残したい話
15歳の時に日記をつけ始めた。きっかけは確か好きな人ができたというありがちな理由だったはずだ。ただそんな動機で始めたにしては今のところつけることをやめていない。よって日記は20年以上に渡るしっかりとした私の趣味となっている。
日記帳には書かない。その時好きなノートを買ってきてそれに書く。実家には何十冊ものノートが押入れに眠っている。今住んでいる家にも何十冊と保管している。
ちなみに実家には、高校時代に友達とやりとりをした手紙もほぼすべて保管してある。他愛もないことから真剣な悩みまで、授業中にこっそりルーズリーフに書いたものから夜中にゆっくりレターセットに書いたものまで。マルイの紙袋にごちゃっと入れている(残念なのは私が書いたものは渡してしまっているがゆえもう見れないということだが)
私は残したい、自分が生きた足跡を。なぜかって、忘れてしまうのが嫌だから。
もちろん私は今を生きているし、過去だけにこだわっているわけではない。でも今だけを生きるのはいやだ。
自分のたった一度の人生をどう生きてきたか。振り返るツールがあっても良いではないか。
紙は良い。長持ちする。50年くらい前の若き日の両親のセピア色の写真も、実家にちゃんと存在している。紙にこだわりたいのはそういう理由である。
携帯電話が普及しだして、写真を紙にプリントすることがなくなり、スマホで撮影してクラウドに保存し始めるまでの期間の写真が今やほぼ見れないことにショックを受けた。人生がごっそり抜け落ちてしまったよう。便利を追い求めたがゆえに失ってしまったのだ。
過去を大事にすることを、意味のないことだと笑う人もいるだろう。
しかし私の中で、過去は過ぎ去っただけのものではない。無くなってもいない。ちゃんとある。二度とリアルタイムでは見ることができないけれど、ちゃんとあるのだ。
楽しいこと、辛いこと。傷ついたこと、傷つけたこと。好きだったものたち。その時の自分をとりまいていたもの。それを残したいという感覚は、この世のすべての中で自分が一番好きである私ならではかもしれない。
そうやって今日も日記を書く。日記を書く理由を日記に書く。意識の階段を一段ずつ降りてゆく。