、ゴルフは全然行けてないです。ゴルフがしたいです。誰か家まで迎えに来てください。
しばらく帰ってなかった実家にも帰ります。実家はすごく遠くて、3ヶ月も前から母から毎週「航空券予約しましたか?」「そろそろ予定を決めてください」「大丈夫ですか?」「連休なので早めの予約をお勧めします」「そろそろご予定を…」と煽られ続け、一旦兄に「私の分も取って」と甘えてみたものの断られ、帰省の2週間前にやっとこさ予約しました。母の粘り強いプロマネ力は天晴れです。
そんな感じです。
明日から「CEATEC2024」が始まります。
今思えばきっと私の人生は、2017年のCEATECで大きく変わっていた…もしくは決まっていたのかもしれません。あれから7年の時が経ちました。毎年きっとCEATECに行くたびに2017年を思い出すんだと思います。
大変だったとはいえ、ここ数年はたくさんの人に迷惑をかけ、振り回してしまいました。今、やっとしっかりと、自分の足でなんとかやっていけるようになったと思います。
本当は1ヶ月くらいで、今くらいになれると思っていました。「今」にたどり着くのにも、一年半もかかってしまいました。18倍、なのに1ヶ月1ヶ月も3倍くらい重みがあって、54倍くらいの時の長さを感じました。(計算合ってる?笑)
あの時、ご迷惑と心配をかけて悲しませてしまった人たちをさらに悲しませることがないように、どんな形であれ私の人生に関わってくれた人への感謝を忘れずに、救って守ってくれて大きな決断をさせてくれた人のおかげで今があることを忘れずに、これからも幸せに生きて行こうと思います。
皆様、今後ともどうぞ、明るくて元気でよく食べる、おっちょこちょいな私をよろしくお願いします。
今までも、いつも、これからもありがとう。
お腹すいてきたので終わり🍚
The biggest ally of superachevers is the inertia of others.
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