肝心な場面でうまくできない話
久しぶりに映画館で映画を見た。「アイアムアコメディアン」というドキュメンタリー映画。
漫才師のウーマンラッシュアワーの村本さんに、4年ものあいだ密着した映画だ。
一時は漫才の賞レースで優勝するなどして注目を集めていたウーマンラッシュアワーだが、ネタに社会問題を取り入れたことで芸能界を干されていく。
今はスタンダップコメディアンとして一人でアメリカで活動されているが、私は以前から著書も買って読んでいたり、日本での独演会に参加したことがあった。とても気になる存在だった。
わたしは勝手に、村本さんは強い人だと思っていた。漫才も面白いし、一人でやるスタンダップコメディも面白い。芸能人やマスコミが怖くて誰も話題にできない政治や社会のことを発信し続けている強い人。
でもこの映画で見えたのは、人間らしい村本さんそのものだった。何度も泣いていた。静かに涙を流したり、声を出して泣いたり。私もついついもらい泣きしてしまう。
村本さんのお父さんが昏睡状態になりそこへ駆け付けた時のことを語るシーン。弟はお父さんに言い感じのことを言っている、家族も泣いている。そんな時に自分は良いことが言えなかった。それどころか的外れでだめなことを言ってしまう。
ああ、分かる分かる。私もそうだから。
大事な所でうまくできないんだ。あれは何なんだろう、センスがないんだ本当に。冷静に考えれば分かるのに、なぜか空回る。いや、冷静に考えても分からない気もする。
あんなにおしゃべりの上手い村本さんですらそうなってしまうんだから、私はいざ昏睡状態の父親に一体何と言ってしまうんだろう。想像するだけでもソワソワしてしまう。
思えば私は、合わせる、ということがとても苦手なように思う。人に合わせる。その場の空気に合わせる。そういうのが上手い人のことを、すごいなあと思う一方、大事な場面でヘマをする自分のことを愛さずにはいられない。空回ってる自分も悪くないと思う。
みんなが空気を読んで、すべてがスムーズに動く世界なんてつまらない。別に意図している訳ではないけど、私はこれからも空気を読まずに空回りする人生を送る気がする。それで良いのだ。