転職欲、芽生える
初めまして。えりといいます。あまりこういうコンテンツに慣れてないですが自己紹介がてら書いてみます。
生まれも育ちも地方の田舎、昔からシャイな性格で目立ったことは得意でなく、地味に生きることが心地よい性格なわたしです。
2個上の兄がいるんですが、幼いころから自由奔放で目を離すとどこかに行ってしまう落ち着きのない兄に対して、わたしはゆったりマイペース。一度寝るとなかなか起きず、その幼いころの爆睡が原因か後頭部は床の形に平ら。周りからも「落ち着いているね」と言われることが多かったと思います。
田舎育ちで高校も大学も県内+引っ込み思案な性格だと、興味があったり活動する自分の「領域」って自然と狭くなるんですね。都会に暮らしたことがないので比べるのは難しいですが、周りは「シンプルな人生」が多く(私が知らないことディープなこともたくさんあるかもしれないですけどね)多種多様な仕事や考え方や人生経験に触れることがあまりにも少なかった。
それがいつしかコンプレックスとなっていたのか、長年の「このままでいいのか」という思いが突然爆発したのが、高校三年の冬。
周りは希望大学を決める中、私は「大学には行かずバックパッカーになって世界を放浪する」と本気で準備を進めていました。
そんなわたしに両親は「お金に困らないように手に職をつけなさい」とだけ言い、そんな両親の助言もあり迷いに迷って私は看護大学に進学。
大学在学中の長期休みにはバイトで貯めたお金を握りしめ
タイ、ラオス、カンボジア、マレーシアの周遊の旅に始まり
香港、中国(雲南省)、北インド、トルコ、イラン、キューバ、アメリカなど引き寄せられるようにいろんな国に訪問しました。
今までの人生で知らなかったことを知る快感に包まれながら、旅の魅力にズバリはまっていったんです。完全に海外旅行フリークでした。
熱気やにおい、風の心地よさ、路面の歩きにくさ、スパイスの味、解放感。そしてなによりたくさんの人の人生経験。
特に印象的な出会いは、インドのバラナシにある小さな路地裏の衣料店でのこと。服を物色していると片言の日本語で「コンニチハ?」っと声を掛けられました。振り返るとそこにはアジアンな外見の同世代の男の子が一人。
韓国人かな?と思って「アニョハセヨ」と返すと
「え!日本人じゃないの?」と彼は驚いてみせました。
私「あ、日本人なんですか(混乱)」というと
彼はおどけた表情で「久しぶりに日本語話したから片言になっちゃった」と。
なんだかよくわからなかったですがその返答が面白くて、二人でしばらく笑いがとまらず。聞けば、彼は東京の大学生でインドとネパールを旅しており、誕生日も一日違い、バイト先もとんかつ屋、血液型も一緒(これは余談ですが。)という奇妙な共通点も判明し、意気投合しました。
「日本で生活すると生きる上でのレールを上手に渡らないといけないって思ってしまうけど、でも海外で生活すると、レールの下にもたくさん道はあるってかんじだよね。それは下の道は草原だったり、砂利道だったり。塗装された歩きやすい道じゃないけど、少なくとも窮屈ではないね。」って話したことを覚えています。
そんな彼は海外の大学院卒業後、今はニュージーランドで生活しているようです。
一方私は、大学卒業後、地元の大学病院に就職し、今年で三年目のICU看護師。
超急性期病棟のためなかなかハードな職場環境。病床数は少ない分、人間関係の風通しも悪かったり。ですが、「手に職をつける」一心で、ある意味心を無にして、ストレスには目を向けないように過ごしてきました。
ですが、最近ついに限界を感じてます。
急性期看護に限界なのか、看護の仕事自体に限界なのか、日本での生活に限界なのかすらよくわかりません。もしかしたら、生きることに限界なんでしょうか。笑
後者ではないはずですが、心がいっぱいいっぱいの時って自分を客観視することすら難しいんだなって学んでます。笑
海外に行っていろんな生き方があることを学んだのに
いざ自分の生き方はとなると尻ごみする。
結局はレールから外れるのって怖いままなんです。
結局のところそうなんです。当然です。
レールの下を歩く覚悟ができていないから。
生きる上で必要なのは覚悟だなって思います。
転職するにしても、同じ職場で続けるにしても
覚悟がないと得るものも少なくなっていってしまいますね。
そのことに気付いた今、今までの人生振り返りながら
一歩踏み出そうとしてます。
今後の更新は自分の転職日記になりそうですが
どなたかと想いとか共有できたりできたらなと思っています。
よろしくどうぞ。