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グラム・ファイブ・ノックアウト 1-2

 この町にはいくつかの都市伝説がある。
 高校生たちはそういう性というべきなのか、常にそういうものに対してアンテナを張っている。好きなのである。そういうものが。
 どうしても、会話の中にはその都市伝説というものが混じってしまうし、意識していなくとも話している。
 この場所が都会だからということではないだろう。
 大切なのは、私も含めて彼らが高校生であるという事実だけだ。
 目に見えない科学では説明できない、論理ではないその何かに強い憧れを持っているのだ。言ってみれば、存在だけで一目置かれているということに心からの尊敬を持っているのだ。
 不憫だとは思う。
 本来、存在というものに意味自体が乗っていたためしがない。存在というのはいつであっても、ただそこにいるということであり、それ以上の意味はない。
 存在に付加される価値は行動によってのみ昇華される。
 だから、こればかりは何とも言うことはかなわない。
 都市伝説というものを少しでも理解しようとする行為自体が余り意味がなく、自分自身の人生に発展に寄与しない。そんなことは分かっていても、そう近づきたくなるのは、これは最早怖いもの見たさだ。
 そして、その都市伝説を知っている得体のしれない何かになりたいという、怖いもの見たさからなる怖いものになりたいという願いだ。
 いや願いよりも不純な欲である。
 僕には余りそれがないけれど、それらは少しずつ僕の日常にさえ近づいていた。
 気が付けば足元に巣を作っていた闇は、夕焼けの空から延びてくる電柱の影のように、最短距離で噛みついてくる。
 この価値を本当の意味で僕が理解し、恐怖し始めるのはもう少し先のことになる。
 だからこそ、これは一つの代表例というものだ。
 私の知らない、事実の羅列の中にある、ほんの欠片から生まれた物語だ。
 小さな掌に乗る小さな文字の集まりで、同級生たちの口から放たれたただの戯言だ。
 最近聞いた都市伝説の内容は確かこうだ。
 あるところに少女がいた。
 少女はいつもお腹を減らしていた。
 ある時、外を歩いていた犬を笑顔で家の中へと誘い、食べた。
 それでも飽き足らず今度は塀の上の猫を誘い、食べた。
 それでも満足できないと、窓のから羽を掴んでカラスを引きずり込んで食べた。
 最後には床を僅かに引きはがして食べ始め、壁に爪を立てて食べ始め。
 はがれた自分の爪さえも食べ始めた。
 口から垂れて床に落ちた唾液すら舐めとり、鼻糞と鼻水すら一度出してから口の中に入れて味わい楽しんだ。
 少ししてから。
 両手足の指の全ての爪を食べ終えたころに部屋の扉がいとも簡単に開いた。
 そこには警察官が二人いた。
 両親に虐待、監禁され、必死に生き延びようとした少女はなんとか助けられたが。
 二人の警官に抱きかかえられた瞬間、警官の爪を引きはがして口の中に放り込んだ。
 今まで食べたものの中で、爪が一番旨かったと、のちに語ったそうだ。
 ここまでである。
 私が聞いた話は、この少女の話だ。
 少女はいつしか大人になり、この町に住んでいるらしい。
 今では非常に美しい女性になって、誰かれ構わず家に招いては、爪を引きはがして食べているそうである。
 引きちぎった爪を食べて満足しているそうである。
 そういう性癖なんだそうだ。
 私にはよく分からない。
 これは都市伝説としてはかなり簡単な物語なんだそうだ。
 都市伝説というのは往々にして、事実と妄想がない交ぜになってしまっている。それは現実感という物語における信用性と、妄想という面白さの両面性を兼ね備えるためだそうだ。
 ものの構造というものはどんなものであり、論理的に解明することはできる。
 つまり、この都市伝説にはしっかりと裏付けがあってしかるべきなのだ。
 私の高校で放課後の理科実験室にて実験が行われており、非常に野太い咆哮が響くため恐怖して誰も中を確認できない。
という噂があったが。
 これは理科の男性教諭と生徒が理科準備室で淫行をしていたという内容で、生徒全員がその謎の解明に安堵したが、決して状況はよくならなかった。
