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グラム・ファイブ・ノックアウト 1-1

 死んだように生きるのは、生きている人間にだけできる贅沢だ。
 そう言った男がいた。
 確かそう首を吊って死んだことは覚えている。誰も助けようともしなかったし、その男の相談にも乗ろうとしなかった。
 事故として処理されたそうだ。
 もちろん自殺だったので事故ではある。
 けれど現場には明らかに誰かがいた形跡があったのだ。つまり、その男が首を吊る瞬間にまで立ち会っていただれかがいたのだ。
 誰かは分からない。
 見たこともないし、確認もできない。実際、男が首を吊った場所には監視カメラの一つもなかったようなので、どうにも証拠というものは一切集まらない。
 ただ、その後少ししてからのことである。
 男の母親が娼婦であって、それが所属する店が管理していないところで商売をしたとかで警察に捕まったことがあった。その母親が齢七十を越える者だったから一部ではかなり有名で、捕まったときは警察の厚意もあり、会いに行くことができた。
 正直に言う。
 美しくはなかった。
 正直に言う。
 齢七十そのものだった。
 正直に言う。
 しかし、七十まで娼婦をやれるだけの雰囲気がそこにはあった。
 警察の上層部の何人かが世話になったことがあるらしく、懐かしがって訪れていた。減刑でも餌にしたのか、処理をしてもらっているものが七人ほどいた。ちなみに、訪れた警察の上層部と呼ばれる人数は七人である。
 私は終わった後の母親に会った。
 疲れていたことは分かった。
 ただし、それ以上の情報は特にない。それだけだ。それだけのことしかしていないという、自信や状況がその娼婦にはあったのだ。私はただ堂々とした立ち振る舞いに頷き、その前に座るほかない。
 会話はほとんどなかった。
 目と目を合わせた。
 娼婦は鼻を啜り、独り言のように呟く。
「あたしの息子、首吊ったんだけど、ほら、そこに誰かがいたんだって。」
 私はその事件のことを思い出しながら、鼻を同じように啜った。仲間であるということを伝えるためでもあり、本当に鼻水が落ちそうになっていた。不思議と私は今の状況に興奮していたようである。
「最初はさ、誰かがいた。だったんだけど、段々変わっていって、それが誰かが何かになって、その何かがさ。」
 その瞬間、外にいた警察官が中へと入ってきた。別件のことで至急、娼婦の存在が必要になったのだろう。しょうがないと思いながら私は外へ出るために立ち上がろうとした。
 娼婦は私の足を掴んだ。
 血が付いていた。
 娼婦の血だった。
「あたしの息子が死んだときに猫がいたらしいんだよ。」
 私は足の血を見た。赤く、そして黒かった。
「その猫は、空も飛ぶし、光るんだって。不思議だねぇ。」
 中に入った警察官が急に叫びだし、別の警官の声が響いた。遠くで医者を呼ぶように、とする指示まで聞こえてくる。
 それも全ては遠かった。
 ディスプレイや、電話越し、手紙越しのような感覚になる。むしろ、時間も空間も、文明も教育さえも拒絶するような、連綿としたものの分断をそこに見た気がした。
 指を抑えて、そこから流れる血を私も抑える。
 老婆の首から血が噴き出す。
 めくれ上がった皮膚と、その裏の白い脂肪に黄色い斑点のようなものが見えた。白く光っていて、綺麗なほど赤い筒状のものが皮膚を突き破って出ている。その中の空洞をこちらに見せびらかしてくる。
 首の肉を突き破って引きちぎれた食道が飛び出してきていた。
 老婆の咳が淡と血をばらまき、その中にさきほど食べたばかりの食事の残り滓までが含まれて、部屋中に飛び散る。
 嘔吐の臭いがする。
「あたしの息子が首を吊るまでを眺めていた。」
 老婆が笑う。
 笑ったまま固まり、私の瞼を血に濡れた指でなぞる。
「ソラトブヒカルネコを探して。」
 その瞬間、後ろから銃声が鳴った。
 老婆の脳天に穴が空く。
 目が大きく広がる。
 後ろだ。
 そう。
 そうだ。
 老婆の後ろに向かって放射状に広がる血。
 老婆は笑顔で、目を大きく広げ、喉から食道を垂らしながら。
 後ろに倒れる。
 私は表情だけで読み取るに、幸せな人生だったのではないかと考えた。
 おそらく、死んだように生きている人間たちの部類に入ることはないだろうと思った。

***

 別に好きでもなければ嫌いでもない高校生活を捨てる決断とかはない。
 しなくてもいいことは先延ばしにするのが僕のポリシーだ。何せ、そのたびに遠回りしてきたことで決断を他の誰かがしてくれることが多々あったからだ。誰かの力を借りるのではなく、貸した誰かでさえ貸してあげたと思わせないようにする。
 その繰り返しが僕の生き方を支えていた。
 幼稚園、小学校、中学校、高校と上がってきたけれど、その生き方はどの年齢の時でも的を射ていた。
 正直言えば普通に解けるような宿題を、友達に自分では解けないんだと言って、やってもらったこともある。運動神経抜群の友達をおだてて自分が出なければいけない競技に出させたこともある。
 簡単に言えば、怠け者なんだと思う。
 いつも適当だし、いつも時間を節約すること、いつも体力を節約することばかり考えている。
 でも、その節約した時間と体力をどこかに使おうという気は全くない。
 そういうところがより怠け者らしさというものを加速させているんだろう。
 木の上で生活するわけでもなく、排せつするときだけ木から降りる訳でもなく、木の下で生活するわけでもない。
 空中をただ重力を無視して舞っている。
 そういう生き方をしているのだ。
 我ながら賢いと思う。
 というか、そういう生き方をしている自分がかなり好きだったりする。
 勉強も特に頑張らない。部活に入ってはいるが別にそこまで一所懸命ではない。家に帰ってゲームはするがやり込む気はない。
 何もない。
 何も積み重ねていない。
 何者にもなる気がない。
 何も希望がない。
 けれど。
 不要な絶望も特にない。
 これはたぶん、大人になってから必要になる要素である、妥協というものを高校生の内から兼ね備えているということができるのだろう。今のうちにその特徴を持っていることはこれからの人生に正の方向で作用するに違いない。
 良かった、と思った。
 僕の両親の教育は正しかったのだ。
 ただ、その教育方法は基本的には、放置という形をとっていたし。
 正確には放置よりも放棄という方が正しかったし。
 しいて言うなら、虐待というものが正しかった。
 同情をしてもらいたい感情はないけれど、これで金が稼げたり、後々の人生で周りの人間が無償の愛を僕に向けてくれるならありがたい。存分に利用させてもらおうとは思う。
 分かるとは思うが、僕は結構、クズです。
 過去の出来事が自分の生き方を構成してしまうということはよくあるけれど、別に、育児放棄が自分の生き方を描く一つの要因になったとは思えない。絶対に違うだろう。これは僕自身が最初から持っていた自分だけの生き方だ。
 他の誰にも影響されることなく生まれる前から持っていた、クズさだ。
 わずかだが、誰にも影響されることなく自分自身の核を他の人よりも確固たる形で持っているということに僕は誇りを感じている。
 自分が、自分で、自分の中の意思もなく。
自分が生まれた時から持っていた、体の内側にあるクズさ。
 このクズに。
 誇りを感じている。


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https://note.com/erifar/n/n62c612ff606b

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