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中医学を勉強したわけ(娘の熱)

勉強のきっかけ


2021年10月から1年、私は日本中医学院(旧北京中医薬大学日本校)で中医薬膳専科のコースに入り、1年、中医学の基本と薬膳の基本を勉強しました。

この学校を選んだのは、中医学の本場の先生から系統的に中医学の理論を教えてほしかったからです。ずっと勉強してみたかった。

(土曜日3.5時間+日曜日5時間の授業)が月2回。たくさんの復習と提出物。それなりに基本的なことを次々に覚えていかなければ、ついていけない授業展開で苦労しました。会社で普通の社員としても働いているので、1年間、スキマ時間はほとんど勉強に回しました。

勉強したい動機が私にはありました。キーワードは「娘の熱と抑肝散」です。

いまから約10年前、私は「抑肝散」という薬に出会いました。この薬は14年間つづいた頻繁な高熱から、娘を開放してくれました。なんで効いたんだろう?私は、その理由をちゃんと理解したかったのです。

くりかえす40℃の高熱

自分には2人の娘がいます。次女は0才の時から高熱をくりかえす子でした。近くの小児科や耳鼻咽喉科でみてもらっても、どこにも異常はないといわれます。しかし、なにかの炎症だといけないからということで抗生物質を処方されます。また、発熱時に飲ませる解熱剤も処方されます。

先生は「その薬をのませて、あした(またはあさって)またつれてきて」といいます。が、また連れていっても、相変わらずの高熱です。すると「脱水症状も心配だから」ということで、大きい病院に紹介状を書かれ、その足で入院となります。0才のうちに、そんな流れの入院を5回経験しました。

大きい病院では血液検査や、本格的な免疫力の検査(痛い検査)も何度かしてもらいましたが、結果的になにもわかりませんでした。

高熱というのは、39~41度の高熱です。病院でもらう解熱剤は、飲んで1時間ほどで、若干ですが効くのでありがたいものでした。少しの間だけ38℃台になるので、その時間帯にどうにかミルクを飲ませることができます。

そうやって苦労して看病するのですが、この高熱は、不思議なことに発熱した日から数えて5日ほどやりすごすと、下がります。

でも10日ほどたつと、また同じように高熱がでるのです。しかたがないのでまた、小児科にいくと、解熱剤と抗生物質を処方されます。だからその薬で看病します。

入院せずに自宅で5日間でやり過ごせる場合もあれば、状態によっては入院することもあります。ともかく毎月高熱を出していました。

抗生物質の弊害

病院の先生にはお世話になり、本当に感謝しています。が、結果的に残念だったのは抗生物質の影響でした。

当時、近所の小児科医も、大病院の先生も「風邪でもないし、原因がわからない。なにかの炎症による高熱だといけないから一応」ということで、抗生物質の種類をとっかえひっかえ処方してくれていました。(残念ながら、どの細菌だから今回はこれ、という選び方をしているわけではない、と言われていました。言葉は悪いですが、あてずっぽです。)

結果的に、娘は生まれて1年間、ずっと下痢をしていました。今思うと、抗生物質は腸の善玉菌もダメにしますから、慢性的に投与するべきものではありません。だから下痢がつづいて当たり前ですが、先生達はそこは気にしていませんでした。

私も当時はそういう認識も余裕もなく、先生に問いかけることもせず、言われた通りにしていました。あれが0才児の腸をボロボロにしたのかとおもうと残念です。その後の便秘につながっていたと思います。

脱・抗生物質

1才になったころ、転機がありました。引っ越しです。夫の転勤で私の実家の近くに住むことになったのです。

それはちょうど、私も産休明けで仕事に復帰するタイミングでした。引っ越しをきっかけに、日中は実家の母に娘をあずかってもらえることになりました。頻繁に発熱する子を保育園にあずけるのは容易ではないので、これは大変ありがたいことでした(ありがとう!)。また、必然的に病院もかわります。熱がでると近くの病院にいくことになりました。

その近所の先生は、娘の症状に対して「不明熱ですね」という言葉をつかい、「抗生物質は不要」と断言しました。その後すぐに下痢はおさまり、1歳過ぎにしてやっと離乳食もはじめられるようになりました。

解熱剤も、年齢に応じた飲みやすい解熱剤を出してくださり、5日間の過ごし方が楽になりました。熱が下がったら元気に食べてあそぶ、という暮らし方ができるようになりました。

熱があってもなくても、日中は保育園ではなく、母がみてくれるので、私も安心して仕事にいくことができました。やがて娘は丈夫になり、幼稚園にも休みながらですが通うことができました。

しかし小学校にあがっても、月に一度は5日間の高熱がでることに変わりはありませんでした。心配でしたが、散々大きい病院で検査してもわからなかったし5日で下がるし、家族も慣れきってしまい、そのまま熱と付き合いながら、時間がすぎていきました。

NHKの番組

娘が14才の頃、NHKの『夜なのにあさイチ 漢方スペシャル』(2012年)という番組が放映されました。

その番組では、当時、ワキ汗ほか不調のデパートと自称する有働アナウンサーが漢方医にみてもらい、漢方薬を処方され、様々な症状が段階的に収まっていく体験がレポートされていました。

その他、うろ覚えですが、たしか働き盛りの男性の頭痛の事例などもありました。番組後半では、ある施設で認知症の薬の副作用で夜中の暴れてしまう老人の患者さんや、同じく副作用で震えがとまらない女性の老人の患者さんの症状が、漢方薬で緩和され、笑顔がもどる例が取り上げられていました。