 淫行をしていた生徒の身元が割れてしまったのだ。
 すぐさま教育委員会で問題とされるべきところだったが、対応は少しずつずれていき、結果として上手く問題にすることすらできなかった。いや、隠すことさえできなかったことが大きな問題だったのだろう。
 生徒の家庭は裕福で有名であったせいか、その重圧の中まず両親が自殺し、その生徒の妹が拒食症になり不登校となった。次に起きた不幸は多くの抗議団体が一気に家や学校に詰めかけ、その反対に擁護する団体も発生してしまったことだ。意思とは無関係に発生した団体による両ばさみはもう、生きるのに必死だった生徒の心を蝕んだ。
 極めつけは、その男性教諭が生徒を世間に向かって売ったことだった。
 男性教諭は、無関係なのだと叫び逃げるための証拠をこれでもかと並べ続けた。
 世間はその男性教諭を許さなかったが、当の生徒は許したそうだ。
 生徒はその男性教諭を愛していたから。
だから、生徒は。
その生徒は。
その男子生徒は。
 その男子生徒はその理科準備室に忍び込み、薬品を飲んで自殺した。
 抗議する意思もなく、何の目的もなく死んだ。
 男子生徒の自宅には遺書もなかったそうだ。
 それから半年後、世間はその男子生徒の愛を報道の片隅で一つのできごとだと認識した。そして、認識して放置した。
 社会的にも意義があり、そこから学ぶべき要素のあったその事件は、いつしか記録として残されることになり結果として。
 都市伝説になるようなこともなく単純に忘れられた。
 彼の死に、価値など微塵もなかったのだ。
 都市伝説は生まれるべくして生まれることもあるが、その逆も確かにある。運だけですべてが決まるとは言えないが、その側面は非常に強い。
 この町にある都市伝説の全てには裏があるが、都市伝説にならなかった事件に何の裏もなかったかと言えばそうではないのだ。
 この町にいる限り思い知らされることは限りなく多い。
 裏のないものなどこの世の中に存在するのだろうか。


「それ以外の都市伝説を知っていたりはしないのかしら。」
「知らないですね。」
「校門の前で貴方を呼び止めたのに、そんなつれない言い方をしないで。」
「初対面ですよね。」
「そう、わたしたち初対面よ。」
「僕は高校生ですよね。」
「そうね、そして私は社会人ね。」
「問題があるんじゃないですか。」
「どこに問題があるの。」
「男子高校生を誘拐した社会人女性。」
「違うわ。誘拐したんじゃなくて、お話を聞きたいって近くの喫茶店に誘ったのよ。そして、今、その状況にいるの。」
「その状況を僕は望んでいません。」
「自分で来たのに。」
「僕は脅迫されたと思って、ここに来ています。」
「本当は思っていないくせに。」
「思っていなくとも、警察が来たら、僕はそう証言します。」
「私は警察を呼ぶ気はないわ。」
「僕が呼ぶんです。」
「知らない。」
「え。」
「知らないわ、そんなこと知らないの。私はここに警察を呼ばないの。だからこの喫茶店のこの窓際の席に、警察という職業の方々がいらしたりすることはないわ。」
「いらしたりはしないんですか。」
「そう、いらしたりはしないのよ。」
「何故ですか。」
「何でも。来ないし、呼ばないし、待ちもしない。」
「だから、ここにいるのは、僕と。」
「私だけ。それ以外は誰も来ないの。」
 喫茶店の中は酷く涼しかった。
高校の校門を出て日差しに襲われて、暑さの余り眩暈がしたところに女性は現れた。雑誌の記者をしていると言ったが、実際本当なのかどうかを確かめる術はない。
 校門から現れる高校生の数もまばらになった頃であったから、声をかけてきたのだろう。
 生徒が校門の周りに多くいる時に声をかけてしまえば、通報によって警察もすぐにやって来たに違いない。
 僕という存在の特別性ではなく、状況が自然とそのような形を作り出したのだ。
 僕はそのレールに乗って今のところこの場所にいた。断らなかったのは、少なくとも目の前の記者を名乗る女性が悪い人間に見えないためだ。
 ただ、この女性が眼球にアイスピックを突き立てて脳漿を啜る姿は、美しい外見も相まって非常に絵にはなると思う。
 なるとは思うが、思うだけだ。
 実際にそんなことは起こらないだろう。
 たぶん。
