「歴史編4」飛鳥時代① 勉強が辛いバスガイドさんを減らし隊♡
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さて、今回は【飛鳥時代】
飛鳥時代といいますと、「戸籍」「税」「貨幣」など国としての仕組みがつくられたの時代と言われています。
まず、飛鳥時代とはいつや?と言いますと古墳時代と奈良時代の間「飛鳥」に都が置かれていた「約100年間」・・・意外と長くないですか?
100年あれば、いろんな人物が登場し、出来事も沢山ありますが歴史の先生ではないので、最低限これだけ把握していたら「ネタに困ったときの奈良県」は楽しく通過できる!というざっくり飛鳥時代をいきたいと思います!
その前にこれから登場する人物の関係図を書いてみました。
前回の古墳時代に誕生した「大和朝廷」で1番偉いのは「大王=天皇」なのですが、飛鳥時代になるとこの天皇より偉そうな人達がいました。
それが「蘇我氏」と「物部氏」
ある時、蘇我氏と物部氏の間であることをめぐってケンカになる。
それは「仏教を認めるか?」ということ。
仏教は紀元前5世紀頃、インドにあらわれた「釈迦」がはじめた教えで、シルクロードを通って中国に伝わり、朝鮮半島へ。その教えは海を渡り日本にも伝わりました。
日本は元々「神様の国」
そこに「仏教を入れてもいいのか?」でもめるんです。
蘇我氏は「仏教もいいよね〜♬」という賛成派。
物部氏は「ダメ!絶対にダメ!」という反対派。
このことで争った結果、蘇我氏が勝利。「蘇我馬子」が物部氏を倒してしまう。そこから、蘇我氏は天皇でも手がつけられないほど、いばってしまう。
その時の天皇が女性である「第33代・推古天皇」
推古天皇は初の女性の天皇で
その推古天皇を助けたのが甥の「聖徳太子」
摂政といって、天皇を助けて政治を行う位につく。
ちなみに聖徳太子は仏教をとても大切にし、その象徴としてたてたのが奈良県「法隆寺」
聖徳太子が発案といわれる有名なものが2つ。
①「冠位十二階」という制度
それまでは役職が「家柄」によって決まっていた。それを、家柄ではなく個人の能力や手柄があれば役職につけるようにした。かぶっている冠の色で役職がわかるようにしていました。
一番位が高い人は紫色の冠をかぶっていました。
②「十七条の憲法」
当時、庶民は字が読めないので、これは「役人に対しての決まり事」
1.和を以って貴しとなし⇒みんな仲良くしなさい。
2.篤く三宝を敬え⇒3つの宝を大切にしなさい
3つの宝とは「仏・法・僧」
仏様とその教え。教えを広める僧侶を大切に。
※要は仏教を大切にしなさいということ。
607年に聖徳太子は日本より文化の進んだ国からいろいろ教えてもらおう!と中国「隋」に使節を送る。
それが「遣隋使」で代表が「小野妹子」
その小野妹子に聖徳太子が持たせた手紙がすごい!
「日いずるところの天子、書を日没するところの天子に致す」
⇒日が昇る国の天皇様が日が沈む国の王に手紙を書いたぞ!元気か?
中国の皇帝にしか使用されていなかった「天子」を日本の国の王に使ったことなど、隋の王は怒ったが、このころ隋は他の国と戦争をしていて日本と争う余裕がなかったので、ケンカにならずに隋との交流がはじまった。
聖徳太子がなくなると、また蘇我氏がいばりだして聖徳太子の息子「山背大兄王・やましろのおおえのおう」とその一族を滅ぼしてしまう。
その蘇我氏をなんとかしようと立ち上がったのが
「中大兄皇子」と「中臣鎌足」
やっと出てきました!大化の改新ペア♡
長くなったので【飛鳥時代①】はここまでに!
続きは次回【飛鳥時代②】へ。
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