北里大学病院 漢方外来

この番組では、どの事例をみても、症状に対して直球の薬を処方するのではなく、体全体の症状にあわせて処方していくという手法をとっているようでした。私はこのアプローチに興味を持ちました。

番組のなかで、北里大学東洋医学総合研究所の名前がでていました。北里大学病院であれば近所です。しらべたところ、北里大学病院には「漢方外来」があり、週に1回、北里大学東洋医学総合研究所の先生がきて診察しているようでした。そこで予約を取り、娘と行ってみました。

初めて知った別の症状

予約の際、診察前に問診票に記入してもらうことになるから(時間がかかる作業なので)30分前には来て下さいといわれていました。実際、娘が記入する問診票の質問の数は膨大でした。

診察室では、先生がその記入された内容をもとに、娘に問診していきます。その問診のやりとりを聞くうちに、そこで初めて知った情報があまりにも多くて、私は戸惑いました。

なかでも、私がショックだったのは、娘が高熱以外に、幼少のころから「不眠」をわずらっていたという事実です。

私は長女と次女が小さい時から、寝るときはいつも本を読んで寝かせるのが習慣でした。娘たちが眠りに入るところはいつも見届けていました。また、自分自身は寝付きがよく朝まで目が覚めません。次女が発熱している期間は看病で頻繁に起きますが、それ以外のときに何が起きているか、しりませんでした。

娘がそんなに小さい時から、夜中や明け方に目がさめては、ひとりで「眠れない時間」をすごすことがあったなんて、全く知りませんでした。そもそも世の中に「不眠」に直面している子供がいるなんて、想像もしていませんでした。

その他、午前中の排尿の回数が非常に少ないとか、小さい時からひどい便秘だとか(そういえば便秘については知っていました)、あらためて様々な話が出てきて、私は娘の全身状態をはじめて見たような気分になりました。そして自分は「熱」にばかり気を取られて、他のことを気にしていなかったことに気づきました。

先生の診断

先生は問診のあと、舌をみたり、脈をみたり、腹を押したりして、考えていました。「なぜ熱がでるのでしょう」とたずねたところ、「視床下部にあたるところが暴走していているようなもの。それで熱が出ていると思います。」そんなような話をしてくれました。視床下部とは、呼吸・生殖・体温調節などに関係する、脳の一部位です。

処方された薬はツムラの「抑肝散」でした。北里大学東洋医学総合研究所は本格的な生薬(保険対象外)を処方し自分で煎じることになるそうですが、私達が行った北里大学病院では粉薬(保険対象)しか処方できません。そのため、必然的に保険対象の粉薬をもらうことになり、薬代は全部で数百円ですみました。薬を3ヶ月間飲んで、また来てくださいと言われました。

ちなみに、あとで「視床下部」ってなんだろ?と調べた所、生体のすべての細胞が最適な環境に置かれるように、自律神経やホルモンを介してコントロールしているところだ、などとでていました。呼吸・生殖・体温調節などに関係するそうです。ということは、ほかのことでも困りごとが出てくるのかも、と思った記憶があります。

抑肝散がきいた

抑肝散はよく効きました。飲み始めてからは全く熱が出なくなりました。それまで発熱すると手帳につけていたのですが、処方されてから記録を付ける必要はなくなりました。

3ヶ月薬を飲んでは、病院にいき先生に診てもらって、また抑肝散をもらう、ということをくりかえしました。そのうち3年位たち、抑肝散なしでも熱がでないようになり、忙しさもあって病院にはいかなくなりました。14年くりかえした高熱が、完全にとまったのです。

中医学を学び始める

一体どうして抑肝散がきいたのでしょう?なかなか忙しくて、すぐには勉強の機会が得られませんでした。

でもチャンスがあってようやく、2021~2022年にかけて、1年間勉強することができました。抑肝散を処方してもらったのは2012年ですから約10年もたっていました。

でも勉強したおかげで、なぜその薬が処方されたのか、ちょっとわかった気になりました。

抑肝散の意味

勉強して最初はちんぷんかんぷんでしたが、だんだん中薬学や方剤学の本(中国の薬の本)にかかれている文章の意味もわかるようになりました。

抑肝散は、中国の明の時代の『保嬰撮要』という小児の医学書が原典となっている薬です。専門用語をそのままつかうと「肝鬱化風のけいれん・歯ぎしり・いらいら・不眠」などの症状をおさめるための子供用の薬で「平肝熄風・疏肝健脾」の効能があります。

これについて詳しく書こうとするとまた長くなるので(悪いクセ)、そのうち別の記事にしたいと思いますが、要は、娘の体内では、幼少期から肝の血や陰液(組織液)が充実していない分、気がまいあがり(内風という)、そのせいで発熱している、だから気の内風をおさめることが必要。同時に、内風がおきるきっかけである肝の栄養不足を緩和するために、肝の栄養を補強することが必要だ、と考えられた。

だから、それに関係する薬を数種類を配合した、抑肝散が処方されたのだと思います。

抑肝散を処方された理由は、本当のところは先生にきいてみないとわからないけれども、人体の不思議を追経験したような気になりました。

これが、私の中医学を勉強した理由と経緯・勉強後のこぼれ話です。

長文、読んでくださりありがとうございました。


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不調に悩む方の症状を「相談シート」でうかがって、しんまい中医薬膳師の視点で、中医学の世界におつなぎするコーナーです。


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