見出し画像

【タイで駐妻はじめました】はじめての海外生活


はじめまして!2023年の11月~タイのバンコクで駐在妻をはじめました、ERiです。簡単な自己紹介の後は「旦那の転勤についていくか迷っている方」に向けてnoteを書いております。

■簡単な自己紹介

1994年生まれ、mbtiはENFPです。
千葉県出身、大学はサークル無所属。狂ったようにアルバイトをしていました。
大学時代はお金が底を尽きるくらい海外旅行をしていて、タイには数回旅行で来ていましたが、まさか数年後自分が住むとは・・・!

タイのバンコクに来る前は・・・
リクルートキャリア(元リク)で営業して、転職。ベンチャー人事兼副業など毎日何かに追われるように仕事をしていました。
キャリアも私生活も順風満帆。転職して「これから!」というときに(1年半在籍)、旦那の海外転勤が決まりました。海外転勤の任期はmin5年。長い!
(ちなみに、旦那は大学時代からお付き合いをしていて、”転勤がない”という理由で今の会社に就職していたのを知っていたので「え!?海外という選択肢あるの!?」と私が一番びっくりしました。)

■キャリアも、駐在帯同も、取りたい私

私は昔から「働きたい」というより「働かないと怖い」と思って生きてきました。
詳しい過去は割愛しますが、中学2年生の頃…いろんな事情により家族のお金が底をつき、母が1馬力で家計を支えた過去があります。

そのため、

「女性も稼がないと、自分も家族の身も、守れない」

と半ば強迫観念に苛まれながら生きていました。

だからこそ、”早くキャリアを積んで稼がなきゃ”、”一人でも食べていけるようにならなきゃ”と焦るようにキャリアを積み、「自分のキャリアをどうドライブするか」に向き合ってきました。
幸運にも、どの職場も人に恵まれ、成果が出ると皆が喜んでくれるという環境が大好きでした。だからこそ前向きにキャリアを作ってこれたのだと思います。

そんな楽しい毎日で、急に決まった旦那の海外転勤。

直近の職場でも、副業先でも、まだ自分ができること/したいことが多かったので、
「どうにかして働けないか」
と旦那の会社に掛け合ったものの、答えは”就業NG”でした
詳しくは、別の投稿に書こうと思いますが
「タイの帯同ビザ(ノンイミグラント-O ビザ)で、日本の企業からお金をもらうこと」はNGです。
まずは専業主婦としてタイへ入国することが条件でした。

タイトルにある、「キャリアも駐在帯同も取る」はできませんでした😢

■キャリアを取る?駐在妻になる?

結論、「キャリアを取り、旦那と離れて日本に残る」という選択肢はありませんでした。
「順調に築いてきたキャリアの断絶」は恐怖(今でも全然恐い笑)ですが、
①死ぬ間際に思い出すとしたら、キャリアを築いていくことか?海外生活の経験か?
②究極「キャリアを取って旦那を失うか?旦那を取ってキャリアを失うか?」

と自分に問うた結果、「旦那と一緒に行く、タイでの駐在妻」軍配が上がりました。
結果、退職してタイへの渡航を決めました。
シンプルに、「海外で生活してみたい」という好奇心もあったのが本音です。(海外駐在できるのって日本の人口の約1%前後らしいです)

■手放すと、見えてくるもの

日本での快適な生活、キャリア、実母/義母とすぐ会える環境、証券 etc…多くを手放しタイへ渡航してきました。
プロスペクト理論の損失回避性(「手に入れる」ことよりも「損をする」ことを回避する方を選ぶ心理作用)にもある通り、手放すことへの恐怖がありました。特に直近の会社は転職活動をかなり頑張ったし、順調にキャリアを詰める期待感がありました。

全て手放して今3か月以上経過していますが、
「不確実な未来に何をそこまで期待していたのだろう?」と思うと同時に、
今までの友達/環境に感謝するようになりました。

「今持ってる当たり前の環境は、一歩外に出ると当たり前じゃない」ものです。タイでの生活は、不自由でもあり楽でもある。総じてきて良かったなと思えています。
証券口座だけは、めっちゃ心残りw

■最後に

今後もこういう風に記事を「渡航前の準備」「渡航後のこと」「タイでの暮らし」みたいな形で記事を気楽に綴っていこうと思います。自分の気持ちをアウトプットするのはいいものですね。

アユタヤにある「ワット・マハタート」


先日行ったアユタヤの画像を載せて最後に。では!


いいなと思ったら応援しよう!