人と繋がり関わる、そのために出会う
私の中学時代は、田舎町ですごしました。いちばん仲の良かった同級生のひとりがよく言っていたことを、思い返すとなんだか悲しく感じます。
当時その子が言っいたこと
「学生時代の恋愛は別れることが前提だから、意味がない。」
そのときの私も多かれ少なかれ、考えたことではあります。(ただ私は、異性に関心があまりなかった。ということが正直な気持ちなのですが。)
それから、15年ほどが経過し、率直に思うことが、
人生に無駄な時間など一分、一秒たりともない。そこで出会った人やもの、経験は、様々な形で自らの血となり肉となる。
そして自身も、誰かの血となり肉となりうる、経験を与える。
もっと、深いところまで言えば、楽しい経験だけではなく、悲しいことや、不快に感じた経験ですら、無駄ではない。と今の私は思っています。
間違ってはいけない教育
決まりきった正解や答えを導き出す教育
みたいなものばかりだが、人生で考えたら間違いも正解もない。
そして、成功も失敗も、勝ちも負けもない。
ただ、誰かに好かれよう、嫌われないようにしようと、不特定多数の誰かの目を気にして自分の人生を自分らしく生きないことは、カッコ悪い生き方。
カッコよく生きたいそう思ったら、一人でも多くの人と出会う。
その中で、自分のメンターとなる人物を探し出す。
メンターには老若男女関係ない。若い人高齢の人、男性、女性、一人ひとり見てきた世界は異なり、考え方、物事のとらえ方は十人十色。
そして、メンターであっても、一人の人間。
すべてを真似する必要はない。
多くのメンターがいれば、真似をしたい部分をいいとこどりすればいい。
また、恋愛は「男女間の好き」の関係性ではなく、
「人を尊敬しあう関係」だと思う。
あなたなら困難にあったとき、どうするかと考えを巡らせる
私の変化、成長を見てほしい。尊敬するあなたに近づきたい。
なんだか、恋焦がれる恋愛物語そのものみたい、とも思います。
私には、このように恋焦がれている存在がたくさんできました。
異性も同性も。年齢も幅広い。
まだ出会っていないだけで、まだまだ出会える。
そしてもし、お別れをしても、自分の価値観の形成には、ひとつでも多くの感動に出会う。感動とは人との繋がりであり、関わりで得られるもの。
得られるものは最大限に、活用していきたいですね。
#人生 #人との出会い