【県別・奈良県】「法隆寺」勉強が辛いバスガイドさんを減らし隊♡
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前回は【世界遺産】についてのご紹介でした。
今回は1993年に日本で最初に世界遺産に選ばれた【奈良県・法隆寺】です。
法隆寺は国宝だけで38件・150点、重要文化財を含めると約3000点もの貴重なもの建築物や仏像があります。
修学旅行で行く機会が多い法隆寺ですが、法隆寺は勉強すればするほど説明が難しくなってしまうので、なるべくわかりやすく、使える話だけを盛り込んでいきたいと思います。
法隆寺の住所は「奈良県生駒郡・斑鳩町法隆寺山内101」
このなかにある「斑鳩・いかるが」という地名。
飛鳥時代には今、法隆寺が建っている場所は「斑鳩の里」とよばれていました。
理由は「イカル」という名前の鳥が沢山いたからと伝えられています。
飛鳥時代の601年に聖徳太子は、当時の都・飛鳥から20キロもはなれたこの「斑鳩の里」に自分の家を建てました。
これが「斑鳩宮・いかるがのみや」と言い、聖徳太子は都からはなれた場所で暮らします。
この自宅の隣につくったのが、のちに法隆寺となるお寺です。
よく法隆寺は聖徳太子が「仏教を広めるために建てた」と言われていますが、それだけではないのです。
実は「お父さんのため」なんです。
聖徳太子のお父さんは31代目の天皇で用明天皇。
この用明天皇が病気になりました。
昔は病院なんてないから「治りますように〜!」と、ひたすらお祈りするしかありませんでした。
用明天皇も自分の病気が治りますように・・・と仏像をまつるお寺を建てようとしましたが、願いが叶わず亡くなってしまいました。
このお父さんの願いを叶えるために、607年に聖徳太子が自宅の隣に仏像をまつる伽藍を建てました。
これが法隆寺のはじまりです。
このとき建てた伽藍が今も残っている法隆寺のように紹介されたりもしていますが・・・違います。
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