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母になった日~2年目に想う~

今日は息子の誕生日。
2歳になりました。
息子の誕生日は夫も私も仕事を休み家族で過ごすことにしています。
1年前は一人ではまだしっかり歩くことが出来なかった小さい人は、この1年で自分の意思で走り回ることが出来るようになりました。
大人と同じものを食べて、はっきりと
「ママ」
「かーさん」
「パパ」
「たーたん」
と言語も話すようになってきました。
俗にいうイヤイヤ期も到来していて、
「これはいや」
とはっきり手を使って主張もするようになってきました。
大変だと思う反面、”自我”が芽生えたことは母として成長したなと嬉しくも思っています。

2年前、母になったこの日は陣痛3日目。
体力も気力も限界に近しかったので、今日絶対産むと決めていました。
そんな私の気持ちとは裏腹に、私のお腹の中が心地よかったのか、ダウンタウンの松本人志さんと同じ誕生日に生まれたかったのか。
はたまたコロナ渦で面会や立ち合い出産が許されない中でも父さんに立ち会ってもらいたかったのか。
なかなか息子は外の世界に出てきてはくれませんでした。

「小田さん、相当頑張りましたけど自然分娩はもう無理です。
現時点で赤ちゃんも小田さんも問題ないですが、陣痛も3日目に突入して破水もしています。今後何が起こるかわかりません。今から緊急帝王切開に切り替えます」

この日の夜、主治医の先生が言ったのを覚えています。
そこから慌ただしく緊急手術の準備。
夫に電話して、車を飛ばして来てもらい私はカテーテルを入れたり点滴を入れ直したり弾性ストッキングを履いたり。
夫がやってきてから、先生からの説明。
同意書を作成していざ手術へ。
手術の最中は麻酔の感覚と疲労からか思考が機能していなかったのですが

「この子が無事なら私はこのまま逝ってもいいのかな……」
なんてことを考えていました。
ただ産声を聞いた時にそんな考えは一気に吹き飛びました。

「らぁーっ」

イメージしていた「おぎゃぁおぎゃぁ」ではなかったけれど。
なんだ変な産声だなと思ったけれど。
ようやく外に出てきた小さなこの人を、
”しっかり守らないと”
と改めて思ったのを覚えています。

あれから2年。
帝王切開の傷はほとんど目立たなくなりました。
息子の誕生日は私が母になった日。
この小さい人がいなければこんなことにならなかったと思うことは正直たくさんありました。
小さい人がいるから出来なくなってしまったり我慢しなければいけないこともあります。
母を辞めたいと思ったことも、投げ出してしまいたいと思ったこともあります。
でもこの子がいたからこそ出会ったものもたくさんあります。
教えてくれたこともたくさんあります。

不妊治療をしていた頃
”子供は親を選んでくる”と言う言葉が大嫌いでした。
親を選んでくるのなら、どうして私たち夫婦は選ばれないの?
何がダメなの?
何で虐待するような、夫婦のところにいくの?
今は思います。
きっと二人でゆっくりする時間をくれたんだなと。
親ガチャなんて言葉もあるけれど、もし私たちを選んでくれたのなら、選んでくれてありがとう。

今日は母になった日。
私を母にしてくれた小さい人にありがとう。
この小さい人の母にしてくれた夫にありがとう。
母になることが出来たのは私の父と母のおかげ。
夫の父と母のおかげ。
両親たちにありがとう。
その両親を繋いでくれたご先祖様にありがとう。
母になった日は私にとって、”いろんなことにありがとう”の日。




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