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劣等感や怒りが「最も豊か」と言える時

レッスン生さんとお話ししていて、すごく伝えたいなと感じる事を

言語化してみました。


【劣等感について】


劣等感は、ある種の起爆剤だと思います。


その出発点がある人こそ、輝ける。

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ニマニマ

劣等感を個性として輝かせたプロセスに価値が生まれるし

葛藤も、必要な成長痛なのですよね。

その成長において、自分を卑下する事、悩み落ち込む事は、つい握りしめてしまう過程だけど

実は、必要のないプロセスだと思っています。

これも豊かさであり、これこそ価値なのだと、感情そのものを抱きしめればいいだけ。

かつて劣等感の塊だった自分も、だからこそ味わった感情が、気がつけば大切な財産だったと知らされています。

この痛みを知らずに人生の節目に立ち合う仕事をしていたら

どれ程薄っぺらい司会になっていたかと思うと、恐ろしいほど。


それから、考えてみました。

ネガティブな感情って分かりやすくて、自分と向き合うのに最適なチャンスかもしれないと。


【怒りについて】


人間関係で腹が立ってしまう時、最も器が試されるからこそ、葛藤もしてしまう。

品性を失わない。

これは、全人類が心掛けるべき事だと思います。



怒りが起こる時は

内なる自己が顔を覗かせる時。

自分が自分と和解して

あわよくば、引き寄せを起こすチャンスでもあります。



正直な感情を受け入れた分だけ、人は自由になっていくから。



とはいえ、怒りのままに相手をこき下ろしてしまうのは

それってやっぱり

アウトー(笑ったら負け風に・・)

なのですよね。

そうなってしまったら最後。一瞬にして、物事が自分にとって不利な方向に舵きりしてしまいます。

ネガティブな感情は

ネガティブな波動しか起こさず

つまらない現実を引き起こすだけ。

これ、体感で知っている方、多いのではないかな。



だからといって…

なかった事にしてしまうのもやはり

アウトー

なのですよね…

ここら辺のバランスってすごく難しい。


怒るって、苦しいし

自分がちっぽけに感じられるから

怒りも哀しみも、感じていることさえ、素直に認めたくないもの。


だけど、怒りの感情を認めてあげる。

認めてもらえた感情は、癒されるから。

「感じ切ってもらえた感情は消えていく」って

私の大好きな心理学の先生の言葉です。



腹を立てる事そのものに労力を注ぐのって

けっこう不毛なエネルギーだと思うのですが

その感情を「客観的」に認識することにエネルギーを注ぐと

正しく癒えていくと感じます。




認めたくない感情を認めるのって、体力仕事なのだと諦めて

その作業に、朴訥と取り組むのです。



すると、腹が立った理由が分かったりします。

自分が怒った理由。

怒りが湧く瞬間って、論理的でいられなくなるから、これが咄嗟に分からなくなってしまって

ただ、情動に支配されてしまう。

だけど、だから自分は怒ったの。という根拠が明確になると

急に冷静で客観的になれます。

そして(ここが肝なのですが)

自分が自分に同じ事をしていないか、確かめる。

という事が出来たりします。

というより、これを絶対にした方がいい。

例えばですが、すごく失礼な事をされたと感じたら

自分が自分に無礼な事をしてこなかったかを、確かめるんです。


現実は、潜在意識の具現化だから


認めたくないほど普通に

自分が自分を軽く見積もって

軽く扱った結果、人に無礼を働かせていたりします。.


同じように、自分が自分を責めている事で

他人に自分を責めさせていたりもします。


その事が腑に落ちたら、もう、あとは簡単で

そこを自分が修正すればいいだけ。


軽く扱ってしまった努力も感情も、大切に思うものも、ありのままに認めてあげる。

誰よりも自分が、自分を許す。


そして、自分が自分を、尊敬と許しで包み込めた時

例えば、他人の評価や態度を、心の底からどうでも良く思える瞬間があります。


私が「私」を癒せた時

怒りがふと、優しさに変わる瞬間があります。


不思議なくらい「私」の世界から、苦手な人たちが消えていく。


認識するに足らない存在に変わっていきます。


波動の最も低い、怒りの言葉ではなく

波動の最も高い、共感の言葉を語れる人に。


人生において大切にすべき教訓。


だって、現実を180度変えてしまうから。

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タバコの味も知らない声より

タバコも酒も知ってるやつの声の方が、断然魅力的だろ?って

昔レッスンしていただいた師の言葉をふと、思い出しています。

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