 たぶん、と言葉を挟んだのは当然僕がまだ高校生だからだ。人生経験はそこまで豊かではないと言い切るだけの分別はあった。
「君のこと、殺したい。」
 女性記者はストローの先から液体を数滴落としてテーブルを汚した。人差し指でなぞって、そのまま僕の前へと指を動かしていく。
 音が聞こえた気がした。
 女性記者の目を見る。
 あまり、気にしていなかったせいかもしれない。
 結構、優しい目をしていた。
 意外と、普通の女性の顔をしていた。
「もし、私がそんなことを言いだしたらどうする。」
「何がですか。」
「あなたを殺したいって言いだしたら。」
「そうですね。正直、正面から受け入れられるような言葉ではないですね。」
「じゃあ、躱してしまうの。」
「寂しいですか。」
「大人みたいな言い方。」
「では、不機嫌になるとか。」
「寂しいし、不機嫌にはなるかもしれないわね。」
「僕は少しでもあなたと話す時間を減らしたいと思っています。」
「それはこの喫茶店に入ってからずっと感じてる。」
「それなら。」
「でも、そういうことは感じなきゃ分からないことだから、感じられないということにしてしまえば察することはできないの。そういうこと、当然分かるでしょ。」
 飽き飽きした。
 良い大人が高校生を捕まえて喫茶店の中に連れ込み、今は飲み物を奢ってくれてはいるけれど、こんな時間の使い方しかできない。
 私が愛想を振りまく時間はとっくに過ぎた。残念なことに僕は限界というものを見極める力が人よりもある。
ここまでだと思う。これ以上、ここにいても余り生産性のあることは起きないだろう。
 さようなら。
 そう言葉をのどに充填する。
 さようなら、さようなら。さようなら。
「私、高校生の間で流行している都市伝説に取材をしているのだけれど。」
「手伝って欲しいということですか。」
「えぇ。そうよ。」
「それ、さっきも言いましたよね。」
「でも、同じ言葉を二度も私から言わせたのは貴方が初めてだわ。」
「帰ります。」
「前に、モデルをやっていたでしょう。」
 嫌な言葉の響きだと思った。
 僕のことを知っているのか。あんな小さな雑誌のあんな小さなコーナーで辛気臭い顔をしてピースサインをしていた僕を知っていたのか。
 あんな黒歴史を今になって掘り返されたところで痛くも痒くもない。いや、さすがに感触くらいはあり、時間差で損害がでるかもしれない。
「よく知っていましたね。」
「私は、あの時のコーナー担当だったもの。」
「じゃあ、あの時のコーナーの僕が映った写真を採用したのは。」
「私。」
「そうですか。」
「えぇ、そうよ。」
「はぁ。」
「よく覚えているでしょう。」
「いえ、普通でしょう。」
「いえいえ、よく覚えている方だわ。」
 私はこの女性記者との言葉の応酬から退散するために、とりあえず歯を出して笑っておいた。こういうことが好きな年代というのは数多くいる。目の前の女性記者がその年代に当てはまっていることを願いつつ、目を軽く細める。
「だから、なんとなく思い出したのよ。あなたのことを。」
「偶然ですね。」
「偶然じゃないわ。あの雑誌だってこのあたりの地方雑誌だったし、当然、そういう雑誌のモデルとして出てくる子だもの、このあたりに住んでいて当然というものよ。」
「推理としてはかなり正確だと思います。」
「ありがとう。本当に、ただひたすらに。」
 これからどれくらいの時間が過ぎ去ったとして、残念なことにこの女性記者が僕に対して突っかかってくる状況は変化しない。そのことは分かる。今までの人生と照らし合わせたわけではない。残念なことに今ここに来てから行われた数回の会話によってなんとなく結論が見えた。
 くじ箱の中の外れくじを引いた。
 というか。
 外れくじ箱の前に立っていた。
「先ほど殺したいとか、言っていませんでしたっけ。」
「それよりもこの町の都市伝説について聞いていたのだけれども。」
「はい。」
「他にはないのかしら、両親に監禁された挙句、爪を欲する少女に。」
「男性教諭と男子生徒の物語。」
「他にはないのかしら。」
「他ですか。」
「そう、他の都市伝説の話を聞きたいわ。」


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