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色と私 (スピンオフ)独占と共有、豊かなのはどっち?

前回の記事で、分極性について考えていたら、

[私] の対極は、[私以外・全]になるのかな?
という気づきから派生して、

去年考えていた[独占]と[共有]に繋がったので、
そのことをもうちょっと言語化したくなり、今回はスピンオフ記事を。

カラペハリエ]では、
ひとりひとり(個) が自由に生み出した色彩[カラペ]を
みんなでシェアして[貼り絵]にします。

他の人たち(全) が作った[カラペ]で、自分の作品(個) を作る。

それによって、得られる色彩の豊かさ、豊かな創造性は、
体験すると、ほんとにみんな感動します。

「まさか、自分にこんな絵が作れるなんて!」と、
自分の画力(自分で思い込んでいる画力)の
ナナメ上を行く作品が出来上がることにみんな感動するのです。

これをずっと続けてきて、
[シェアすること]がもたらす豊かさを、身をもって体感し続けてきました。

そして、シェアすることには、
もう一つ反対側の側面があります。(これも分極性?)

それは、自分の[カラペ]を他の人に使ってもらえる喜びです。

たとえばこちらのおばあちゃま。
ワークショップでご家族と一緒にカレンダーを作ってくれました。
「きれいだね〜 たのしいね〜」と終始言ってくれて、

さいごには、大きな声で「かんどうした!」と、涙を流して喜んでくださいました。

この、ご家族で完成させた貼り絵の猫ちゃんに、

あなたの[カラペ]が使われていたとしたら....どうですか?

うれしい気持ちになりませんか?

こんなふうに、喜びの連鎖が起こるのが、
[カラペハリエ]の魅力だな〜と思っています。

自分のカラペを自分のために作って[独占]するのではなく、
みんなで[シェア]して使うことで、
心の豊かさも生まれていることを強く強く実感しています。


さて、このことを、
自然界に視点をうつして考えてみたいと思います。

自然界の生き物たちは、自分たちが種(しゅ)として存続するために、
個に分散して存在しています。

個々に異なる環境に身をおくことで、
たとえ天敵にやられてしまう個体が出ても、別の個体が生き残って子孫を残せば、種(しゅ)としては存続できます。

生き物たちは、集合無意識というシンクタンクに、それぞれの個体が得た情報を全体で共有して、そこからダウンロードされる情報(本能)にしたがって生きてるのかな〜と想像しています。(※これは、私の仮説です)

そして、さらに大きく見れば、
さまざまな種(しゅ)も、結局は、
「地球そのもの」が様々な生き物に分散して存在しているのかな。と

だから、死んだらどんな生き物も「土に還る」わけです。
それは「地球そのもの」に戻る、のと同じことかな。と。
だから、私の肉体は、地球そのものの化身かな、と考えます。
(※シロウトの、私の仮説です。)

自然界のこの振る舞いこそが
[個]と[全]の原型かな、と思うのです。

個々のものを全体で[共有]して
生かしていくのが、豊かに生きるために備えられた自然界の法則なんじゃないかな。と。

[共有]の対極にある[独占]という概念は、人間特有のふるまいで、豊かさの反対の[乏しさ]につながるんじゃないかな〜と思ったりするのです。

昨年そのことに気づいてから、

[共有]から生まれる豊かさを
実感できる[カラペハリエ]なんだから、
[シェアの文化]を私たちのあり方としても体現していたい。

そんなふうに考えるようになり、組織のあり方も見直しました。

・・・という、
[分極性]から脱線して、

[個]と[全]
[独占]と[共有]という極について

[豊かさ]と[乏しさ]という観点から書いてみました。

次は色の話に戻ります!(たぶん!)

(画像出典元:https://www.pref.ibaraki.jp/seikatsukankyo/shizen/tayousei/gaiyou/1tayousei.html
https://www.sony.com/ja/SonyInfo/csr/eco/spotlight/waowao/)

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